第1章 ドラゴンの召使、ギルドマスターにならんと欲すもギルドがなかった(1/6)

第1章 ドラゴンの召使、ギルドマスターにならんと欲すもギルドがなかった


 

「おー、あれか! やっと着いたな、ノレノレ」

 街道沿いに歩んできた少女が村の姿を認めて声を出す。炎のような赤髪の少女だった。

「……はい、スルト様。随分と賑わっているようですね」

 そう応えた少年は少女より少しばかり年上だ。ふと眼差しを上げて村を確認した後、すぐに目線を下に向けている。

 両者とも身なりは良い。まるで長旅など経験していないかのように清潔だ。

 赤髪の少女がじっと少年を見上げた。人にはありえないような深さの真紅の瞳。

「どういうことだ、ノレノレ?」

 瞬間、ばつの悪そうな表情を見せた少年。

大きく息を吸って、吐く。

そうしてから、笑ってみせた。

「……それにしても、あれが僕達の新しい使命の地となるのですね。……村をこの目にして一層意欲が湧いてきました! 勇者様の為に粉骨砕身、尽くしましょう!」

「ノレノレよ、それほど急に気負うこともないだろう」

 少年の耳が僅かに赤くなる。唐突に意気込んでみせた自分を恥ずかしく感じたらしい。

「はい、スルト様。肩に力が入り過ぎても失敗してしまいますものね。さすがです」

 スルトと呼ばれた少女は小首を傾げる。と、何かつかえたかのように喉元を手でさすった。

「あー……もう一度聞くが、どういうことだ? ノレノレは勇者達から離れることを自分で選んだという話だっただろう? でも、もしそれを悔いているのならわたしは……」

「いえ! そんなことはありません!」

 少年は大きく頭を振った。

「少し別の事に気を取られていただけで……勇者様達の元へ戻りたいとは思っていません。ご心配おかけして申し訳ありません、スルト様」

「そうなのか? なら、わたしはそれでいいが……。では、何を落ち込んでいるのだ? ノレノレ、先ほどからずっと下を向いてばかりだぞ?」

「それは……」

 少年は口ごもり、視線を逸らす。

「ほら! また下を向いている!」

「い、いえ、僕は、その……スルト様の事で……」

「わたし? わたしがどうかしたのか?」

「スルト様の、その……居場所を失わせてしまった事が申し訳なく……」

 少女は真紅の瞳を何度も瞬かせた。

「ふむ? あー、なるほど? そうか、やはりな。わたしの読み通り……んん? 1つ確かめたいのだが……わたしの居場所? わたしは今ここにいるが……? 失われているのか?」

「はい、スルト様。勇者様達の傍らに立つ仲間としての居場所を、僕の一存で失わせてしまいました。それ以前に、スルト様を巻き込んだばかりに竜の里という居場所からも引き離してしまっています……。僕がもっと周りの目に気を付けていればこんなことには……。スルト様、ご不便をおかけしてすみません」

 スルトは、溜息とも鼻息ともつかない息を漏らす。

「まったく……! 何をそんなに気を使っている? まあ、偉大な主人に敬意を抱いて首を垂れてしまうのはごく自然なこととはいえ、そのような有様では前も見えないだろう?」

 大きく手を振って少年の尻を叩くスルト。

「スルト様?」

「頭を上げろ! 見ろ、青い空、白い雲。そのうち何とかなるのものだ」

 少年は顔を上げた。良い天気だということに初めて気づく。

「言っていただろう? ノレノレが初めて里を出た時、こんなに空が高く見えるのは初めてだ、と。今日だって、空は高いぞ」

「……本当に仰る通りですね。やはり……やはりスルト様は僕の尊敬するご主人様です」

「当然のことだ。で、頭は上げていられそうか?」

「はい、スルト様。……今は勇者様のため、あの村で僕ができることに全力で取り組むのみです。……思ったより人の出入りが多い村のようですね」

 と、スルトも村の様子を窺い、したり顔で頷いた。

「ああ、なるほど。これはあれだな、祭りでもやっているのだろう」

「お祭り、ですか? 10年に一度ある里の精霊祭のような? 良かったですね、スルト様! 珍しい時に来られたようで」

「なあんだ、知らないのか、ノレノレ? 人間は事ある毎に祭りを行うんだぞ? そんなに珍しいものではない」

「そうなのですか。さすがスルト様、人間の世界のことにも博識であられるのですね」

「そうなんだぞ。まったく、ノレノレは世間知らずだからな。わたしがいなかったら道も歩けないんじゃないか? 困った子だ。いやあ困った困った」

「はい、スルト様がいなかったら僕は困ってしまいます」

「うふん、そうだろうそうだろう! やっぱりノレノレには主人であるわたしがついていてあげないとな!」

 ちっとも困っていなさそうな笑顔で少女──スルトは言った。

 それから、どこか得意げに言葉を重ねる。

「知っているか、ノレノレ? こういう人間の祭りでは竜の里の祭りと違って、お菓子を売る屋台が出るのだぞ。お菓子だぞお菓子! 祭りでしか食べられない飴とか色付きの甘水、とにかく色んなものがあちこちにあるんだ! 輪投げやら玉入れやらのゲームもあるし、そのゲームに勝ったら賞品だってもらえる!」

と、スルトは両手をいっぱいに広げる。

「こーんなでっかいぬいぐるみがその賞品で、それがあともう少しでわたしのものになるところだったんだ! その頃のわたしは人型形態の手に慣れてなくてなあ……。惜しいことをしたぞ。ともかく人間の祭りというのは何もかもが目新しくってキラキラしているんだ! どうだ、楽しそうだろう?」

「はい、スルト様! スルト様のお話を聞いているだけでワクワクしてきました。僕もお祭りで賞品がもらえるでしょうか?」

「もちろん、わたしがやり方を教えてやるのだからな。まず、輪投げは、こう、ひゅっ、と投げて捻る!」

 その手首のスナップだけで風切り音が鳴る。

「さすがです、スルト様。輪投げも得意でいらっしゃるのですね!」

「今は玉入れだって絵合わせだって得意だぞ。くじ引きに至っては引くくじ引くくじ全部一等賞だ。連続200回一等を取ったこともある」

「そんなに。きっとスルト様はお祭りを楽しむ素晴らしい才をお持ちなのだと思います。とてもお祭りが楽しみなご様子、僕も……ああ、けれど、僕はお祭りを楽しむ前に、大切な使命を果たさなければなりませんね」

「わ、わたしは別に人間の祭りなぞ楽しみになんかしてないぞ? 高貴なる竜種が人間の祭りごとき……」

 スルトは何か言い返そうとして、口ごもった。それからおもむろに腕を組む。

「……いや、思えばノレノレも不憫だな。普通ならこのような祭りではしゃぐものだろうに、まず考えるのが使命とは……。里を出てからは戦いばかりで子供らしく遊ぶこともなかったし……。よし! 今日はわたしが許す。ノレノレよ、好きなだけ祭りを楽しむのだ。そうだな、ターコー焼きを食べるといい! こういう祭りでは定番だ」

「はい、スルト様。スルト様はターコー焼きが食べたいのですね」

「いや、わたしが食べたいのではなくて、ノレノレが食べるのだ」

「僕のような召使にそのような過分なお取り計らいを……。やはりスルト様は心優しい方です」

 少年は胸に手を当て、頭を下げる。

 一方スルトははっとして慌てて取り繕った。

「か、勘違いするな。私のような竜が召使を喜ばせるために屋台の菓子を買うのだなどと思われては困る! ノレノレは単純だから、わたしからうまいターコー焼きを施されればもっとわたしに尽くすようになるだろう? そういう計算の元、施してやろうというのだ。裏があるのだ。単純に喜ばせようとかそんな意図ではないぞ! ノレノレの忠誠を買うのが真意である」

「わかりました、スルト様。僕、ルル・ノレールはスルト様にますますの忠誠を誓います」

「まだターコー焼きを施してもいないのに、そんな勝手に忠誠心がいや増すとはさすがわたしだな。でも許す。好きなだけわたしを崇め奉ってよいぞ」

 もったいつけてスルトは右手を差し出す。

 と、ルルと名乗った少年は跪き、それからスルトの右手を取った。まるで貴婦人に対し忠節を尽くす騎士のような恭しい態度。

 少年の眼差しは真摯で、じっとスルトの右手に注がれている。

「どうしたノレノレ? せっかくわたしが人の姿をしてやっているのだから、その右手に忠誠の証を立ててもよいのだぞ? まったく、ノレノレはわたしのことを好きすぎるのではないか? 困ったものだ」

 スルトは口の片端だけを下げ、少しばかり呆れたような表情を作る。だが、目には満更でもなさそう色が浮かんでいた。

「そんなにしげしげとわたしの手を見て……さあ、何をする気だ?」

「スルト様、スルト様の手……」

「わたしのすらっとして白くて華奢な手がどうかしたのか?」

「……爪が随分と伸びていますね」

「……うん」

 スルトの視線が泳いだ。

「そういえばここしばらくスルト様の爪を切っていませんでした。村に着く前にここで切ってしまってよろしいですか」

「え、嫌なんだが」

「スルト様の身なりを整えておくのは僕の務めです。ついでにおみ足の爪も切るのはいかがでしょう? どうか裸足になってください」

「足の爪なんか人様には見せないから切らなくてもいいんだ」

「いいえ,スルト様、これも僕が魔竜オーディン様から承った大事な仕事なのですから」

「里長の名を出すとは卑怯な……⁉ ノレノレはわたしの召使なんだから、わたしの命令だけ聞けばいい。里長は関係ないぞ!」

「はい、スルト様。けれど、そうも参りません。どうか爪を切らせてください」

「いやだいやだ! 爪を切るとなんだか指先がすーすーして調子が悪くなる気がするんだ!」

「どうか、スルト様、お願いします。スルト様の身だしなみを整えておかないと、僕がオーディン様に怒られてしまいます」

「里長がノレノレを怒るわけないだろう⁉ うぇぇぇぇ、ノレノレの鬼! 悪魔! 召使に体を自由にされるなどという屈辱を受けるとは……!」

「スルト様はご主人様らしく、召使の奉仕を空気のように受けてくださるだけでいいのです」

 スルトは抵抗を続けたが、遂に観念する。

街道脇の切り株に座らされた。屈みこむ少年に手足を突き出し、目をつむって爪切りが終わるのを待った。

 しばらくして、

「スルト様、お待たせいたしました。もう終わりましたよ」

 少年は特別製の爪切りなどをまとめてチリ紙に包み、丁寧にベルトポーチへしまう。

 スルトはぼやき声を上げた。

「……あー、何だか力が出ないなあ。無理に爪を切ったから体と魔力のバランスが崩れてしまったのだ。これではもう人の姿を保っていられないかもしれないなあ」

 それを聞いて、ルルの表情が曇る。

「そう、なのですか?」

「そうだぞ? わたしがちょっとくしゃみでもしたら竜の姿に戻ってしまうかもしれないぞ。ノレノレはわたしが竜の姿でいるところをもう人には見られたくないのだろう? だったら、もう二度とわたしの爪を切ろうだなんて……」

 ルルががっくりと肩を落とした。

「申し訳ありません、スルト様。僕が無理に爪を切った所為で、そのような大事になってしまうなんて……スルト様にご不快な思いをさせてしまいました。従者失格です」

「い、いや、本当はそこまでの事ではないぞ」

 スルトは慌てて言った。

「大丈夫だ。ちゃんと人の姿を保っておいてやる。ノレノレはその方がいいのだろう?」

「はい、スルト様。僕の考えが至らないばかりに、これまでスルト様には竜の姿でずっと我慢をしてもらっていたのもわからず仕舞いで……」

「別にわたしは竜の姿でいてもちっとも構わないのだがな」

「けれど、スルト様が竜のお姿でいると人々から怖がられたり避けられたりするのだとノーウェア様から教わりました。陰でスルト様がそのように思われていただなどと、考えなしの僕はまるで気付かぬまま……」

「あのしみったれた魔術師の言葉がめっちゃ効いてしまっているのか。あんな戯言、気にする必要はないというのに。竜の里で育って竜が身近だったノレノレには、人々の竜への恐れなどわからなくて当然のことだ。まあ、ノレノレはそういう点で世間知らずだからこそ、わたしがついていてやらねばならないのだがな」

とは言え……と、スルトは内心思う。

魔術師の言葉など気にするなと言っても、ノレノレが気になってしまうのも仕方ないことなのか……。ノレノレにとっては家族同然の竜達が、人々にとっては恐怖の対象だと気付かされたのだ。ショックだろう。まだそのことを受け止めるには時間が必要だ。ならば、その時が来るまでノレノレの好きなようにさせてやろう。わたしは寛大な主人だから、それに合わせてやる。

そんなスルトに、ルルは沈痛な表情を向ける。

「勇者様達と一緒にいた間、スルト様はずっとそのような声に耐えていてくださったのですね。本当に申し訳ありません」

「わたしは人間ごときにどう思われようが気にしないぞ。何か言う奴がいるなら言わせておけばよいだけだ」

「けれど、僕の大切なスルト様がそのような目で見られるのは悲しいです。自分の大事な人が誰かから悪し様に言われるのは嫌なのです」

「……まあ、わたしのことを第一に思っているというその心がけに免じて、ノレノレの望む通り人型でいてやるとも。ノレノレがわたしの正体を隠しておきたいというのなら、それで良い。なにせ、秘密というのは楽しいものだからな! これはわたしとノレノレだけの秘密、というわけだ。主従の絆が深まってしまうな!」

 スルトは堂々とした態度で秘密を誇った。

「わたしが本当は竜だと知られたら、人々から嫌われ追い出されるかもしれない。これはまったく、大変なスリルだな! まあ、秘密を知った奴は我が炎で燃やしてしまえばいいだけか」

 ルルは目を丸くする。

「スルト様、どうかそのような無体な真似はおやめください」

「冗談だぞ、ノレノレ」

 冗談とも本気ともつかない笑顔でスルトは答えた。

「まったく、ノレノレはすぐ人の話をうのみにしてしまう。本当に、わたしがついていなかったらどうなってしまうことか!」

「はい、スルト様。冗談ともわからずお恥ずかしい限りです」

 ルルは顔を赤らめ俯いた。それを見て、スルトがため息交じりに言った。

「やはり、わたしが主人として導いてやらねばなるまいな」

ただし、その目は悪戯そうに輝いている。

「さて、では、そろそろ村へ行こうか。せっかく祭りもやっていることだし。わたしが先頭に立ってやるから、ノレノレはついてくるんだぞ。迷子になるなよ!」

「はい、スルト様。よろしくお願いします」

「うむ! いいか? 人間の祭りではフワフワ飴がうまいんだ。あと、やっぱりターコー焼きだな!」

 スルトは意気揚々、村へと向かう。足取り軽く、スキップせんばかり。

 そうして街道を進むと、次第に村へと向かう人の数も増えてくる。

 荷馬車やロバを引いた農夫、行商人の類が道を同じに進んでいった。

「やあ、旅の人」

 ロバを引いた農夫がスルト達に挨拶してきた。まだ若い朴訥そうな男だ。傍らに妹らしい小さな女の子が同行している。

 ルルは微笑んだ。

「これはご丁寧に痛み入ります。こんにちは」

「あんたらも市に行くのかい? もしかしてあんたらの売り物に針とかないかな?」

「針、ですか?」

 ルルは首をひねる。

「そう、針よ!」

 小さな女の子が口を挟む。

「母さんからのお使いなの! 針を買ってきてって!」

「うちで作ったチーズを売って、ついでに針を何本かまとめて買って帰らなきゃいけないんだ。ゴステロさんの雑貨店で針は買えるけどちょっと高いし、今日の村の市で安く買えたら嬉しいんだけど」

「市……あの、今日は村のお祭りではないんですか?」

「うん? いや、今日は月に一度の市が立つ日だよ」

 若い農夫は首を振ってそう答えた。

 ルルは差し出がましいのではないかと逡巡しながら、それでも前を行く少女に声をかけた。

「……あの、スルト様。今日は村の市の日のようですよ」

「なに⁉」

 それまで弾むように歩いていたスルトが足を止めて振り返った。

「そんな……! 嘘だろう? 祭りじゃない? だってあんなに賑やかで……」

 スルトは鼻を引くつかせる。

「……美味しそうな匂いもしている。おそらく屋台が出ているのだ。人が大勢いて、屋台で熱々のターコー焼きやフワフワ飴が売られている。ならば、それは人間達の祭りだ。あれが祭りでないわけがない。だから、わたしは間違ってないぞ」

 そこへ若い農夫が口を挟む。

「あ、いや、あの市は何かのお祝いとか神様への奉納とかじゃないから、村のお祭りはまた別に……」

「なんだ貴様。わたしがノレノレに間違ったことを言ったとでも言いたいのか。わたしは間違えない。なのに、貴様はわたしのことを、偉大にして深遠なる炎竜のことを、祭りだ祭りだと浮かれスキップかましていた勘違い野郎だと貶めたいのか? 知ったかぶってイキリ散らしていた恥ずかしい奴だと? ……人がいっぱい集まっていれば、わあ、今日はここで祭りでもあるんだべかと早とちりして調子に乗る田舎者だとでも……? ……山育ちが、舞い上がって恥ずかしい奴……そう思っている……? くっ……!」

スルトは言いながら、俯いていく。涙目を堪えている様にも見えた。

「いや、あの、そんなことは……」

若い農夫が首を振りながら言いかけるところに、スルトはぼそりと被せる。

「……狩るか」

 何を察したのか、若い農夫は慌てたように言い添えた。

「ああ、まあ、実質祭りみたいなものだよ。村で市が立つ時は屋台も出るし楽士が歌を歌ったり見世物だってあるしとっても賑やかだから」

そう聞いて、スルトの顔が上がる。

「……そう、わたしもそう言いたかったのだ。あれは実質、祭りのようなものだ、とな。屋台が出て賑やかで」

「それにゲームもあるのよ! あたし、今日こそは絶対賞品を取るの!」

スルトに向けて、小さな女の子が宣言した。

「フラグ、またそうやって自信満々なのはいいけど、失敗して泣くなよ?」

「なに言ってるの、お兄ちゃん。あたし、ずっと玉入れの練習をしてきたんだから。すごい投げるの上手になったのよ。見てて!」

 フラグと呼ばれた女の子は石を拾い上げ、願掛けしながら構えた。

「この石を投げてあの木に当たったら、賞品の人形がもらえる、当たらなかったら死ぬ!」

 そして、近くの木に向かって投げつける。

 外れた。

「あーあ、あたし死んじゃうみたい。あなたはどう?」

 フラグはスルトに向かって首を傾げて見せる。

「わたしにも命を懸けて試せというのか。面白い、腕試しだ」

 スルトも石を拾って、投げつけた。

 当たった。

 ぐっ、と拳を握り締めて会心の笑みを浮かべるスルト。

「……よしっ!」

「あたしももう一回やる! 今度は向こうの木ね!」

「ほう、受けて立とう!」

 フラグは道の先に生えている木に向かって駆け出していく。

「……こりゃ、今日も賞品獲れなくてギャン泣きされそうだ」

 若い農夫がぼやく。と、ルルに向き直った。

「まあ、あんたのところの子も機嫌直してくれたみたいでよかったよかった。小さい子にぐずられると参るものな」

 ルルは気遣わし気に、この農夫の妹らしき女の子を目で追っていた。スルトも一緒になって石投げなどしている。

「あの、大丈夫ですか? 妹さん、死んでしまうのでは……」

「うん? フラグが? はは、あんなの子供の遊び、本当に死ぬわけないだろ。本気にするなんて面白い人だね、あんた」

 若い農夫は笑い、それから首を捻った。

「それより、さっきから気になってたんだけど、スルト、様? あんた、あの子の兄さんとかじゃないのかい?」

「ええ。僕はスルト様の従者……召使です」

「ふうん? もしかしてお貴族様のお嬢さんか何かかな? てことはあんた達は行商人とか物売りじゃないんだろうな。残念、針は売ってなさそうだ」

「ええ。僕達は商人ではありません。冒険者ギルドのギルドマスターです」

「え? なんだって? 冒険者……ギルド?」

「はい。この度、この村の冒険者ギルドでギルドマスターを務めるよう仰せつかってきたルル・ノレールと申します」

「ああ、こりゃあ……俺はトウイだ。ただの農家の三男だけどね。しかし……冒険者ギルドって、この村にそんなものあったかな……?」

「はい? 僕達はこの村、囲われ村の冒険者ギルドマスターになるように言われてきたのですけど……」

「ええと、何のために?」

「ここでなら僕やスルト様の力が困っている人達のためになると聞いたんです。役に立てる、と。そうすることが勇者様のためにもなるって……」

 若い農夫は頭を搔いた。

「うーん……こう言っちゃなんだけど……この村で冒険者ギルドって、何かの間違いじゃないかな? そりゃここは国境沿いの村だし、近くに魔獣の類が出ることもあるよ。でも、基本穏やかでのんびりしてて、冒険者ギルドがあったことなんて一度もないド田舎なんだから」

「ええ? そうなのですか?」

「大体、こんな村に冒険者ギルドなんて不釣り合いだと思うね。そんなに事件が起こる都会や魔王軍が近くにいるような地方じゃないしさ」

「で、でも、ここは確かに囲われ村なんでしょう? ノーウェア様から言いつかった村に間違いないはずなんですが」

「もしかして、あんた、騙されたんじゃないかい?」

「騙され……」

「ありもしない冒険者ギルドに行くようにって嘘つかれて、体よく追い払われたとか……」

 ルルは一瞬、言葉を失った。それから頭を振る。

「いえ、そんなはずは……。そうだ、ゴステロ様。この村には商人で名をゴステロという方がおられるはず」

「ああ、ゴステロさんなら村で一番の商売人だよ」

 ルルはそれを聞いて、少しほっとした。

「村に着いたら、その方と話すように言われているのです。万事、ゴステロ様がよろしく取り計らってくれる、と。きっと、そのゴステロ様なら力になってくれるはず」

「なるほど。なら、ほら。村で一番大きな建物が見えるかい? あそこがゴステロさんの店だよ。村で唯一の宿屋でもあるね。あそこに行けば、ゴステロさんに会えるんじゃないかな」

 若い農夫、農家の三男トウイの指差す先は村の中。規模の大きな村である囲われ村でも、ぴょこんと飛び出していて特に目立つ白塗りの建物だった。

宿屋を示す看板も掲げられている。

「御親切にどうもありがとうございます。早速、訪ねてみます」

「それがいいよ。まあ、ゴステロさんはやり手だから」

 話し合う内に、スルト達は村の中に入り込む。

 道沿いに家々が立ち並んでいた。

 道の先は村の広場だ。かなりの広さらしい。そこに屋台が並び、茣蓙を敷いた売り子達が声を張り上げている。全容が見えないくらいの人の群れ。

「毛皮どうだい毛皮。大鹿の良いのが獲れたんだ」

「きれいさっぱり、髪切って髭剃って男前を上げちゃどうだ。今なら5人待ち!」

「おい、このろうそく、本当に使い物になるのか?」

「魔獣の血、皮、爪、みんな希少な代物だ。魔力の素になるよ。ポーションの材料にうってつけ」

 皆、売り物を並べたり、口上を並べて客を呼び止めようとしていた。

 そして、それ以上に雄弁なのは香ばしい香りや肉の焼ける音。

 スルトの腹が鳴った。

「……ノレノレ、これはわたしの直感なんだが、この先に行くと世界の謎が解ける気がする」

気もそぞろな様子で、広場の喧騒の中を覗き込もうとしている。

「あたしも! あたしも謎が解けたい!」

 小さな女の子フラグも広場の奥、甘い香りのする方へと目は釘付けだ。その兄は首を振る。

「ダメだろう、フラグ。市の見物は母さんの言いつけ通りチーズを売って針を買ってからだ」

「ええー? じゃあ、それが終わったら何か買ってくれる?」

「しょうがないな、おとなしくしてたらな」

「やった! ねえ、あたし、この市が終わったら飴リンゴ買ってもらうんだ!」

 フラグはスルトに胸を張る。スルトは大いに頷いた。

「飴リンゴか、それもいいな! フワフワ飴と同じくらい良いものだ」

 そんな妹の様子を見て、農家の三男トウイは頭を掻く。

「やれやれ、フラグ、お前、はしゃぐのは良いが、甘いお菓子なんかにつられて知らない人についていくなよ?」

「そんなことしないよ、当たり前でしょ?」

 こまっしゃくれた様子で自信満々のフラグ。それを見て、トウイは苦笑する。そして、その表情のまま、ルルに向き直った。

「じゃあ、俺達は広場の向こう側にこいつを持ってかなきゃならないんで」

 トウイはロバに背負わせていた荷物を手でポンと叩く。

「よくわからんけど、あんたらがうまくゴステロさんと話をつけられるよう祈ってるよ」

「またね!」

 フラグが手を振り、スルトもそれに応えて頷いた。

「これも何かの縁だ。達者で暮らすがいいぞ」

「ありがとうございます。どうかあなたも商売がうまくいきますように」

 ルルもトウイ達にそう、別れを告げた。

 それから前を向く。トウイに教えてもらった大きな建物、村唯一の宿屋は目の前だ。

「スルト様、それではゴステロ様にご挨拶に参りましょう」

「え⁉ 何を言ってるんだ? わたし達が何をしにこの村へ来たのか忘れてしまったのか?」

 スルトは目を丸くしてルルを見上げてきた。逆に、ルルの方がびっくりして聞き返す。

「え? 何をしに……?」

「わたしは先ほど命じたはずだぞ。不憫なノレノレはこの機会に祭りを楽しむように、と! ターコー焼き屋台を探し出して、それを食せ、と! それなのに、よく知りもしない商人への媚びへつらいを優先しようというのか! 私の命令を蔑ろにしてまで?」

「申し訳ありません、スルト様。けれど、冒険者ギルドのことをゴステロ様に確かめないことには……」

「わたしはそんな人間の商人ごときに用は無い。そこまで言うなら、ノレノレ1人で話を聞きに行くがいい」

 スルトは市の様子をちらちら伺いつつ言った。

「安心しろ、その間にわたしが市を探って、ターコー焼き屋台がどこにあるか見つけておいてやるぞ。何もわたし達2人でゴステロとやらに挨拶する必要はないだろう? 分業という奴だ。まったく、ノレノレは世話が焼ける」

 ルルはそんなスルトの心遣いに頭を下げる。

「さすがスルト様。僕のために、手分けしてくださるのですね」

「む……いやいや、思いあがるものではないぞ、ノレノレよ! 別に本当はノレノレの為などではないのだからな!」

 言い捨てると、スルトは弾かれた様に人混みの中へと突っ込んでいった。残像が見えるかのような俊敏な動きで人々を避け、あっという間に見えなくなってしまう。

 残されたルルはしばらく広場の中にスルトの姿を追う。

 だが、諦めた。

 大きく息をして、目の前の宿屋の扉を潜る。

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