「D」4ー2

 ユーラスは一気に距離を詰めてくると槍のような突きを放った。

 私はそれを剣で受け流す。


「小賢しいな!」


 次々と振られる一手を私は確実に剣で受け流し、ときに体捌きで躱した。

 

 剣が交わる金属音の連続のなか、私の頭は至って冷静だった。

 

 ユーラスはケイトスを卑怯者だといった。こそこそ隠れ不意をついて戦うと。

 その通りだ。ケイトスが求めたのは敵で溢れる戦場を生き残る剣ではない。彼が斥候部隊を率いていたと聞いて納得がいった。彼は多人数を相手とする戦場を生きていなかったんだ。いかに少ない手数で相手を仕留められるか。それだけに特化していた。

 ユーラスの勢いのある豪剣が、左上からの袈裟斬りに放たれる。殺すつもりの一振りがことごとく躱され、流されることに我慢が出来なくなったのだろう。

 大振りすぎる。

 しかも、踏み込みがわずかに足りない。間合いに入る一歩の深さ。

 

 半歩足りないぞ、ユーラス。

 

 振られた刀身に合わせて、私は剣で力を流しながら水平に移動した。ユーラスの剣は空を切り、地面へと刀身を抉らせる。

 

 互いに流れる時間が止まった瞬間だった。

 ユーラスはこれまで何度も見てきた血の気が引いた顔をこちらに向けていた。実力者ではある分、彼の直感は早かった。

 それは死を目の当たりにした、人間の刹那の表情。


 私は移動すると同時に剣を水平に斬らんべく振り切っていた。

 ケイトスの剣は相手の剣を封殺したうえでの一撃必殺の剣だ。確実なカウンターを重視するため、力で押し切る必要がない。剛には柔を。確かにこれは、非力な女に適している剣だった。

 このまま斬撃を止めることも出来ただろう。しかし、頭でその選択肢が浮かんでいても身体が拒絶していた。どうやら私は思っていたより、ケイトスがバカにされたことに腹を立てていたらしい。


 ーー死ね。


 私は感情を込めた剣を振る。

 戦闘の際、私の意識は完全集中化に入っていてほとんどが無音状態だった。相手の罵声や命乞いに気が散らないようにするためでもある。生き残るには必須のスキルといっていい。歓声や悲鳴で轟いているはずの闘技場も私の耳はベッドで眠る間際にも等しい静寂だった。


 けれどその声だけは。

 空を駆ける矢のようにまっすぐ飛んで来て、私の心の静寂を切り裂いていった。




 ダリア。




 初めて聞くその声は、私に似ていると思った。

 聞こえるはずがない。何万人といる群衆のなかでたった一人の声だけが届くはずなんてなかった。それもその声は、声援のように張り上げたものではなく、そっと出たような呟きにも等しいものだったのだ。


 気付くと、私はユーラスの首元寸前で刀身を止めていた。

 この場にいる誰もが私の勝利など予期していなかったのだろう。予想外の結末に対して人は面白いほど思考停止に陥る。

 たった数分間のユーラスのあっけない敗北に対し、闘技場は時が止まったかのごとく一気に静まり返っていた。私自身も違う理由で、心在らずの状態だった。


 自然と、私の眼は天覧席へと向かっていた。

 アイシア・クリュフがこちらを見つめていた。遠すぎてその表情は読めなかったが、ずっと冷えていた心に熱がじわりと灯っていくのがわかる。

 幻聴かもしれない。そっちの方が納得がいく。けれど、それはただ懐かしくて私の意識はどこか遠くへと置き去りになっていった。

 

 相手を思い、慈しむ名の呼び方。

 私にその声を向けてくれたのは、いままでケイトス一人だけだった。

 

 まさかと思う。

 もしかすると、あの子は私のことを知ってーー


「ああぁぁぁっ!」


 突然のユーラスの咆哮に、私の呆けた意識が元の位置へと戻った。

 ユーラスは地面を抉った刀身を返して私の身体へと振り上げていたのだ。相手を殺しきる間合いにいた私は、当然殺される間合いにいたことになる。受け身の事も考えず後方へ飛ぶように回避したが、コンマ何秒か遅かった。切っ先が脇腹に突き刺さるのがわかった。そのまま刀身は私の身体を切り裂き、鮮血を宙に舞わせた。背中から叩きつけられるように落ちて地面を転がるも、追撃されないようにすぐに身体を起こす。

 

 インペリアル・パールスに審判はいない。

 勝敗は兵士の美徳精神によって、敗北者が剣を捨てることで決まる。ユーラスは剣を捨てていなかったため、勝敗は決してはいなかった。私は止めどなく溢れてくる血を腕で押さえつけた。斜めに斬りつけられた傷は深い。斬られたことは何度もあるが、こんな深手は初めてだった。高熱を帯びた傷口から脈拍と重なるように痛みが波打ってくる。だが、激痛よりも自分の未熟に腹が立っていた


 何故剣を止めたんだ。首を飛ばさずとも腕を切り落とすくらいやれたはずなのに。

 立ち上がったものの、私はすぐに片膝をついてしまった。


「剣を捨てれば命くらい助けてやるぜ、女」


 ユーラスはもはや勝ちを確信した顔つきになっていた。さっきまで青ざめていた顔が嘘のように活気を取り戻している。

 私に剣を捨てる選択肢はなかった。ここで勝たなければ道は閉ざされる。それに私が剣を捨てることは、ケイトスへの敬意を捨てることのような気がしたのだ。


 ユーラスは私の決断をみてとったのか、勝ち誇った顔でゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。

 けれど、こいつは気付いているのだろうか。

 誰もが望んでいたこの結末に対して、歓声一つ上がっていないことに。闘技場は依然として静まり返ったままだった。

 

 私は頭を垂れて目を閉じた。

 出血のせいで、握力がどんどん失われていく。剣を振るう力はもうなかった。


 どうやら、ここまでのようだ。


 まったく、罪滅ぼしのつもりがあっけない終わり方だった。これでは地獄に行っても、母さんは口すら聞いてくれないだろうな。


 だんだんと意識が朦朧してきた。

 私が暗闇の中で最後に思い浮かべたのは、シリスにみせてもらったアイシアの写真の姿と、私の名を呼ぶ幻聴だけだった。


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