第10話 揺れる思い
私の頷きとともにアリシアが力を込めようとする。
あっ、言い忘れていた。
「アリシア、危ないって思ったらすぐに止めるんだよ」
「ああ、分かってる。ったく、俺は子どもじゃないんだぞ」
唇を尖らして面倒くさそうに返事をするアリシア。
だけど、こう言っておかないと無理しそうだし。
あまり、心配をかけないで欲しいんだけど…………心配?
ちょ、ちょっと待っていつの間に私、アリシアの心配なんて……。
アリシアは魔王。勇者の私とはわかり合えない存在。
それはいくらいくらあの戦争に裏があったとしても同じ事。
昔からそうだった。
そ、そう、これは私の身体に対しての心配。
別に魔王の心配なんて……。
……それに、私、この状況をたの――
「いくぞ」
そんなことを考えている内にアリシアは突き出した右手に“深淵”という魔力を発動し集中させる。
……この問題は後! 今はアリシアに集中!。
私は頭を切り替えてアリシアを見守ることに集中する。
深淵はまさに魔族の魔力と呼ぶに相応しく闇のように呑み込まれそうになる黒だ。
決戦のことを思い出してついつい苦笑いを浮かべてしまう。
誰にも防がれたことのなかった聖力を簡単に打ち消されたときはほんと悪夢だったわ。
「……お前みたいな拒絶反応はないみたいだ」
自分の身体を確認しながらアリシアは平然とそう言う。
「そう、みたいだね。ところで、それは魔族全員が使えるの?」
「いや、魔族だからといってそうポンポンと使えるもんじゃない。それなりに力のあるやつしか使えない。なんでそんな……ああ、そうか。安心しろ。お前の聖力とやらを対処できるのは恐らく俺だけだ。俺の深淵は魔族の中でも飛び抜けていたからな」
私の考えを読んでかそう答えてくれる。
「お前が戦った四天王も深淵を使っていたはずだ。俺と戦って驚いていたことを考えるとあいつらの魔力は別に気にならなかったんだろ?」
「そう……深淵って言っても人によって力の優劣があるのか」
「今はこんな
さらに突っ込んで聞くと深淵は魔族特有の魔法を使うために必要だとか。
大臣が私に持たせた魔滅の杖に込められていた自爆魔法“
あの魔法も深淵でなければ発動できないらしい。
つ、つまり大臣は魔族と繋がっていたと……
「ところで、リウォンさん」
「なに? 今ちょっと考えているんだけど……って!? えっ!? 何それ」
思考を邪魔されてイライラしながらもぱっと目を向けると深淵の魔力を集中させているアリシアの右手が黒く染まりつつあった。
「は? どうなってんのそれ」
「いや、俺も分からねぇよ!!」
「とにかく! 魔力を解きなさい!」
私の言葉に従ってアリシアは魔力を解除する。
だが、解いたところで黒く染まった腕は元に戻らなかった。
染まった部分は血管が浮き出ており何やら脈動している。
「お、おい止まらねぇぞ!!」
アリシアの言う通り、深淵を解いたはずなのに腕に染まった黒は彼女の透けるような白い肌を塗りつぶそうと侵食している。
……な、何か変わってる?
何かは分からない。だけど、そんな予感がした。
だが、それにアリシアはすぐに気が付いた。
「この感じ……魔族になりつつあるぞ!!」
「は? え? そんなことあり得るの!?」
「そもそも、人の身体で深淵を使うこと自体があり得ないことだ。身体が深淵に順応しようとしているのとしたら!!」
「このままだと、私の身体は魔族になる!?」
恐らく全身が黒に染まったときそのときは訪れる。
それだけは何としても回避しないと!!
でも、どうすれば……。
アリシアもそんな方法は知らないはず。
こう考えている間にも右手を完全に黒に染め、さらに身体に蝕み始めている。
どうにかして深淵を打ち消す方法がないと……どうしよう!!
……あ。
「アリシア! 右手貸して!」
私はアリシアの右手を掴んで聖力を発動する。
「お、おい」
「黙ってて」
聖力を右手に当てるが何の反応もない。
「お前、血が……」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」
口の中に広がる鉄の味に顔を顰め、身体中に激痛が走る。
それでも発動した聖力を止めることはしない。
そのとき、私の予想通り右肩まで到達していた黒は吸われるように引き戻され始めた。
やった!!
嬉しさに思わず顔が綻んだ。
だが、身体に走る激痛がそんな笑顔をすぐに崩させる。
「あと、ちょっと……」
歯を食いしばりながら聖力を注ぎ込み続ける。
そして、何とか深淵を全て消し去ることに成功した。
「……終わった」
「おおー流石!!」
込めていた聖力を止めると、その途端に身体から力が抜けた。
ふらっと蹌踉めきそのまま地面に膝をつく。
「おい、大丈夫か」
「大丈……いや、ちょっと疲れたかな」
しばらくその体勢で休み息を整えて立ち上がる。
その際に口元から血が垂れていることに気が付き袖で拭う。
「リウォン。気が付いたことを言っていいか?」
私が立ち上がってすぐにそうアリシアが尋ねてくる。
「うん。どうぞ」
私が休んでいた間、アリシアは神妙な面持ちで佇んでいた。
今の出来事に何か気付いたことがあるのか気になっていた私はすぐに頷いた。
「俺の腕が深淵に冒されたとき、魔族になりかけたって言ったけどあの感じ魔人族と同じだった」
「魔人族ってこの身体の?」
「ああ」
「でも、それってどういうこと?」
「あのまま深淵に完全に呑み込まれていたら魔人族になっていたかもしれない。……あくまで推測だけど」
「……そもそも人間が魔族ってあり得るの?」
「言っただろ。そんなこと見たこともないし。人間が深淵を使うこと自体が異常なんだよ」
訳が分からない。人間が魔族にだなんて……あっ、ちょっと待って、何かとんでもないこと思い付いたんだけど……。
「まさかだけど、アリシア、あなた、元々人間だったなんていうことはないんだよね?」
「俺は生まれたときから魔人族だ。まぁ、魔人族は魔界では弱小部族だからな。数は少なく隠れて過ごしているが」
どうやら私の考えは間違いだったようだ。
そもそもただの人間が深淵をどうやって持つことができるのか。
アリシアも有り得ないって言っていたからこの考えは無理があるな。
「アリシアはどう考えているの?」
「い、いや特に何も」
「ふーん」
これは何か考えがあるな。
だけど、言いたくないなら無理に聞くことでもないだろう。
と、考えつつも吐けと視線で訴えてみる。
「と、とにかく、俺たちは聖力と深淵は使ったら駄目だ」
私の視線に耐えきれなくなったアリシアは逃げるようにそう言う。
これ以上は止めてあげるか。
考えが纏まったときに話してくれればそれでいいや。
「そうだね」
深淵の侵食による魔人化は聖力を使えば阻止できるけど、その聖力が私には身体の負担が大きすぎる。
よっぽどのことがない限り、使わないようにしよう。
「まぁ、元の身体に戻ってももう戦いたくないし。戦争は終わりにしたい。人と魔族が手を取り合える未来になってくれれば有り難いんだけどな」
「私もそう思う、けど」
言っていることはアリシアが正しい。
魔族と人族が手を取り合い平和の世の中になる。
それは私も思い付く理想の未来だ。
だけど、その言い方にどうしても引っかかることがあった。
「アリシアは、そんな簡単に割り切れるの?」
「何がだ?」
私の問いに思い当たる節がないのかアリシアは首を傾げる。
その反応に私はつい苛ついてしまう。
「私は戦いの中で仲間たちが死んでいく姿を何度も見てきた。昨日、笑って語り合っていた人たちが次の日に死ぬなんて当たり前。そんな中で生きてきた。死んだ仲間には家族がいた。埋葬するときのあの涙は……忘れられない」
私は勇者に任命された日からの激戦を思い出してつい涙目になる。
「その人たちのことを思うと魔族と手を取り合うことができるのか」
もちろん、アリシアやフィリアさんのように話が通じ心優しい魔族もいることを知った。
だけど、人にとって魔族は殺された仲間の仇。
それは魔族も人に対して同じ気持ちを抱いているだろう。
だが、同じように仲間を失ってきたはずのアリシアが口に出したのは衝撃の一言だった。
「それが戦争だ。仕方ない」
顔色一つも変えずにただ冷酷に言い放った。
「ど、どうしてそんな事が言えるの!?」
「な、なんだいきなり大声なんか出して」
「死んだ仲間たちのことを考えると戦うことは止められない。それは憎しみの連鎖だって分かってる。だけど……」
「そんなことを考えても無駄だ。俺たちは今を考えるべきだ」
「ッッ!!」
自分でも感情的になっていることは分かっている。
アリシアが言っていることは正しい。
人と魔族が手を取り合う世界。
戦争がなくなるならそれに越したことはない。
だけど、あの戦争はお互いにたくさんのそれも数え切れないくらいの死傷者を出したはずだ。
正直に言うとフィリアさんやアリシアと接してきた今でも私はまだ魔族を憎んでいる。
でも、な、なんでアリシアはそんな何もなかったように割り切ることができるの……。
「手を取り合うなんて……あなたたちに殺された人はいっぱいいるのよ」
「魔族も多くの犠牲者を出した。被害は人族よりも多いまである。それでおあいこだ」
なんでそんな冷静に判断できるの……。
感情の揺らぎが一切感じられない。
敵はまだしも仲間のことまで数でしか見ていない。
いや、そもそもアリシアは常に戦争の中で暮らしてきた。
それも弱小部族だったという魔人族では尚更生死の感覚が疎くなっているはずだ。
冷静に判断できるのも当然と言えば当然だ。
そう頭では分かっているが感情が制御できない。
だけど、アリシアは他の魔族と違うと……そう思っていた。
いや、願っていたのかもしれない。
アリシアを悪くは思いたくない。
だけど、だけど!!
仲間の死に対してもそんなそんな冷静に!!
少し怖いと感じてしまった。
「お、おい。本当に急にどうしたんだよ」
俯いている私の肩にポンと手を乗せる。
怖いと感じているのにその手が温かく感じたのにも少し嫌気が差した。
「……仲間は駒じゃないよ。確かに血が流れて生きているんだ」
私が顔を上げるとアリシアは驚いたように目を点にしていた。
そして、私は手を振り払い走り出す。
「おーい。お前ら一体何してるんだ。凄まじい魔力を感じて村は今……うわ!!」
何やらクリストルの声が聞こえぶつかったが今は気にしている余裕はない。
無視して私は走り続ける。
「(どうしたんだ?)」
「(…………)」
私はそのまま家に入り自室に飛び込んだ。
扉を閉めてそのまま扉に背を付けてへたり込む。
「魔界だと一々仲間の死を考える余裕はない。わかってる。わかってる」
だけど、頭に浮かぶのは今までのアリシアの笑顔だ。
あれが嘘だなんて到底思えない。
確かにアリシアには感情がある。
だけど、人の生死になれば……。
あんなに無邪気なアリシアがあんなに冷淡に。
仲間の死を簡単に割り切って。
ただ偶然に身体が入れ替わってアリシアの気持ちなんて私には何も関係ない。
元に戻ったらすぐに別の道に進む。そのはずだ。
だけど、なんでこんなに胸が苦しいの……。
「……私が死んでも、なんとも思わないのかな」
絞り出した私の声は震えていた。
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