第9話

「プロテクトを解除できないだと?」


 ジキルが押収した自殺を果たした研究員の新薬研究データを解析し始めて早々にそう言った。あまりにも早く言い出すために、スティンガーもふざけているのではないかと思い明るい作り笑いを顔に無理やり張り付けて、リボルバーの銃口を額に押し当ててふざけていないで早くプロテクトを解けと急かして見せた。

 しかし──。


「脅したってコイツはどうしようもない。本人の脊髄遺伝子データが無いと梃子でも開かない。──無理に開けるにしても全世界のAIの演算リソースを割り当てないと、目的の日付には間に合わない」


 あのビクビクとしたジキルが、揺るぎない至極真面目な顔でそういうので、スティンガーも悪ふざけで言い出したのではないのだと理解できた。


「死んだ男の遺体は? 死体でも遺伝子は採取できる。火葬されてなきゃな」


 スティンガーはモッキンバードの顔を見ると宝くじのスクラッチで一等でも当てたような、間の抜けた驚き顔を見せていた。


「……ああ。だからかー……」


「だからって? 死体は? 検体として残ってるんだよな」


「──あるにはあるが」


 そう、その男の死体は、細胞・・単位で破壊されていた。

 死体安置所モルグの検視官も不思議がっていた。なぜこのような死に方を選んだのか。自殺ならばもっと手軽な方法がいくらでもある。

 飛び降り、拳銃自殺、薬物過剰摂取オーバードース。この男の財力ならもっとカジュアルな方法で自殺も可能だ。カナダで試験的に運用が開始された自殺幇助支援法でカナダに渡って死ぬことだって不可能ではなかった。

 それなのになぜ高濃度放射線を浴びて苦しんで死んだ? 。

 最初に国連治安統治監視機構UNSGM.の精神鑑定官たちはこの男の精神的状況を考察し、死に瀕する苦痛、痛みを生の実感とした苦しみを得るためにこの方法を選んだのではないかと考えていたが、そうではなかった。

 この為に、細胞の一片たりとも残さないために高濃度放射線を浴びたんだ。

 死体の細胞はズタズタに引き裂かれ復元も目視しても分かるほどマクロ単位で不可能だった。体中どの細胞を持ってこようとプロテクトが解けない。


「死体は高濃度放射線を浴びて細胞が壊れてる。あと三日の内にこのプロテクトを破り新型向精神薬の臨床試験データが必要だ」


「だからそれをするには『全世界』のAIの演算リソースがあればの話で、いくら僕が天才細胞工学博士であっても、1から10まで全知全能を司る神様じゃないんだから184桁あるパスコード系の中で組合せの数を考えるだけで頭が痛くなる」


「それでもお前はこれを解かないと、あの世か、『遊園地』行きだ」


「どうしてそうなるんだよ! 僕は全力で事に当たった、無い物ねだりって言うんだぞそう言うの!」


「お前の脳味噌が足りないか? そうか、DARPAもその程度の人間しか雇えないのか」


「な、なんでDARPAがここで出てくるんだよ……」


「貴様の働きによっては俺達二人が貴様の罪を消すことも容易い。古巣に帰りたいのはやまやまではないのか?」


 ジキルは悔しそうに唇を噛み締めながら、再び端末に向かい始める。

 この男はどこまでも欲望に忠実だった。ヒューマンジーなどと言う化け物を生み出しておきながらその目的は少なくとも邪な欲望ではなく、無邪気な『好奇心』からその化け物を生み出していたのだ。

 子供は無邪気で欲望に忠実だ、欲しいモノを目の前に買ってもらえなければ泣き喚きそれを得ようと何事でもする。恥も外聞もあったモノではない。それが欲しいのだ。

 ジキルは子供だ。常人とは違う感性を持った世界有数の遺伝子工学博士を持った厄介な子供。

 ジキルを手足のように使いたいのなら手頃な『ご褒美』が必要だ。だから、DARPAへの復職をチラつかせれば、ほら、コイツも必死でプロテクトの解除に懸命だ。


「死体がダメなら……そうだなあ。兎に角この男の細胞が必要だ、抜けた毛髪、鼻をかんたティッシュペーパー、飲みかけのコップに、一番いいのは精液だ。精子幹細胞からいくらでもどの細胞も再現できる」


「ウップス! 最悪だ!」


 急に声を上げたモッキンバード。そちらを見るとスマートを忙しなく操作をして情報を引っ張り出そうとしていた。


「どうした?」


「レッド・アイ・カンパニーが動いた」


「どこにだ?」


「“ヘル・アビス・クラブ”に雪崩れ込んでる。オールド・ファッションが泡食って市警に働き掛けてるけど、あっちの方が手が早い……」


 何と言う事か。制服組オールド・ファッションたちはしっかり働いているが、やはり悪さをしている奴らの方が頭の回りは良いようだ。

 それもその筈だ、目的さえも見えない事件にUNSGM.の組織方針は噛み合わない。UNSGM.は兎にも角にも現行犯逮捕が目的だ。エンハンスド・アート法の違反者たちの現行犯逮捕。『遊園地』への切符を売り歩くだけの組織に、組織犯罪を捜査しろと言う方が難しいのだ。捜査もその初動も遅い。

 敵に成りえる者たちはこのバビロン市にごまんといる。それらを全て逮捕しグレート・スキンに叩き込むだけだが、今回の問題は得意とする捜査法ではない事だった。

 オールド・ファッションたちは個々人の犯罪者の確保には長けているが、巨大な組織の相手には慣れていない。一人一人のカードは強いが、全体で集まるってしまうとカードとして弱くなってしまう。

 言い方を悪く言えば連携性がまるでない。好き勝手に悪者を探し、それを牢獄にぶち込むだけしか能がないんだ。

 だからこういった時、スティンガーやモッキンバードのようなジョーカーカードが必要になってくる。


「“ヘル・アビス・クラブ”にレッド・アイたちが押し入ったと言う事はもう、あそこに証拠は残っていない可能性が高いな」


「どうすんの? ジキルくんの提案の全世界のAIを借りる方法で行く?」


「いや、もっと手堅く行く」


「と言うと?」


「あそこは風俗店だ。男女の営みに精液と卵子は対を成す」


 スティンガーも捜査の方針ドライブを決める為に使い慣れないスマートを拙い操作で様々な資料を引っ張り出した。

 “ヘル・アビス・クラブ”、レッド・アイ・カンパニー、新型向精神薬『セブン』、そしてそれを調査していた記者の残したデータファイル。

 このバラバラに思えるピースたちを合わせていくのは至難の技だ。だがしかしこれらは砂場の中から一粒の粒を探し当てる程、難しくはない。


「オールド・ファッションたちにメッセージ送信をしろ。ヘル・アビス・クラブに押し入ったレッド・アイ・カンパニーたちをエンハンスド・アート法違反で引っ張れと」


「証拠がないよ。引っ張り様がない」


「証拠などあとでいくらでも偽装できる。今は奴らにヘル・アビス・クラブに残された男の証拠を消されない事だ」


 時間がなかった。とにかく今は『セブン』の販売認可されるまで間近に迫っているからに、奴らに一手先を行かなければ。


「違法捜査にならない? それ」


 ジキルは不安そうに聞いてくる。が、ジキルもそこはよく理解しているだろう。

 レッド・アイ・カンパニーの実態を。


「この島が遺伝子拡張者アクチベーターたちの伏魔殿であると誰よりも理解ているのは誰だ? お前だろうジキル。レッド・アイは大口の客だったはずだ」


 バツが悪そうに頭を掻いているジキルに確証が持てた。

 間違いない。レッド・アイ・カンパニーは遺伝子拡張者アクチベーターたちで構成されている可能性が高くなった。

 さあならば次は何をすべきか。この事件は薬機法の有効性及び安全性の偽装が主体であって遺伝子拡張者アクチベーターたちの逮捕は二の次だ。

 モッキンバードは容疑者の男のスマートデータを引っ張り出し、その中の一つバイオモニターを表示して、熟考する。


「このスマートのバイオモニターだと、ヘル・アビス・クラブに入ってちょうどエル・ディアブロを入札して五分後に心拍数が上がってる。そこから急降下、脳波データだとリラックスモードだ。一発撃ってるね」


「ならば精液は残っている筈。使用済みのコンドームをレッド・アイが確保している筈だ。ごみ処理施設に運ばれる前にオールド・ファッションたちで抑え込むんだ」


 照応するようにメッセージを送り、彼らのいやいやの愚痴交じりのそれを受け取るが、スティンガーもモッキンバードも気にはしていなかった。

 しかしある報告がその態度を一変させた。


「ゴミに、使用済みコンドームが含まれていない……だと?」


「ウップス、驚きだ。あのお嬢ちゃん。ナマでやらせてら」


「となると面倒だが、アドバンテージにもなってくる。精液の生存可能温度は体温と同様、人肌ほどで無ければ死ぬ。コンドームを使わないのは倫理的にはダメだがな」


「でも、これだと。面倒でもある」


「ああ、証拠物品が足を生やして歩いている」


「レッド・アイ・カンパニーの十八番は誘拐だ。今夜中にも彼女を誘拐するかもね」


「ならばすぐにでも行動だ。エル・ディアブロの身柄確保だ」


 トレーラーの運転座席に飛び乗って、トレーラーを走らせる。

 “ヘル・アビス・クラブ”の開店時間を考えると、まず間違いなくレッド・アイたちの方が先に着く、向こうも彼女が胎の中に男の精液を抱えている事なんてすぐには分からない筈。ならばどうするか。

 国連治安統治監視機構UNSGM.も人一人を長時間拘束する事は出来ない。任意同行で最大時間で十二時間、店側のオーナーはエル・ディアブロの帰り一時間でも遅れればまず間違いなく何かしらの行動を起こす。起こして、大事にするだろう。

 あそこは公人の疚しい経歴の数々を持っている。有利には物事を傾けさせることは出来ないまでも、不利益にはならない立ち回りを心得たオーナーでる事はこのバビロン市で長年ダークタウンを嗅ぎまわっていれば分かる。


「この時間帯、先に越されるねレッド・アイに」


「承知の上だ。スマートGPS追跡トレースをしろ」


「了解」


 モッキンバードは“ヘル・アビス・クラブ”の看板娘、キャロル・フィエスタのSNSアカウントのフォロワー情報の中からエル・ディアブロのアカウントを引っ張り出し、その紐づけされたスマートの位置情報を取り出した。


「ハイウェイにいる。先越されてるよ」


「目的の場所は分かる。コンテナ・フォレストの七十五番地だ」


「どうしてそこなの?」


「レッド・アイ・カンパニーの本部があるであろう場所だ。正確な位置は分からん。あそこは無数にあるコンテナの中に社を構えている」


「コンテナが無数にあるから、か。木を隠すなら森って事ね」


 トレーラーを飛ばし水素自動車の標準装備の制限速度監視装置を強制的にオフにしてさらに飛ばす。


「奴さん。エル・ディアブロをどうする気かね?」


「消すだろう。奴らの収入源は誘拐や拷問、それをビデオにしたスナッフフィルムの販売だ。エル・ディアブロはすぐに殺されないにしても遅かれ早かれ、死ぬ」


「不味いねそれ……あ、止まった。位置が止まったよ」


 トレーラーとエル・ディアブロの位置情報を照らし合わせると、直線距離約一キロ。この位置だと相手はハイウェイを降りている。仕方ない。


「運転を変われ」


「はいはい、了解」


 運転操作をモッキンバードに渡し、荷台へ移動し冷凍保管室の一つを開く。

 そこに詰まっていたのは、試験瓶に収まった肉々しい虫たち。

 この虫たちは遺伝子汚染を起こした海洋生物の駆除を目的として創造された立派なエンハンスド・アート法の法務執行虫。海洋を時速六十キロで泳ぎ回り遺伝子汚染された海洋生物の微かな汚染臭を嗅ぎ取り、その体内に入り込み内部から壊す殺戮虫。

 又の名を『ネクロゲジムシ』

 試験瓶を開け、二匹を手に取るとネクロゲジムシはスティンガーの僅かな体温に反応し活動状態に入り生き生きと腕の回りを這い廻る。

 手の平を開き、それを開く。

 掌に開いた穴。

 それは生物学的に考えると肛門や排泄器官に似た構造を持った穴であった。もう驚くのも飽き飽きした。スティンガーは法執行の為に肉体を改造された合法的な遺伝子拡張者アクチベーターだった。

 手の平の穴、クリーチャーホールと名付けているそこにネクロゲジムシが入り込みすっぽりと収まる。腕の運動機能のそれには一切の支障はない。

 リボルバーのチャンバーに六発の弾丸を込め、荷台の扉を開け、飛び出した。

 ヒトとは違う脚力。筋力、速力。数値で言うのなら常人の数十倍。生きた人間凶器。それを体現したスティンガーの肉体は正しく暴力の化身だった。

 コンテナの森を走り抜ける暴風雨、暴力の権化でるスティンガーは自らの掲げる法則、弱肉強食、優勝劣敗のポリシーがこの世の全てであると思っている。

 そして今日もスティンガーは弱者にならないように、劣らないように、常に勝ち続け、常に優位に立つ為に行動をし続ける。

 スマートをチラリと見てのエル・ディアブロの位置情報を見る。そして見える。一台の車。

 そこに馬乗りになっている男の姿が。

 車に飛来し、腕を振り上げサイドガラスを叩き割る。その首根っこを掴み、その男をフロントガラスに向かって叩きつけるように投げ捨てた。


「かはっ──げほ、けほけほ!」


 激しく咽ぶエル・ディアブロの姿に、スティンガーは冷徹にその顔でエルを睨んでいた。

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