「D」3ー4

 どれだけの時間が経っただろうか。体感的には小一時間くらいか。


 「あのっ!」と大きな声を掛けられたことで私はゆっくりと眼を開けた。目の前には場に似つかわしくない随分と小柄な少女が座っていた。


「…………誰?」


「何度も名乗りましたけどっ、シリス・フィールドです、この三日間毎日来てるのにっ」


「三日?」


「水も食事も持っていってもまったく食べてないし、どこの修行僧ですか、あなたは」


 言われて、喉の渇きと空腹であることに気がついた。

 そうか、もう三日も立っていたのか。無駄な回想に耽っていたのに、割と集中出来ていたようだ。

 

 私はそばにあった水の入った瓶を掴んで一気に飲み干した。そして、独房には似つかわしくないパンやサラダが乗ったプレートを手づかみで食べ始める。シリスと名乗る少女は腰を抜かしたように唖然としていたが気にしない。


「美味い。内側の人間は毎日こんな贅沢なもの食べてるんだ」


「内側って、あなたスラムの人ですか」


「……見てわからない?」


 シリスは首を横に小刻みで振って見せた。そんなに身なりがいい方ではないと思うけど。指を舐めながらあらためてシリスを見ると、軍服を着ていることに気がついた。


「あんた、兵士?」


「はい。シリス・フィールド軍曹です」


「近所の子どもにしか見えないけど」


「これでも十七ですっ!」


「残酷ね」


「なにがですか!」


 プリプリと怒るさまは、小動物が喚いているようでおかしかった。これで同い年とは、神がいるなら無慈悲と言わざるを得ない。


「ダリア・ショーゼンよ。あなたの任務は? 事情はどこまで知ってるの」


「身の周りの世話を命令されただけで、詳細は何も」


「聞いていた通りのメイド扱い」


「女の兵士なんてそんなものです。平民の娘の口減らしですよ」


 シリスの表情に影が差す。そんなものだろうと思った。女で好んで兵士になるやつはいない。それは逆を言えば、男ばかりの兵士の中に女が入ることの難しさを物語っていた。まぁその問題はもう杞憂に終わったのだけれど。


「私は今度のパールスに出る予定。それまでの軟禁状態ね」


「イ、インペリアル・パールスにっ?」


 あまりに大きな声を出すので、私は顔をしかめた。独房では声が無駄によく響く。


「名目は軍に入るためなんだけど、そこはもうどうでもよくなったかな」


「……女でパールスなんて。あなた、何者ですか」


 シリスは明らかに怯えた眼を向けてきた。わずかばかりに身体が引いている。こんな得たいの知れない女を目にすれば当然か。

 さっさと去ってほしいのだけど、時間だけが有り余っていた。食事の片手間に会話してみることにした。


「ねぇシリス。アイシア王女を知ってるでしょ。あなたから見てあいつはどんな女?」


 そう尋ねると、シリスは顔を青ざめてこちらを凝視してきた。

 自分でもどうしてこんなことを聞いたのかわからなかった。アイシアは王を絶望させる道具に過ぎないのに、なんで彼女の人格を知ろうとするのか。

 

 シリスは私に目線を固定しながら、やがて懐から一枚の写真を取り出した。

 なんだ、と思った矢先、彼女は私との距離を一気に詰めてその写真を眼前にまで持ってきた。


「あなたバカなんですかっ!」


 シリスはさっきまで怯えていた顔が嘘のように、眉毛をつり上げていた。

 よく見ると、写真に写っていたのはアイシアだった。


 その写真には、ティアラとネックレスといっと宝石が散りばめられたドレスにと完璧に着飾った少女が写っていた。長いゆるくカールのかかった黒く長い髪とくっきりとした端正な顔立ちは美しさはもちろんのこと、威厳のある風格が漂っていた。

 有名な写真なので見覚えがある。むしろアイシアの顔はこの写真でしか知らなかった。去年の十六歳の誕生日に撮られたブロマイド写真である。


「アイシア姫は次期国王として、その美貌もさることながら品格と教養も兼ね備えた王国始まって以来の才女と言われているお方ですよ! それだけのものを持ちながら、身分を問わずに優しさを与える懐の深さで国民から老若男女、絶大の人気なんです。そんなことも知らないなんて、スラムの人とはいえ非国民にもほどがありますよ!」


 まるで理由もなしにマウントを取りにくるスラム民のような睨めつけだった。大人しそうな子だったのに、ここまで人が変わるのはアイシアへの愛ゆえか。しかし、ここにもスラムを国民とする人間がいた。一度、スラム観光に連れて行ってやろうか。


 シリスの偏見でなければ、少なくともアイシアは人に愛されている王女らしい。役者として十分すぎることがわかった。

 なのに、どうして胸はこんなにも騒ぐのだろう。理由が見つからなかった。


「アイシアは、次代の国王になるのよね」


「ええ。キルギオン初の女王陛下です。いまの国王さまも素敵だけど、誰もがアイシア姫が女王になる日を望んでいます。彼女と同世代に生まれた自分が誇らしいです」


「そう」


 万人に愛される姫君の死。それが訪れたときシリスは、国民は、国王はどんな顔をするだろうか。私は考えて、また考えるのをやめた。


 もう終止符を打ってある。

 死人も当然の私に、その先のことを憂う必要なんてない。

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