第10話

 それは酷く縁起の悪い顔をしていた。

 親が死んでももう少しマシな顔を万人はするであろう顔を上回る程、縁起が悪く、顔色も土気色で頬もゲッソリとしており、目には覇気と言う覇気が感じられない。

 ただそれを払拭するかのように圧力のような、エルを頭から圧し潰してくるような迫力がそこに在った。


「……対象を確保した」


「────」


 言葉が出なかった。どこかで出会っただろうか。

 ハッとする、数日前に出会っている事を思い出す。数日前エルが接待をした男と入札で競り負けたもう一人の男だった。

 この酷く夢見の悪い暗雲漂う虫の報せで半分ひり出していたクソを中断させられたかのような不機嫌そうな面を下げたこの男が、なぜここに。


「ぶっ、ブヒㇶイイイ―っ!」


 無様な声を上げて逃げ出すブロー・ジョブがタップリと着いた腹の肉を揺らしながら足を吹き散らしながら後部座席から飛び出て走って行く。

 何とも不細工な走り方か、顔つきの悪い男がインカムの通信ボタンを押しながら話す。


「モッキンバード。そちらに得物が一匹逃げた。腹に肉がたくさん付いている。轢いても構わんぞ」


 無骨な腕を差し伸べエルに表情を伺おうとしているのは分かる。しかしそんな事をいちいち気にしている程余裕がない。荒事に慣れたようなそんな感じがする。

 あまりにも冷徹に言うのでエルはギョッとしてしまうが、それよりも前にあの男が──。

 ブブブブッ、とバイブレーションの振動音のようなそれが聞えたと思ったその時、景気の悪い男の腕が弾け飛んだ。

 血飛沫を上げ、まるで腕の中から炸裂したのではないのかと思う様なそんな負傷の仕方、それもその筈。


「ごはっ、ゴホゴホ、っーぁあっ。やってくれたな。あ”あ?」


 エルを襲ったギロチンの手に握られた銃にしてはやけに小ぶりなそれをエルたちに向けていた。


「小型積層弾倉の高速散弾銃……、中華の廉価コピー品か」


 まるで腕の負傷も感じていないようなそんな様子であった。しかし男の負傷は素人目にも見ても明らかな重症。何せ右肘から先が無くなっている。

 無くなった先の腕だった物がエルの足元に転がっていた。その手の平にぽっかり空いたアナルの穴のような、その穴からもぞもぞと何かが這い出てきた。

 肉々しい生き物。小動物と例えるにはあまりにもグロテスクなそれが腕の中から這い出て来て、尚且つそれはさっきの何かの攻撃で負傷しているようで青ざめた青々とした血液を滴らせながら現れたのだ。悲鳴が漏れた。


「ヒッ──!」


 その小動物? いや虫と表現した方がいいそれが活発に動き景気の悪い男の肩に這い登っていく。その虫を愛でるように僅かに頬ずりをして、


「相棒は逃げたぞ」


 止血帯で千切れた腕を縛り圧迫止血をしている。

 痛々しいその断面から血を拭うように振って、血は僅かに漏れ出ている。


「ははっ……あんな豚、いてもいなくても変わらねえ。第一、俺は『殺し』専門なんだよ!」


 ギロチンはそう叫んで、手に持った小型のそれに弾を再度詰めようしたが。


「げひぇっ?」


 奇妙な声を上げ吹っ飛びながら転がりコンテナの壁に激突するギロチン。その表情は一体何が起こったのか分かっていない様子だった。

 それもその筈だった、縁起の悪い顔の男の高速移動。人とは思えない脚力で十メートル以上離れていたであろうそこへ一足飛びに詰め寄って蹴り飛ばしていたのだ。

 音が遅れてやってくる。落雷でも落ちたのかと思う様な轟き。

 コンクリートの地面が割れ、超高速の蹴りがギロチンの首を正しくギロチンで断頭するかの如く一瞬で撃ち抜いたのだ。

 首があらぬ方向を向いている。まるで首が360度回転する玩具のように真後ろに向いた首をギロチンは探る探る自ら掴んで、無理やり正面を向けた。

 グキッ、と嫌な音を立て身震いをしながら恐ろし気な狂気的な笑顔を浮かべていたギロチンは未だ見ぬ同族を見つけた事に歓喜している様子だった。


遺伝子拡張者アクチベーターか。俺みたいに中途半端に弄ってない、全身バキバキに改造してるのか? ああ、なんて幸福、なんて羨ましい」


「お前も相当弄っているな。首が130度捻転して生きているなど人間ではない」


 男の言う事も尤もだった。ギロチンは首筋が痛いと言わんばかり手で摩っているが、その表情に苦悶の表情は一切なかった。


「軟体動物の遺伝子構造はいろいろと幅が効くんでね、ほら」


 そういうギロチンが首を捻ると、何と言う事だろうか。首が奇妙な方向に曲がる、いやそれ以上体中の関節という関節が奇怪な可変をしている。


「再生能力もある。便利な体だ。この体で女を絞め殺す時の感触は得も言われん。──お前はどんな音を鳴らして死ぬんだい? ええ!」


 ばッと撥ねて縁起の悪い男へと飛びつくと蛇の様に全身に絡まり付いている。

 僅かにだが顔を顰めた男は全身に絡まり付いたギロチンを避けるようにみじろいで見るが、決して離れる事のない縄のように緊縛し離れない。

 ボンレスハムのように縛られ、しかもギロチンは万力のように強く締め付けているのははた目から見ても分かる。

 ぎちぎちと音を立てて縁起の悪い顔の男を絞め落そうとしているが、しかしながらこの男も人ではなかった。


「っいッ──!」


 声を上げたギロチンがその締め付けを緩めた瞬間、縁起の悪い顔の男が力技でそれを振り解き、ギロチンを地面へと叩きつけた。

 片腕で、少なくとも成人男性一人分の重量があるであろうギロチンを軽々と持ち上げて叩きつけるさまは、例えるのならKAIJUムービーの怪獣だった。

 人ならざる技、肉体。双方が少なくともエルの目には人のそれには見えなかった。

 軟体動物の怪物と、怪力の怪物。怪物同士の戦い。

 そんな事を思っていたが、真に見るべき怪物は縁起の悪い顔の男などではなく、それに懐いていたあの『虫』。

 ギロチンが男の顔を蹴って、距離を取った。

 その傷を確認するようにそれを見た。右腕を貫通するように刺さった針。五寸釘サイズはある。

 その針の出所はどこか、その答えが男の肩に乗った虫だった。

 触覚なのか、ぴくぴく動くそれを向けてその触角からメキッという音と共に針が生えてきた。次の瞬間、虫はその針を撃った。

 こんな機能を持った虫、エルは知らない。虫めづる姫君の様に虫を愛でる趣味はないが人並には虫に関する知識はある。そして人や動物の機能、特徴を人並みには知っている。

 そうだからこそ、あり得ないと思えたのだ。トカゲの尻尾の様に自切の機能か? いや、そうだったとしても攻撃的すぎる行為。

 体から生えた針を飛ばして攻撃する動物など聞いたことない。ヤマアラシのように自然に抜けると言う訳でもない。明らかにその虫は狙って飛ばしている。

 しかもその針が無限にあるかのように次々と触角から生えて、撃ち続けている。


「何だその虫! 気色悪い!」


 ギロチンは叫んで気持ち悪がっているが、そんな事、縁起の悪い顔の男にはどうでもいいのか、まだ千切れていない腕を伸ばすとその手の平から同じような針が飛んだ。

 なぜか? 腕の中にもう一匹、その虫が潜んでいたからだ。

 腕に設けられた穴。排泄器官に似た機能を持った人造筋肉と嚢胞、その中にその虫を住まわせ尿管を腕迄伸ばし、嚢胞の中で僅かな放尿を行う事でアンモニアに虫が反応し自然発生的に針を飛ばす習性がその虫にはあるのだ。

 間髪を入れず針を飛ばし続け、それを掻い潜るギロチンの顔は余裕に満ちていたが、しかし。


「あっ──」


 情けない声を上げたとき膝からギロチンが崩れ落ちた。

 体力切れと言うには唐突過ぎる。そうそれは──。


「毒、かッ……!」


「痺れるだろう。貴様らのような認可を受けていない遺伝子拡張者アクチベーター用に開発された取って置きの毒だ。様々な神経毒を混合し合成され、このネクロゲジムシの体内で生成される遺伝子汚染痕で標的に侵すかどうかを選択的に作用させてる。つまるところ人には無毒、俺達遺伝子拡張者アクチベーターには猛毒。一発程度では死にはしないが、あの世の階段は少なからず近づいてきている」


 そう言いながら腕と肩に乗っている虫、ネクロゲジムシを使いギロチンの各部に針を打ち込み続ける男の声は常に冷静、興奮も、恐怖も、愉悦も、罪悪感も、何も感じさせない口調で人を殺す寸前までつい落としていた。

 動かなくなったギロチンに、ゆったりと、ゆっくりと近づきその襟を掴んだ瞬間、閃光が一閃。

 縁起の悪い男の頸筋を撫でた。


「…………」


 プシューっという水音とともに赤い血の血飛沫が首筋から噴出している。

 その様子に忌々しいと言わんばかりの表情で片手で押さえて見るが、頸動脈を綺麗にやられている。

 ギロチンが千鳥足の覚束ない様子で立ち上がり、片手に持っていたのは無骨なナイフで、鈍い鉛色のそれがギラギラと輝き薄っすらと血糊化粧を刃先に施されていた。

 これでは怪獣のような縁起の悪い男でも行動不能になる、そう思った矢先だった。肩に乗っていた虫がその傷口に食らいつき、止血する。

 グチャグチャと音と共に、肉を、縫い合わせている。

 治療と呼んでいいのだろうか。少なくともエルの目には治療のそれに見えた虫の縫合に驚くが、それ以上に驚いたのがギロチンの生存能力にも驚かされる。

 縁起の悪い男が言ったように相当な毒を注入されたであろう体でそれでも尚抵抗を試みていたのだ。大した肝っ玉だ。しかし。


「遊びすぎだよ。スティンガー」


 そう楽し気に聞こえた声と共にパンッ! っという音と共に二本の細いワイヤーがギロチンに向かって飛び、パチパチパチパチっという音が鳴り響いた。

 ギロチンの体が硬直し、銅像のように体を固めて、ゴトンと頭からつんのめって倒れる。


「すまん。助かった」


「いいですよー。今度一杯奢って下さいよ」


 暗闇の影から現れたもう一人の男。まるでこの殺伐と剣呑な場面でも、その空気をぶち壊すかのように薄ら笑いを浮かべた男が現れたではないか。

 その手に握られているのは電撃銃テイザー・ガンで、途轍もない電流をギロチンに与え苦しめていた。そしてもう一つ驚くところは、あのデブの醜男のブロー・ジョブが苦し気にまるで埋葬される前のミイラのように体を固めて動かなくなったそれを片手で引きづって歩いてきたのだ。


「派手にやられたねぇ。片腕と頸動脈かぁ。ハドソンがキレそうだね」


「公務の一環だ。労災をこれでフンだくれる」


「抜かりないなぁ……あ、お嬢さん大丈夫かい?」


 ニコニコ顔で手を差し伸べてくるその男に完全に怯えきっているエルに、言葉を紡ぎ出そうなど到底無理だった。


「大丈夫だよ。俺達はちゃんとした公的な組織の人間だ。こう言ったものだ。ヨロピコ」


 スマートに身分証を表示し、送ってくる。

 国連治安統治監視機構UNSGM.? 任意事件担当官、ダモール・“モッキンバード”・オウン? 。


「端的に言おう。俺達は君の体の中にあるモノに興味がある」

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