第1章 ドラゴンの召使、ギルドマスターにならんと欲すもギルドがなかった(3/6)


  ◆


 ふと目についたのだ。

スルトはルルと吟遊詩人の歌を聞いている最中、目の端に小さな少女の姿を捉えていた。

それはこの村に入る時一緒だった、確かフラグとかいう少女だ。

 その子が何か自信満々の足取りで市の喧騒の中を進んでいく。

 たった一人で。

 一緒にいた兄はどうしたのか?

 ……やれやれ、人間というものはよく迷うものらしいからな。一応、知り合った仲でもあるし、わたしが面倒を見てやるとするか。

 軽く優越感に浸りながら、スルトはフラグの元へと歩き出す。

 ルルに何も言わずに。

 というのも、すぐにフラグの手を引いてルルの元へ戻るつもりだったからだ。市が終わるまで彼女を預かっておいてやろうという親切心。

 だが、人混みに紛れ、あっという間にフラグを見失ってしまった。

「……ふむ、どこだ?」

 そうして辺りを見回してみれば、スルトの目は一軒の露店に吸い寄せられる。

「! あれは……⁉」

 思わず駆け寄ってしまう。

 そこはキノコや山菜を並べた露店で、山の幸を売り物にしているらしかった。見慣れぬ──人間にとっては見慣れぬ、だが竜にとっては見慣れた香草が並んでいる。

「これは竜の里でしか目にしたことのない……! これを見たら、ノレノレの奴、きっと大喜びだな!」

 ルルの喜ぶ顔を思い浮かべるスルトの脳裏に、もはやフラグの影はない。

「ん……ノレノ……?」

 居眠りでもしていたのか。スルトの声で目を開いたその露店の老婆が眉間に皺を寄せる。それから客の赤髪の少女をしげしげと見つめてきた。

「お嬢ちゃん、お使いかい?」

「ははは、馬鹿なことを言う。偉大なる竜種がお使いなどするものか」

「……ん? ……んん?」

 老婆は急に目を凝らし始め、

「えっ!? あれっ⁉ あんた……! こりゃどういう……?」

「どうかしたか、店主?」

「……なんてスットコな話だい。あんたがいるってことは……」

 老婆は老婆らしからぬ大きな溜息を吐いた。そして、ぽつりと呟く。

「スットコ同士は惹かれ合う、ってやつかい……」

「うん? どういう意味だ、それは?」

 老婆は首を振る。

「古の格言だよ。運命に翻弄される愚者達は何故か意図せずして徒党を組み、よりスットコな状況へと事態を悪化させてしまう、っていうね。古のスットコランドではスットコな連中が集まってスットコな国を作っていた。でも、皆スットコだったので酒飲んでどんちゃん騒ぎしているうちに滅んだっていう故事があるのさ。……この辺境で静かに暮らすっていうのももう終わりかね……」

「よくわからない話だな、店主」

「気にしなくていいさ。……それより、買うのかい? それとも何か別の用件でも?」

 そう問われて、スルトははっとする。

 いかんいかん、フラグを追いかけているのだった。

 そう思い出して、スルトは周囲を見回した。

 やはり見つからない。

「すまないな、店主。わたしは忙しいのだ」

 露店を冷やかすだけ冷やかして、スルトは市の喧騒に駆け戻った。


  ◆


 ルルは屋台や露店の店主達に次々と声をかけていく。

「迷子か、大変だね」

「客じゃないなら向こうへ行っとくれ!」

「知らないねえ」

 そんな芳しくない成果が続く中、ようやく心当たりがあるという者が見つかった。

「あなたの探してる子かどうかはわからないけれど、小さな女の子なら見たわよ」

 食べ物屋台で店番をしていたルルと同年齢くらいの少女がそう教えてくれた。

「黒いフードを目深にかぶった男が、お菓子を上げるとかなんとか言いながら女の子をあやして連れて行ったのを見たわ」

 完全に人さらいの手口だ。ルルはそう思うと、早口で尋ねた。

「それは赤毛の女の子ではありませんでしたか?」

「赤毛ではなかったかも。そのフードの男、その子を市の端っこの方へ連れて行ったみたい。あたしも何だかちょっと心配で……」

 となると、トウイの妹のフラグかもしれない。何にしても捨て置けない話だ。

 と、店番の少女が、ほら、と指差し、

「ね、あれ! あの男の人よ」

 言われてルルが指差された方に顔を向ける。行き交う人々。だが、その中に黒いフードを目深にかぶった男は見当たらない。

「……変ね? さっきまでいたのに……」

 店番の少女も差していた指を垂れさせ、首を捻る。それに対して、ルルは頭を下げた。

「ありがとうございます、では、あちらの方を探してみます」

 そうしてルルがその食べ物屋台から離れてすぐだった。

「……もしかして、私をお探しかな?」

 頭のすぐ後ろ。地の底から響くような低い声がルルの耳を震わせた。

 あまりの気配の近さに、ルルの背筋に怖気が走る。

 振り返れば、ひょろひょろと背の高い男が腰を大いに曲げ、ルルの顔の位置に自らの頭をくっつけるかのように近づけていた。

 目全体が黒い穴のような陰惨な眼差し。黒いフードの奥に隠れていても、それだけは目についた。どす黒い雰囲気を背に纏っている。

 ルルは飛び退って距離を取りたいのを我慢し、平静を装う。

「すみません、僕は今、小さい女の子達を探しているのですが、お心当たりはありませんか?」

「女の子達?」

 ゆらりと背を伸ばした黒フードの男は顎に手をやって首を傾げる。ルルを見下ろし、表情をじっと窺っていた。

「……男……だが少年か……」

と、黒フードの男は雰囲気を和らげた。

「どうやら君は彼女達の身内のようだね。安心したまえ。道に迷っていたようだったので、私の方で保護している」

「彼女達は無事なのですね」

 ルルはほっとした。

「彼女達を迎えに来てくれたなら、案内しよう。あまりにも無防備で危険に見えたので、今は安全な場所で休んでもらっているのだ。お菓子でも食べてゆっくりしているだろう」

「そうだったのですか。それはお世話になりました。ありがとうございます」

 ルルは頭を下げて礼を言った。

「なあに、当然のことをしたまでだ。このような人の多く集まる場所では、不埒者も現れやすい。人攫いなどに手を出されては大変だろうからね」

 黒フードの男は僅かに口元を吊り上げた。

「その点、私は手は出さない。紳士だから。真の紳士は手を出さないものだ」

「? はい、そうなのですね」

「さあ、あちらだよ。ついてきてくれたまえ。妙に速やかにね。……真の紳士は男女で差別しないということを教えてあげよう……」

 黒フードの男に導かれて、ルルはその後に続く。

 そうして辿り着いたのは先ほど見た、荷馬車などの駐車場だ。

「女の子達はこちらの馬車の中だ」

 黒フードの男が小綺麗な馬車の傍に立つ。黒と白で彩られて、どことなく骸骨を思わせた。

「どうぞ、中へ。入って。皆いるよ」

 にっこお、と笑う黒フードの男。

「早く」

 きっと最初の印象とは違って悪い人ではないのだな。そう思いながら、ルルは馬車の手すりに手をかけた。

 と、ルルが馬車の扉を開けるまでもなく、扉が中から開く。

「ノレノレじゃないか! ノレノレも来たのか!」

 スルトがルルの姿を認めて、出てきた。その後ろから、もぐもぐと口に何かを頬張った少女フラグも出てくる。

 黒フードの男の笑顔が凍り付き、皺枯れ声が漏れた。

「どうやって出て……出てきてはいけない。中に戻りたまえ、急いで」

 だが、その声はルルの耳には届かない。

 ルルは2人に問いかけるのに忙しかったからだ。

「探しましたよ、スルト様。僕から離れて何をなさっていたのですか? フラグさんも、お兄さんが探していましたよ」

「そこの親切な男が菓子をくれるというのでついてきたのだ」

「あたしもよ! あたしが先だったの!」

 スルト、そしてフラグが続けて答えた。

「この方が親切な方だから良かったようなものの、それは危ないことです。人攫いに攫われる恐れだってあったのですから」

「だが、実際にはこの馬車の中にあったフワフワ飴やら甘い菓子やらを山ほど食べられたし、何も問題はなかったぞ? まあ、この男、ちょっと顔色が悪くて生気がまるでなく、絶対死なない死なずの不死身卿とか名乗る恥ずかしい奴だったのは問題だったかもしれないが」

「そのようなご尊名とは露知らず……ありがとうございました、不死身卿様」

「私の名前はどうでもいい。それより、もっとお菓子を食べてはどうだね? 馬車の中にはまだまだたくさんのお菓子があるだろう?」

 黒フードで長身の男、死なずの不死身卿は引きつった顔で言った。その顔はルルにも向けられる。

「君も馬車の中に。少し休んでいくといい。お茶を用意しよう。それともお小遣いの方がいいかな」

「え? いえ、そのようなお心遣いをいただくわけには……もうスルト様を見つけていただいきお世話までしていただいていることですし」

 そう聞いて死なずの不死身卿、棒のような一本調子の声を上げる。

「おや、もしかして私の事を警戒しているのかね? とても安心してほしい、私は紳士だといったはずだ何度言わせる? 紳士は手を出さない、センシティブな行為は絶対にしない。だから入って? 馬車の中に。美味しいお菓子を食べるなり、お茶を飲むなり好きに時間を過ごすといい、そのうち、馬車の中で小一時間もすれば妙に眠くなるが心配はいらない。私は絶対に手を出さないから。手は出さないが幼い体から得られるエナジーはとても価値があるものだ。それこそ私が毎日健康に不死身でいられる所以なれば」

「いや、お菓子はうまいのだが、そればかりでは少々飽きるな。もっと何か無いのか?」

 スルトは死なずの不死身卿の話を全く聞いていない様子で、食べ物のお替りを要求する。ルルは恐縮してしまった。

「スルト様、それはあまりに厚かましいというものではありませんか? さすがに不死身卿も気を悪くされてしまいます」

「ねえ! この綺麗な箱とかどうかしら? こんなに大切にされているなら中身はきっとすごく美味しいものだと思うの!」

 そう言ってフラグが馬車の中から持ち出したのは銀色に輝く小箱だった。高級そうなパッケージ。

「それはとても君達が開けられるものではない。馬車の中に戻したまえ」

 死なずの不死身卿が震え上がりながらも言う。

 だが、フラグはそう聞いて、ますます箱の中身がとても美味しいものだと確信したようだ。顔を赤くして、力を込める。箱はびくともしなかった。

「鍵がかかってて開かない……」

「どれ、わたしに貸してみるがいいぞ。ふむ? 魔法までかけて厳重にしまっているようだな」

「そうだ。力ずくでどうにかなる代物では……」

「だが、わたしが本気を出せば、この姿でも開けるのは造作もない」

 乾いた音を立てて、銀色の小箱の蓋が開いた。

「あ」

 死なずの不死身卿の喉から間の抜けた吐息のような声が漏れた。

「……なんだしけた干し肉だけではないか」

 スルトは銀の小箱の中から茶色い肉の切れっ端のようなものをつまみ上げ、気落ちした声を出す。日の元に晒してみると、それはただの干し肉ではなかった。もう少し複雑な肉塊だ。

「スルト様、そんな勝手な真似を……申し訳ありません、不死身卿様。すぐに元に戻しますので……あれ?」

 ルルは頭を下げながら、死なずの不死身卿に向き合おうとして戸惑う。

 一瞬にして、不死身卿の姿が消えていた。

「あ⁉ さっきまでつまんでいた干し肉はどこへ行った?」

「煙になって消えちゃった。変な干し肉」

 スルトとフラグもキョロキョロと辺りを見回し始めるが、それは干し肉の行方を追ってのことだ。

「不死身卿、どちらへ……? ……え?」

 ルルは今度こそ仰天する。

 先程まで目の前にあった不死身卿の馬車。その馬車すら消えていたからだ。

「これは一体どういう……?」

「なんだ? あの男、腹でも立てて帰ってしまったのか?」

「もしかして、お菓子の妖精さんだったの?」

 ルル達は今目の前で起きた不思議な消失に思い思いの言葉を漏らす。

 不死身卿が立っていた場所には、ただただ灰の吹き溜まりのようなものが積もっているだけだった。

 

  ◆


 不死身卿の行方は杳として知れない。

 だが、スルト達を保護しておいてくれた恩人のこととはいえ、彼を探し続けるわけにもいかなかった。

「きっと不死身卿は今もどこかで子供達を助けて回ってくれているのだと思います」

「まったく人の好い男だった。縁があればいずれまた会う日もあるだろうしな」

 ルル達は死なずの不死身卿のことを胸に刻んだ後、約束を果たすことにした。

農家の三男トウイの元にフラグを連れて行ってやったのだ。

 トウイから感謝の印として渡されたチーズ一塊を背負い袋にしまいつつ、ルルは呟く。

「お礼など不要でしたのに……」

「それはいけないぞ、ノレノレ。冒険者ギルドを開こうというのなら、依頼とそれに対する報酬の受け取りはきちんとしておかないと。そこがなあなあになると、後々支払いトラブルの元となる」

「なるほど、そうなのですね、スルト様。スルト様のお言葉はいつも為になります」

 ルルは胸に手を当て頷いた。

「わかればいいぞ、ノレノレ」

「それでは再び、市で何かお金になりそうな依頼を探しましょう」

「あ、見ろ見ろ! あれだあれ! あの店、さっき見かけて、絶対ノレノレが好きそうなやつだと思ったんだ!」

 話もそこそこに、スルトはすぐに市の屋台へと興味を移した。

 ルルは自分の好きそうなものと言われて、首を捻る。

「何を見つけられたのですか、スルト様?」

「ほら、キノコとか山菜を売ってる老婆がいるだろう」

 スルトの示す先では屋根付きの露店がいくつも身を寄せ合っている。野菜や野草といった収穫物を売っているエリアのようだ。その中の露店の一つは山の幸を売り物の中心に並べている。

「あの店がなにか……?」

 一瞥したルルは、はっと息を吞み、一瞬固まってしまう。

「……あれはアカクビ草……! ローズベリーにカナトコの実……!」

「どうだ? ノレノレの好きそうなものばかりで興味がわくだろう?」

「どうして……? 里を出てからほとんど見ることがなかった野草やハーブがなぜこんなに……? ここは霊峰山脈から何百キロも離れているのに」

 ふらふらと露店へと寄っていってしまうルル。

「……いらっしゃい」

 店の老婆がしわがれ声で迎えた。それから続けて、スルトに声をかける。

「やっぱりね。あんたがお客さんを連れて戻ってくると思ってたよ」

「わたしの再びの来訪、光栄に思うがいいぞ、人間」

 老婆は肩を竦めた。

しゃがみ込んで品定めをしているルルにも声をかける。

「ああ、お客さん。そっちの野草はあまりお勧めしないよ。毒抜きしないと食べられやしない。それより、こっちの山菜の方がいい」

「これらをどこで……いや、毒があるのにどうして採ったのですか?」

「たまたま山菜を採ってたら混じってたんだよ。まあ、毒抜きすれば食べられないわけじゃないから置いちゃいるけど、お客さん、この野草の毒抜きの仕方は知ってるかい?」

「アカクビ草はよく乾燥させてオイル漬けにすればえぐみや辛みが薄まって食用に適します。ローズベリーはすり潰して水でよく洗い、毒を流せば加工できます。儀式魔法を使う手もありますね。毒抜きの儀式魔法が使えれば、それで毒成分を消すこともできるでしょう」

「おや、よく知ってるね」

「それはもう、ドラゴンクッキングに欠かせない食材ばかりですから。欲を言えば洞窟ヒカリダケもあれば最高のドラゴンクッキングになるのですが、さすがに地下深くに生えるキノコは山菜取りで偶然手に入れられるものではないでしょうしね」

「ドラゴンクッキングね……。わたしにはその作り方も野草の利用法もよくわからないけど、もし欲しいならただで持っていってくれていいよ。どうせ売れん」

「え⁉ こんな希少な野草やハーブを無料で?」

「希少かねえ? 山ほど生えてるってわけじゃないが、あたしの住んでる庵の近くじゃ滅多にないって程じゃあないよ」

「これだけの量があれば、しばらくはドラゴンクッキングに困りません。スルト様にも喜んでもらえます」

「そんなに喜んでもらえるなら、また市が立つ日に採ってくるとしようかね」

「また売ってくださるのですか? なんてありがたい……!」

 ルルは感極まって言葉を途切れさせる。それから真剣な顔になった。

「やはり、これだけの品々をただでいただくわけには参りません。今、手持ちがこれしかないのですが、どうかお納めください」

山菜売りの老婆に持っている銀貨5枚をすべて渡す。

「おや、金なんかいいのに」

「そう仰らず。少額で本当に申し訳ないのですが」

「ありがとうよ、お客さん。あんたに良い月が上りますように」

 ルルは手に入れた野草やハーブをベルトポーチにしまい込んで、老婆に別れを告げた。

 素晴らしい食材を手に入れられた高揚感に包まれている。

 そして、すぐ現実に気付いた。手持ちは最早銅貨1枚、1チェブラ―だ。

「……やってしまいました」

「よかったな、ノレノレ! あの店を見つけた私のお陰だぞ!」

 スルトの屈託ない笑顔に、ルルも眉を八の字にしながら笑みを浮かべる。

「……とても嬉しいのととても困ったのが一緒になって複雑な気持ちです」

「? どこに困ることがある? 食材を安く買えた。しばらく食うには困らないのだろう?」

「はい、それはその通りです。スルト様」

 でも、お金が……。と、頭を抱えるルル。

「残り1チェブラーしかなくなってしまったのですよ。たった1チェブラーしか……」

そこへ横から声がかかる。

「あんまりそんな1チェブラ―しか1チェブラ―しか言ってると、可愛い魔物がやってきて切ない気持ちにさせられちゃうよ」

 ルル達の近くにある料理屋台からだ。熱せられた鉄板と火にかけられた鍋がしつらえてある。そこで料理番をしていた娘が片目をつぶってみせた。

「君、お金に困ってる?」

「ええ、はい、恥ずかしながら……というか、可愛い魔物がやってくるとは何のことですか?」

「そういう昔話があるのよ。お金が少ないと嘆いていると、お金だけがすべてじゃないよ、と慰めてくれる魔物が友達になってくれる。けど、その魔物はお金がないせいで一緒に船に乗れず友達と別れ別れになっちゃうっていう。まあ、そんな話はどうでもいいの。ちょっと店番頼まれてくれないかな? 少しならお金払うからさ」

「僕が店番、ですか?」

「ちょっと聞こえちゃったんだけど、君、料理もできるみたいだしね? 食材が足りなくなっちゃって、わたし、買い足しに行きたいの」

「僕でよければ、構いませんよ」

 親切心を発揮して、ルルは請け負う。が、スルトが待ったをかけた。

「まあ待て、ノレノレ。これも依頼だ。しっかり報酬を確認しなければだめだろう」

「報酬? じゃあ、うちの特濃カーレー汁は一皿20チェブラ―なんだけど、一皿売れるごとに2チェブラ―を君の取り分にしていいよ。売れれば売れるほど得でしょ? じゃあ、よろしくね!」

 料理番をしていた娘は、屈託なくルルに手を振ると、軽やかに行ってしまった。

 屋台を任されたルルは張り切る。

 早速やってきた客を相手に頭を下げて見せた。

「特濃カーレー汁一杯くれ。あれ? ネスカはどこだ? ここ、ネスカの屋台だよな?」

「いらっしゃいませ。店主の代わりを務めます、ルル・ノエールと申します。微力ながら精一杯力を尽くしますので、どうか以後お見知りおきを」

「いや、自己紹介なんかいらない。カーレー汁だけくれればいい。変な奴だな」

 どうやらここは人気屋台らしく、次々に客が来た。

 ルルは鍋の中身をお椀によそって客に差し出していったが、すぐに足りなくなることは目に見えていた。

「このままでは、売り切れでお客様をがっかりさせてしまいます」

 鍋の残り分量を確認して、ルルが言う。失望した客の顔を見ることを想像し、胸が痛んだ。と、スルトはこともなげに言った。

「何か足して分量を増やせばいいだけではないか。まったく、ノレノレは高度な柔軟性で臨機応変を維持することができないのか?」

「申し訳ありません、スルト様。何かを足せと仰られても、ここにはもう食材がありません」

「とっておきの食材があるだろう?」

 言うや否や、スルトはルルのベルトポーチに手を突っ込んだ。そして、その中身を鍋の中にぶち込む。先程購入したばかりの真っ赤な野草やメタリックな光を放つ実が、特濃カーレー汁の中に沈んでいった。

 急にボゴボゴと泡立ち始める鍋。

「ああ⁉ スルト様、何を⁉」

「ドラゴンクッキング用の食材を惜しむことなくふんだんに使用する。どうだ、豪華な汁になっただろう?」

「アカクビ草やカナトコの実はそのままでは味付けが違って、人には毒になってしまいます!」

「……そうだったか?」

 暖簾をくぐって新たな客が来る。

「特濃カーレー汁、一杯頼む」

「はいよ、汁イッチョ―!」

スルトは大声で復唱して見せた。

「スルト様⁉ 毒入り鍋ではもう売れませんよ⁉」

「ノレノレ、まだ間に合う。この鍋を今から人間用に毒抜きしたドラゴンクッキングにしてしまうのだ」

「え、毒?」

 小耳にはさんだ客が不安そうな顔をして見せた。

「そんな、無茶です。スルト様」

 と、スルトは今日一番の良い顔をして見せながら、ルルに頷いてやる。

「大丈夫だ。わたしの信じるノレノレなら必ずできる」

「……スルト様……そこまで僕の腕を買ってくれるのですか……?」

「ノレノレも言っていただろう? 儀式魔法を使えば毒抜きも短時間でできると。それなら今から鍋内の毒を抜くのも可能……ということ! それとも、この屋台の店主の期待を裏切ってもう売れませんと白旗を上げるのか? 大丈夫、ノレノレならできるとも。できなければ……死人が出るだけだ」

「おい、死人ってなんだよ⁉ ここのカーレー汁、そんなにヤバいのか⁉ 俺、もういらねえから……」

「覚悟を決めろ! 絶対うまくいく!」

 スルトの強い言いきりに、ルルは奮い立つ。客は震えあがって、麻痺(スタン)する。竜の咆哮による効果だ。

「わかりました! 必ずや……必ずや美味しく仕上げて見せます! 見ていてください、スルト様!」

 スルトからの強い信頼を感じて、ルルは感動していた。

 ただカーレー汁を食べたかっただけの不運な客は突然の地獄に、己が前世でどんな悪行を為してこのような目に遭っているのか神に祈り、人生の理不尽を学ぶ。

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