第3章 雨の降る森
第11話 気まずい空気
この村に来てから一ヶ月が過ぎようとしていた。
俺はリビングで椅子に座り机に置かれた湯飲みに入った茶を
特に会話もせず俺の横に立っている男、前までの俺の姿をしたリウォンは離れていく。
そして、俺の対面にも湯飲みを置いた。
「リウォン、悪いな。毎度毎度」
その席には金髪でこの村、アーエルグ村の若者たちのリーダー格であるクリストルが座っている。
ちなみに彼が言うようにこの家が完成してから度々と訪ねてきている。
主に仕事の休憩や世間話に来たりなど、後は村の警備体勢の相談などを受けている。
それもこれもこの間に森で行った魔力の試しを見たクリストルが見たせいだが。
こいつが俺たちの実力にようやく気が付いたらしく頼りにしてくれているのだ。
……本当は俺たちではなくリウォンを頼りにしている。
本音を言えば、ちょっと悔しい。
だからと言って力を見せつけるなど幼稚なことはしないが。
で、ここで疑問が生まれる。
なぜ、俺がこいつの話し相手になっているのか。
本来であれば湯飲みを出すのは俺の役目だ。
フィリアさんに仕込まれた美味しいお茶の入れ方を見せつけるチャンスだったがそれはリウォンに奪われてしまった。
しかし、認めるのは癪だがこいつの茶もうまい。
俺はチラリとクリストルの前に湯飲みを置いたリウォンを見る。
しかし、リウォンはお盆を台所に置いてそのまま外に出て行った。
と、まぁこの調子でクリストルも言葉を掛けづらくしている。
「ったくよぉ〜。いつまで喧嘩続いてんだよ。あれからもう大分経つだろ」
「俺に聞かれても分からないよ。第一、喧嘩じゃない。普通に喋ったりしてるし、ただ素っ気なくなっただけだ」
「なんか気に障ることでも言ったんじゃないか? 俺が言うことでもないけどよ。夫婦仲は円満が一番だぞ。俺のようにな!」
ニカッと笑うクリストル。
夫婦、ね。
まさか俺がそう呼ばれる日が来るなんてな。
戦争ばかりのあの頃では考えられなかった。
しかし、扱いは嫁の方だが。
「しかし、珍しいな」
「何がだ?」
「普通はこう機嫌が悪くなるのって嫁さんの方じゃないか。旦那の不満を愚痴りにくるなんてよく見る光景だ。なんか、お前たちを見ていると喋り方も性格、全部して逆に見えるんだよ」
ギクッ!!
と、最初こそ驚きはしたがよくよく考えてみればこんな口調だとそう思われても仕方ないか。
身体が変わったこと以外、昔と何も変えてないからな。
リウォンは違和感がないように男性として振る舞って……いや、そもそもあいつは昔から男性として過ごしてきたらしいからあまり変えていないのか。
違和感をなくすためにもそろそろ俺も変える努力はしたほうがいいのは分かっているが……。
振る舞いはあいつがうるさいから淑女のようにできていると思うが……口調はな〜。
まだ、村に来てから一ヶ月、決戦からは二ヶ月。
俺にとってはあっという間の出来事だった。
だけど、日に日に俺の中にある魔族として俺が消えかけているような気がする。
このまま口調まで変えてしまえば元の俺は完全に消えてしまう。
そんな気がしてならない。
別に俺は元々名前すらなかったただの魔人族だ。
運良く魔王になれただけで、自分が消えることに何も思わない。
そもそも俺はあの決戦で死ぬと思っていたため今更考えることなどない。
だが、俺を慕って付いてきてくれ、散っていった多くの配下たちのことは別だ。
あいつらの上に立ち、生き残ってしまった者の責務として忘れてはならない。
と、そこで俺はクリストルと会話していることを思い出す。
「まぁ俺も色々あるんだよ」
この村の人たちなら全てを告げたとしてもとやかく言わずに歓迎してくれると思う。
しかし、自分から言うことでもないし聞かれない限りは言うつもりはない。
「お、おう。なんだそんな悟ったような顔して」
「それよりもお前の方こそここで油を売っていてもいいのか? もうすぐなんだろ?」
「ああ!! そうなんだよ!!」
一転して本当に嬉しそうに顔を綻ばせるクリストル。
クリストルの妻であるルヒーラは妊娠しており、もうすぐ予定日を迎える。
いつ産気づいてもおかしくない。
「って!! いやいや、俺だってここには警備の相談として来ているからサボっているわけじゃないぞ。終わればすぐに帰るつもりだ。そんな、まさかこの俺が大変な時期の妻をほったらかしにするわけないだろ」
「……だったら、なんで何度も来るんだよ」
「それは、だな……分からない点があって」
「またか」
また、いつものことながらクリストルは懐から出した村の全体図を広げ俺に防衛設備の穴がないか尋ねてくる。
俺は溜め息交じりにも真剣に考えて的確に教えていく。
こう一目見ただけすらすら言えるのは何も即興で思い付いているわけではなく、これが最初ではないからだ。
「……」
ふんふんとクリストルは頷いているが分かっていそうにない。
「しょうがないな」
口答だけではなく俺はペンを持ち問題点をその地図に直接記載していく。
「お前、本当にすごいな。頭が良いんだな」
「……経験の差だ。しかし、今防衛設備を見直さないほど切羽詰まっているのか?」
こう言っては何だが俺が指摘した点は急を要するものではない。
なんなら今は出産間近の妻の心配をした方がいい。
だが、何度も何度も訪ねて真剣に聞いてくる。
つまり、彼には何か不安に感じることがあるのではないかとそう俺は感じた。
クリストルはふっと笑った。
「いや、まぁ、そのなんだ……森がざわついているような気がするんだ。何の根拠もないただの俺の勘だけど」
「いや、そういう勘は大事にした方がいい」
そういうことなら尚更真面目にしないとな。と、息込んだそのとき、トントンと外から扉が叩かれた。
「?」
俺は立ち上がり扉を開こうとしたがその寸前と外から声が聞こえてきた。
「エメラちゃんどうしたの?」
リウォンの声だ。
俺は扉を開くと、日は落ち始め夕暮れの空が視界に入った。
視線を落とすと膝を曲げているリウォンとその横に立つ年端もいかない少女の姿を目にする。
その少女は見知った顔だ。
「おおーエメラじゃないか」
俺はその幼い子どもを見てついつい笑顔になる。
しかし、この少女はどこか息を切らしていて少し視線も泳いでいる。
「エメラ、おとうさん、さがしているの」
俺はふっと笑い、未だに村の全体図と睨めっこしているクリストルに声をかける。
「おい、お呼びだぞ。お父さん」
「は? え、エメラじゃないか! どうしたんだ?」
エメラ。クリストルの娘だが、茶髪で可愛らしい顔から父親に似ても似つかない。
完全に母親似だろう。
クリストルがそう自分の娘に優しく尋ねるとエメラは目を潤ませた。
「おかあさんが、おかあさんが」
そう辿々しく涙を零しながら呟くエメラ。
いつも好奇心旺盛で元気な少女で性格だけはクリストル似ではないかと思うほどだが、今はそんな欠片はない。
これだけで緊急事態であることは容易に理解できる。
「!? すまん、アリシア、リウォン! 後は任せて良いか!?」
「ああ!!」
「うん!!」
俺とリウォンが同時に頷いてクリストルはエメラを抱いて走って行った。
「大丈夫かな」
「大丈夫さ」
ふと、俺とリウォンは目が合うが、すぐにリウォンはぷいっと目を逸らす。
……久しぶりに目が合ったな。
クリストルの奴は機嫌を取れって言っていたが、どうしたものか。
「……俺なんかしたか?」
考えた結果、出てきたのはこんな言葉だった。
我ながら情けない。
「ごめん、あなたは悪くない。これは私の問題だから」
そう暗い表情で言われてしまうとこれ以上は言葉が出ない。
「ねぇ、何の話をしていたの?」
「……は?」
リウォンは家に入り広げたままの村の全体図を覗き込む。
「任されたことはしないと」
目を背けながらリウォンは答える。
まだ、ぎこちないがどうやらリウォンも歩み寄ってくれているように感じた。
「ああ、一から説明する」
この後、リウォンに俺が見落としていた村の防衛設備の穴を突かれちょっと悔しい思いをした。
これには自信あったんだけどなー。
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