第17話 乱れる心


 身体を激しく打ち続ける豪雨。

 夜ということもあり視界はかなり悪い。

 

 村と森を繋ぐ門から薄らと人の影が見えるぐらいだ。


 その影はかなり大きく、ゆたゆたとこちらに歩いてきている。

 今にも躓いて倒れそうだ。


 現在の村の状況的に普通ならば魔物と警戒する場面だろう。


 だけど、私にはわかった。

 あれは魔物なんかじゃない。


 姿が見えたときその女性は身体の半分以上が黒く染まっていた。

 それがさらに不気味さを際立たせている。


 フィリアさんが私に追いつき隣に立つ。

 

「あれは魔族?」


 恐らく深淵の気配を感じたのだろう。


 さすがのフィリアさんも魔族、それも深淵を操る上位魔族が相手となると警戒を強めたようだ。


 変わり果てたその姿。


 私は自然と涙が零れていた。

 今のこの魔王の姿にはあまり似合わない。


 だが、その涙も雨に混ざりこの場の誰も、といってもフィリアさんぐらいだけど気付くことはなかった。


「……アリシア」


 警戒するフィリアさんを置いて前に出て迎えに行く。


 そこで私はようやく気が付いた。


 目の前の変わり果てた姿となった女性。

 アリシアはエメラを抱いて、クリストルをおぶっていた。

 

 そして、アリシアと目が合った。

 

「リウォン、頼む。頼むから、クリストルを」


 弱々しく縋る声が耳に入ってくる。


 私は驚きで返答を忘れてしまった。


 いつもの気丈で自信に満ちあふれている瞳は見る影もなく酷く揺れていたからだ。


「!!」


 アリシアが地面に寝かせたクリストルを見て私は目を見開いてしまう。


 横腹を抉られており意識はない。


 いや、これは……既に。

 ……本当に寝てるように、何の心配もなさそうに笑みを浮かべていた。


「!! クリストル!」


 フィリアさんもクリストルが既に息がないことに気が付いた。

 驚きはしていたがすぐに腰を落として彼の頬に手を置く。

 

「……立派に娘を守ったのですね」

 

 慈愛に満ちた声でそう語りかけた。


「泣いて悲しむ者は私ではありませんから」

 

 そう呟く声は震えていた。

 もしかすると、雨に紛れて見えないだけかもしれない。


「お、おい。どうなんだ? 治るのか?」

 

 ……アリシア。


 今のアリシアは私以外が視界に入っていない。


 正気じゃない。


 いつものアリシアならば一目見ればクリストルの状態が分かるはずなのに。

 

 けど、それも当然と言えば当然だ。


 いつ意識が失ってもおかしくないほどの傷を負い、さらに侵食が進んでいることもあり意識が朦朧としているのだろう。

 この状態を見てもまだクリストルが生きているって思い込んでいる。


 いや、もしかするとクリストルの死を信じられずそう自分に言い聞かせているのかもしれない。


「アリシア、じっとしてて」

 

 その様子にどれだけアリシアが頑張っていたのかわかり目頭が熱くなる。

 溢れ出ようとする感情をぐっと堪えて私はアリシアの治療をしようとする。

 

 だが、それはアリシア本人に阻止された。


「俺は大丈夫だ! 先にクリストルを!!」


 その必死さに私はぐっと胸が苦しくなる。


 今は考えている状況ではないのに私の頭の中に疑問が浮かび上がる。


 ……アリシア、どっちなの?


 人が死んでも仕方がないって。

 それが仲間だとしても平然に言っていたのに。


 だけど、今のアリシアの必死さがその言葉を否定している。


 どっちが本当のあなたなの?


 ゆさゆさと身体を揺さぶられ続け、そこで意識が引き戻される。


「なぁ、はやく……」


 これ以上は埒があかない。

 教えてあげないとアリシアはずっとこの調子のままだろう。


 私は言葉を選んでアリシアが無意識に信じようとしていない事実を伝えようとする。


「クリストルはもうーー」

「もうって、なんだよ。はやくーー」


 私の言葉が終わらないうちに身体の揺さぶりがさらに強まり大声で捲し立ててくる。

 それが私の心の奥で沈めていた気持ちを爆発させた。


「もう死んでいるの!! 見てわからないの!? あなたならわかるでしょ!! ……はぁはぁ、あっ」


 急いでアリシアを見ると、もはや気力をなくしただ呆然としていた。

 譫言のように何かを呟いている。

 

「俺が助けにきたのに、守られて……クリストルが死んだ? 嘘だ、嘘だ!! 俺はまた仲間を……あ、アアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 アリシアは叫びながら自分の頭を何度も地面に叩きつけ始めた。

 だが、すぐに力をなくしその場に倒れてしまう。

 

「!! リウォンさん!! 急いで治癒を!! 早く!!」


 黙って傍観していてくれたフィリアさんが掌を突き出していたことから彼女がアリシアを眠らせたことはすぐに理解した。


 私はフィリアさんの言葉と同時に聖力を発動させる。

 

 “清浄の光ホーリーライト

 殆どの聖力を消費して発動できるこの光は大抵の傷を癒やす。


 瞬く間にアリシアを蝕んでいた不気味な脈動を打っていた黒の何かは引いていく。


「コホコホ……うっ! ゲホッ、ゴホッ!!」


 最初は口の中に少し血の味を感じた程度だったが、まるでそれは序章だったかのように濁流のように口から流れ始めた。


「大丈夫ですか!?」

「ええ、アリシアに比べたらこの程度」


 やがて、無数の傷もなかったかのように消え去り、乱れていたアリシアの呼吸は整い始めた。


 安堵が溜め息となって口から漏れる。


「立てますか?」


 フィリアさんが手を差し伸べてくれる。

 魔力が底を尽きかけ意識が朦朧もうろうとしているがまだ倒れるほどではない。


「は、はい」


 フィリアさん手を取って立ち上がる。


「リウォンさんはアリシアさんを連れて家に戻ってください。このままで皆さん風邪を引いてしまいます。……ルヒーナには私から伝えます」


 フィリアさんはエメラを抱いてクリストルおぶる。


「辛い役目をーー」

「それはこちらのセリフですよ。これは村長の夫人である私の役目。それよりもお二人の心には深い傷を……申し訳ありません」

「別れには……慣れてますから」


 そして、私たちはこの場で別れた。


 その後は流れ作業だった。


 眠るアリシアの着替えを済ませ寝室に寝かせてから私も濡れた服を替える。

 椅子に腰掛けた。


 この間、何も頭が働かない。

 何も実感が湧かない。

 

 ふと、目の前の机が目に入る。

 同時にそこにはアリシアとクリストルが楽しそうに言い合いしている姿が映った。

 だが、それもすぐに掻き消える。

 

 あれだけうるさかったクリストルはもう……。


 勇者として魔王軍との戦争の前線に立っていたから人の死には慣れている。

 昨日、同じご飯を食べた人が次の日に死ぬなんてことは日常茶飯事だ。


 そのはずなのにやっぱり親しい人がいなくなると心にぽっかりと穴が開いてしまう。

 こればかりは慣れないな。

 

 だが、アリシアの方がそれは大きいに違いない。

 ……仲が良かったからなー。


 そこで再び、やっぱりそれが頭に過ぎる。


 アリシア、あなたは人の温もりがなかったのじゃなかったの?

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