第18話 失ったもの

 

 目を開けると馴染みのある天井。

 ……俺の部屋。


 起き上がった俺は何かを見詰めているわけでもなくただ呆然としていた。


 しばらくしてリウォンが部屋に入ってきた。

 その手には水の入った桶とタオルを持っている。


 そこで俺が起きていることに気が付いたようで目を見開いて少し驚いていた。

 何か話しかけてきているようだけど何も聞こえない。

 

 別に耳が悪くなったわけではない。

 

 今、俺の中では昨日の出来事が目まぐるしく繰り返されている。

 特に傷付き倒れたクリストルの姿が何度も何度も蘇ってくる。


 つまり、無意識に俺の身体は外部からの声を全て遮断しているのだ。


 何言っても反応がない俺に諦めてリウォンは汗に濡れた俺の服を脱がして身体を濡れたタオルで拭き始めた。


 いつもの俺なら自分でできると突っぱねるところだが今はそんな気も起きない。

 

 そういえば身体、熱っぽく少しだるいな。

 精神だけでなく身体も弱っているからこんなにも苦しい光景が蘇るのか。

 

 ……クリストルの安否を確かめたかったが上手く言葉が出なかった。

 それは心の中ではもうわかっているからだろう。


 あれは……致命傷だった。

 俺は間に合わなかった。

 いや、そもそも助けに行ったのに逆に守られてしまった。


 それが結果的にクリストルの命を奪ってしまった。


 そうだとわかっているのに聞かないのはまだ希望を残したいからに他ならない。

 直に伝えられるまでは、まだ生きている可能性がある。


 だけど、聞かないわけにはいかない。


 俺はようやく口を動かすことができた。


 今の俺の耳には自分の声すら聞こえなかった。

 上手く言葉に出せたかわからないが、どうやらリウォンには伝わったようで俺の身体を拭いていた手が止まる。


 ……やっぱり、そうか。


 何を言おうか迷っているそんな顔がもう答えだった。


 わかっていたのにそれを突きつけられるとやっぱり堪えてしまう。


 だが、俺の身体は涙を流すことを許さなかった。

 俺の心はそこまで冷え切っている証だ。


 着替えが済み、しばらくして俺はリウォンに連れられて外に出た。


 辿り着いた先は村の外れにある墓地だった。


 その一角に周りよりも明らかに目立つ綺麗な墓があった。


 俺は一歩また一歩と近づき、そして崩れ落ちて膝を突いた。


 ……そうか、そうか、もうお前はここから動けないんだな。


 昨日で止まっていた俺の時間はそこで再び刻み始める。


 もう認めないといけない。

 自分を騙すのはもう無理だ。


 クリストルは、もういない。


「最後は笑顔だったよ」


 言葉を選んだと思えるリウォンの言葉が聞こえてきた。


「あら、リウォンさんと、アリシアさん!? 目が覚めたのですね!! あー良かった。何日も目が覚めないと聞いていて心配していましたよ」


 突然の声に振り向くとフィリアさんが立っていた。

 俺は何とか立ち上がり返答する。


「心配かけ……」


 言葉の途中で心臓が跳ねた。

 フィリアさんの後ろにはまだ人が立っていた。


 赤みのある髪は肩近くまで伸びており喪服を身に纏っている女性だ。

 その両手には生まれて間もない赤子を抱いていた。


 隣には籠を両手で持ったエメラが立っている。


「……ルヒーナ」


 クリストルの妻だ。


 息が乱れる。


 彼女のその緑の瞳が永劫と錯覚するほど俺を突き刺してくるように感じた。


 背筋が凍り思考が定まらない。


 むざむざクリストルを死なせた俺に言いたいことが山ほどあるだろう。


 それを俺は全て受け止めなければならない。


 それは慣れている。

 慣れているはずなのに、なぜこんなにも恐ろしく感じるんだ。

 

 そして、ルヒーナが動いた。


 身体こそ身動き一切取っていないが俺の心は身構えている。


 だが、ルヒーナは俺の目の前まで歩いて深々と頭を下げた。


 ……は?


 罵詈雑言を浴びせられると思っていた彼女の予想外の行動に俺は理解が追いつかなかった。


「アリシアさん、ありがとうございます。エメラを助けてくれて」

「だ、だけどクリストルは」

「夫はエメラが無事で安心しているはずです。……だって、あんなにも笑顔だったんですもの。……本当にありがとうございました」


 ルヒーナが再び頭を下げるのに合わせてエメラも頭を下げた。

 

「ありがとう、ございます」


 違う。俺はお礼を言われるようなことは何も……なんで、そんな強く……


「では、これで」


 ルヒーナとエメラは俺たちを通り過ぎて墓の前にお供え物を置き始めた。


 俺は唖然として動けなかった。


「アリシア、帰ろっか」


 戸惑っている俺をリウォンが手を引いて歩き始める。


 俺の去り際にフィリアさんが「あなたがいなければクリストルだけでなくエメラも助かりませんでした。自分を責めては駄目ですよ」と声をかけられた。

 

 ……だとしてもクリストルは死んだじゃないか。

 何で、なんで誰も責めてくれないんだ。


 俺はまた守れなかったのに。

 また俺だけが生き延びてしまったのに。


 家に入るとリウォンが徐に俺の額に手を乗せた。


「まだ、熱あるね。部屋で寝てて。ご飯は私が作るから」


 何事もなかった、普段通り、そんな口調に戻ったリウォン。

 だが、俺は家に入った扉の前から動けずにいた。


「アリシア?」

「なんで、なんで誰も責めないんだ。俺は救えなかったのに……」

「フィリアさんやルヒーナも言っていたでしょ」

「わかってる!」


 声を荒げて顔を上げる。


 リウォンと目が合い彼の顔は何か驚いたように唖然としていた。

 俺は気にせず言葉を続ける。


「わかってるんだ。皆が言うことは。ルヒーナやエメラが悲しみに沈んでいないのに俺がこんな気持ちになっていることがおかしいことも」

「それは違う!」


 今度はリウォンが声を張り上げてきっぱりと俺の言葉を否定した。


「おかしくないよ。目の前で友人が死んだんだよ。悲しまないほうが変だよ」


 まるで自分の事のように悲しい表情をするリウォン。


「変? 仲間の死を引きずっては前に進めない。死を無駄にしないためにも前を向かないといけないんだ。俺は、そうやって生きてきた」

 

 俺は力なく早口で呟いた。

 

 だが、それが全てのピースを埋めたかのようにリウォンは何かに気が付いたようだった。


「そうだったんだ。……アリシア!」


 いきなり、リウォンが俺を両手で抱きしめてきた。


「お、おいいきなり……」

「それがあなたの王としての生き方だったんだね。だけど、もう、我慢しなくていいんだよ」

「な、なにを……」

「今のあなたは魔王じゃない」


 俺の中で何かが崩れるような音がした。

 

「自分の生きたいように生きていい。笑いたいときに笑えばいい。泣きたいときに泣いていいんだ。周りだけじゃなく自分のことも考えて」

 

 目頭が熱くなる。

 こんな感情、とうの昔に忘れていた。

 

 心の奥から溢れてくる。


「あなたは感情がないんじゃない。押し殺していただけ、気を張り続けていただけ。……もう一度言うよ。自分の好きなように生きて」

 

 俺の頭を撫でながらその優しい言葉が我慢の限界を超えた。

 

 俺は魔王として一人一人の死んでいく兵たちを弔う時間も惜しいほどに戦争に明け暮れていた。

 それも全ては魔界を、民を守るため。

 どれだけ冷酷と揶揄されようがそれが自分の取るべき行動だと貫いてきた。

 そして、いつしか自身の気持ちを心の奥底に閉じ込める術を身につけた。


 だから、四天王の一人であり一番仲が良かった友が帰ってこなかったときも自分でも冷たいと思うほど冷静に受け止めていた。


 それが魔界と民を導く魔王の役目。


 だけど、俺はもう魔王じゃないのか。

 なら、いいよな。

 自分に正直になって。


「……お、俺は……ああ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 この日、俺は枯れたはず……いや何年も溜め込んできた涙が一気に溢れだしてきた。


 泣き叫ぶ俺をリウォンは優しく背中を撫でて宥めてくれる。

 

「……リウォン」

「なに?」

「俺はもう誰も死なせない。仲間は全員守ってみせる」

「そう、それは私も入ってるの?」

「……当たり前だ」

「そう、期待してる」


 俺の涙で腫れた目を笑わずに真剣な表情で頷いてくれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る