第16話 豪雨の中で

 誰……いや敵!!

 反射的に俺は魔剣を取り出そうとする。

 

 だが、途中で頭がぐらついた。


「おっと、させませんよ」


 一瞬の隙を突いて男が放った細い光線は魔剣を取り出そうとしていた俺の腕を貫いた。


「くっ……」


 顔を顰めながら振り向くとそこに長身の男が立っていた。


 頭には羊の角があることから魔族、それも山羊やぎ族。


 血がポタポタと腕にできた穴から流れていく。

 不思議と痛みは感じないが目が掠れて焦点が合わない。

 

「弱小部族である山羊族が俺に何のようだ」


 すると、男はくつくつと笑い出した。


「いやはや、私の傀儡となった獰猛種どうもうしゅの反応が消えたと思ってきてみれば、これは大収穫ですね」


 その言葉が全ての解答を示していた。


 獰猛種が傀儡? 

 ……まさか、こいつが元凶!?

 

 ばくばくと鼓動がうるさい。

 目眩すらも出てきた。

 どうなっているんだ……俺の身体。

 

 それでも俺は表には出さずに平然と話し続ける。

 

「大収穫? 失敗の間違いじゃないのか? 貴様の頼みの綱の獰猛種はもういないぞ」

「いえいえ、元はこの先の村を滅ぼして人界侵攻の足掛かりにするつもりでしたがまさかここで死んだはずの勇者に出会えますとはね」

 

 人界を攻めるだと?

 そんな余裕、今の魔界に。

 

 そのときまたも光線が飛んできた。

 

 俺はそれを手で弾く。

 さっきは油断してもろに受けてしまったが、警戒していればこんな攻撃なんともない。


 躱すことも可能だが後ろにはクリストルたちがいるため流れ弾が当たる可能性を危惧した。


「ほう、よく防げましたね。しかし、その満身創痍の身体でどれだけ保つか見物ですね」


 満身創痍?

 こいつは何を言っている。

 この程度、掠り傷だろ。


 俺は力を入れて地面を蹴ろうとした。

 しかし、身体は動かない。


「は? なんで……」


 それどころか力なく膝が落ちてしまった。

 いくら力を入れようとも震えるだけで全く力が入らなかった。


「貴様、何をした!!」


 しかし、男は俺の言っている言葉が理解できないのか首を傾げている。


「何をと申しましても……はぁ、全く勇者とは殊勝なものです。己の身を考えれば当然のことでしょう。……血を流しすぎなのです。まさか、今までお気づきになられていないので?」


 は? この程度、今までなら……今まで。

 そこで気が付いた。

 自分に怒りが沸いてくる。


 俺は何度同じ間違いをしたら気が済むんだ!!

 

「勝算なく私自ら出向くことなどしません。私が出てきた時点であなたは負けているのですよ。……勇者を討ったとなれば魔王様も喜んでくれることでしょう。では、死んでください」


 そう言って男は俺に向けて掌を向ける。


「バメット・ジェークリ。勇者を屠るものの名です。覚えておいてください。“消滅キルアーク”」


 バメットの掌にバチバチと電気が迸る。


 相手に何もされずただ出血量で動けなくなっているだけだと……。


 巫山戯るなよ。

 動け動け動け動け!!


「うおおおおおおおお!!」


 俺は最後の力を振り絞り魔力を放出する。

 無理やり身体を持ち上げようやく立ち上がった。


「見事、しかし遅――」


 そのとき、バメットの体勢が崩れた。

 クリストルが思いきりタックルをかましたのだ。


「いけ!! アリシア!!」


 俺は右拳を強く握る。

 そこに全ての魔力を右手に集中させる。

 そして、大きく腰を曲げ全力の拳を振り抜いた。

 

「おおおおおおお!!」


 俺の拳はバメットの顔に突き刺さり大きく弾き飛ばした。

 木々をへし折りながら吹っ飛んでいくバメット。


 終わったか。

 ふらふらと倒れそうになる俺をクリストルが支えてくれる。


「馬鹿野郎。止血ぐらいしろ。俺よりも重傷じゃないか」

「すまんな」


 ……助けに来たはずなのに情けないな。


「エメラは」


 しかし、俺がその言葉を言い終えることはなかった。

 その瞬間、後方からドンッ!! という音ともに地面が揺れたのだ。


「貴様ら!! 許さんぞ!!」


 思わず耳を塞ぎたくなる怒号が森に響き渡る。


 俺たちは咄嗟に振り向くと右頬を腫らし血を目が充血しているバメットが鬼の形相でもう寸前まで迫ってきていた。


 山羊男の右手は先程の消滅キルアークが宿ってバチバチと魔力が弾けている。


 絶体絶命の状況、深淵を使うことは先程から考えていたが発動するまで時間が足りない。


 もう少し、もう少し時間が……。


 だが、そんな願いも虚しく容赦なくバメットはその腕を俺に向けて突きだした。


 躱すにも身体は上手く動かない。

 これは終わった。


 この程度の奴に倒されるとは、ほんと情けな……


 だが、トンッと俺は身体が蹌踉めき体勢を崩してしまう。


 は? 何が……


 目を向けるとクリストルが俺を突き飛ばしていたのだ。

 クリストルは笑っていた。


「クリストル!!」


 そして、バメットの右腕はクリストルの横腹を抉った。


 クリストルはゆらゆらと身体を揺らしながら仰向けに倒れてしまう。


「あっ、あああああああああああああ!!」


 気が付けば膝が崩れ落ちていた。

 心の中は自問自答で溢れかえっている。


「ちっ、余計なことを、助けたところでただ命を先延ばしにしただけに過ぎんことがわからんのか」


 バメットはゴミを見るかのような目で倒れたクリストルに吐き捨てる。


「……おい、貴様。調子にのるなよ」


 自問自答を繰り返していた俺の頭の中はついに容量を超え真っ白に染まってしまった。

 じわじわと何かが心に生まれ、支配されていく。


 この湧き出る気持ちは怒りだ。

 

 すると、いつの間にか身体に力、いや魔力が漲っていた。


 そのことがさらに苛ついてくる。

 なんで、こんなになってから……。

 

 そのとき雨が降りだした。


 かなりの勢いで痛みを感じるくらいだ。

 だが、ちょうどいい。

 

 少し頭が冷えて冷静になれた。

 

 俺はバメットを睨み付ける。

 バメットは顔を引き攣りながらも笑みを浮かべた。


「ようやく、聖力の登場ですか。ですが、それに何の対抗策もないと……は?」

 

 そこでこいつはようやく気が付いたようだ。

 俺が纏っているものが聖力ではないと。


「そ、それは深淵!! な、なぜ、勇者であるお前が……」

「貴様が知る必要はない。消えろ。“次元の裂け目ディメンションクラック”」


 俺は手を突きだす。

 

 その先の大気に罅が入る。


「大気が割れ、ま、まさか、おま、貴方様は」


 そして、罅から覗いたのは虹色の空間。

 バメットの言葉が途中にしてその身体はその空間に吸い込まれていった。


 吸い込まれた本人はなにも自覚してないだろうが。


 俺は一息も置かずすぐに倒れるクリストルの元に駆け寄った。


「クリストル!! 大丈夫か!!」


 そう尋ねたが我ながら馬鹿な質問だ。

 右腹が抉られ欠けていることのどこが大丈夫なのか。


「っ、アリシア、……その、姿。……手当てを」


 クリストルは掠れる目で俺を見て少し驚きつつもすぐに冷静に呟いた。


 確かに俺の身体はもの凄く熱が宿っている。

 火傷しそうなぐらいだ。


 さらには深淵を使った副作用で身体が黒ずみ始めているのだろう。


 だが、今は俺の身なんてどうでもいい。


「クリストル!! 待ってろ、すぐに村に戻って」


 だが、俺が手当てをしようとした手をクリストルは握りしめてきた。

 それはもう手遅れだと言わんばかりに。


「アリ、シア。エメ、ラを、ルヒーナを、そして、生まれてくる子どもを頼む」

 

 俺の腕を握りしめながら涙を零し掠れる声。

 俺の心はくしゃくしゃになってしまう。

 

「俺じゃなく、お前が守っていくんだ!」


 手当ては無駄と諦め、俺はクリストルを背負い、倒れているエメラを抱きかかえ走り出す。


「すぐに村に帰る。それまで耐えろ!! 村にはリウォンがいる。あいつならすぐに治してくれる」


 リウォンも聖力の使用によるデメリットがあるがそれでも自分から進んで使ってくれるだろう。


 

 そこまで考えて俺は心の中で舌打ちをした。


 なぜ、俺は治癒魔法が使えないんだ。

 この場にリウォンがいれば……。


 ……なぜ、助けに来た俺が守られた。

 

 全ては己の慢心。

 それが心で強く響く。

 

 もはや、全てを出し切り動くことができないはずの俺の身体。

 

 それを再び深淵の魔力をことによって半ば強制的に動かしている。

 まるで炎の中に飛び込んだかのように熱い。

 

 その分、魔人化が進んでいるだろうが、こいつを助けることができるならそれでいい。


「なぁ、聞いて良いか」


 突然、背負っているクリストルから掠れた声が漏れるように聞こえた。

 俺は戸惑いながらも頷く。


「ああ」

「勇者って本当なのか」


 秘密にしていることでもないし、もう打ち解けてもいいだろう。


「……勇者はリウォンで俺は魔王だと言ったら驚くか?」

「ははは、それ、は、驚く、な」


 力なくクリストルは笑う。


「魔王か、思っていた、のと違うな。優しく明るい、会ってみないと、わからない、もんだな」

「さぁ、それはどうだろうな」


 俺も笑ってみせる。

 本当に笑顔を作れていたかは自信はないが。


「アリシア、ありがとう。……エメラを助けてくれて。俺、一人じゃ、無理、だった。……ありがとう」

「助けて貰ったのは俺の方だ」


 そして、ようやく森を抜け村が見えてきた。

 

 いつの間にか雨の勢いが凄まじくなっており、影しか見えないが村の門であることには間違いない。


 深淵を使っているとはいえ我ながら凄まじい速度だ。


「おい、クリストル。もうすぐだ!」


 だが、声は帰ってこなかった。


 俺は門を潜り、そこで足を止めた。


 そこで気が付いた。


「おい、クリストル」

 

 やはり、返事はない。


「おい。……なぁ、冗談はやめろ。……やめてくれ」


 心では分かっている。

 だけど、それを信じたくない。


「頼むから、喋ってくれよ」


 信じたくないけど、現実はーー


 なぁ、誰か、リウォン、こいつをこいつの命を救ってくれよ。仲間なんだ。もう仲間は失いたくないんだ。まだ、我慢しないといけないのか。

 

 目頭は熱くなるが何も零れてこない。


 とうの昔に、魔王となったときから俺の涙は枯れてしまった。

 いや、耐えることに慣れてしまったのか。

 涙の零し方が分からない。

 

 お願いだから助けてくれ……。

 

 ……そこから先はよく覚えていない。


 目が覚めると俺は自室のベッドの上だった。

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