「D」2ー4

 私が眼で訴えた疑問にローカスが渋々というように答えた。


「大佐につぐ国の英雄だった。主には一個中隊を率いて敵への潜入、攪乱、調査。斥候部隊のスペシャリストだ。剣術の腕も国の五本指に入る。先の大戦で死傷者を出したのは彼の中隊のみ。あの犠牲がなければ、和平交渉は実現しなかっただろうな」


 ローカスは一度、クムラを一瞥したあと「大佐とは良き友人だった」と付け加えた。クムラは一度、椅子に背を預けて熟考する。そのまま数秒経ったあとに天井を見つめながら尋ねてきた。


「ケイトスは、どうしている」


「……一年前、忽然と姿を消してそれきりです。生きているのかどうかも」


「あいつらしいな」


 何秒経っただろうか。そう思っただけでほんの一瞬だったかもしれない。クムラは天井を見上げながら眼を閉じていた。

 子どものようだと思った。

 その間、常に心を許せない圧迫感を放っていたクムラが、自分だけの時間に浸っているように見えた。

 

 ケイトスとクムラはどんな関係だったのだろう。想像が出来なかった。私は自分の見たことがないケイトスのことを想像できるほど彼のことを知らなかった。ケイトスとの思い出は、ほとんどが剣の稽古とその合間の食事くらいだったから。


「ダリア」


 名を呼ばれて、元のクムラ大佐に戻ったのがわかった。


「インペリアル・パールスを知っているか」


「天覧試合、ですよね」


 一年に一度行われる選ばれた優秀な兵士による真剣勝負、インペリアル・パールスは王の御前のもとで開かれるキルギオンの催しだった。

 当日は城下街で出店が並び、国民はお祭りで賑わう。数万人を収容できる円形闘技場で行われるインペリアル・パールスの観戦チケットは毎度、国民の間で争奪戦になっているとか。

 スラムでは存在は知っていたけれど、誰一人として興味がなかった。毎日を生きることに娯楽など必要なかったからだ。


「十日後に開催を控えている。お前にはそのパールスに出てもらおう」


 そのクムラの一言に仰天の声を出したのは、私ではなくローカスだった。


「し、しっ正気ですかっ! 大佐っ!」


「いいだろう、ちょうど欠員が出ていたしな。それにケイトスは剣を人に教えることは一度もなかった。ダリアは彼の一番弟子ということになる。それだけでも十分だが、兵士の前で力を示せば、誰もが本物と疑わないだろう。女であってもな」


「しかし、天覧試合ですよ。神聖なあの場に女が上がるなんて」


「去年、実力が足りない試合ばかりでみっともないと嘆いていたのは貴様だぞ、ローカス。彼女なら実戦経験は十分、実力もある」


「ジルストリアの弟子だからといって、優秀かどうかはわかりませんぞ」


「わかるよ、私には」


 クムラの据わった両目に射貫かれる。まるで心臓を掴まれたような威圧に腰に剣が下がっていたら柄を掴んでいるところだった。抜くのも堪えられなかったかもしれない。


「ケイトスの教えを受けたと聞いて納得した。貴様も薄々感じていることではないのか」


 指摘を受け、ローカスは納得せざるを得ないように黙った。

 過剰評価されている気もするが、これは私にとって願ってもいない展開だった。インペリアル・パールスは王族全員の前での試合だ。それはもちろん、王女であるアイシア・クリュフも含まれる。加えて


「確か、勝者へは勲章が授与されるんでしたよね」


「そうだ。アイシア王女直々に胸に勲章を着けてくださる。かつては参加することが名誉だったパールスだが、いまはアイシア王女を間近に謁見できるという目的が先行してしまっているな」


「嘆かわしい限りです」とローカスの眉間に皺が寄っていた。


 反対に、私は笑みが零れそうになるのを堪えていた。

 まさかこんなに早く、好機に恵まれるなんて。昔から運が良いという機会に巡りあったことはなかったが、それはこの日のためだったと思わざるを得なかった。


 クムラは、真剣味を帯びた声で言った。


「ダリア。パールスのルールに人命を尊ぶという文言はない。どういう意味かわかるな」


「相手を殺してもいいということですね」


「相手に殺されることもあるということだ」


 私たちは、互いに見つめ合う視線を逸らさなかった。


「貴様の軍への入隊は容易だ。だがローカスの言うとおり懸念もある。私から説明すれば国王推薦などいくらでも紙くずに出来るだろう」

 

 ハッタリではない。クムラにはそれだけの地位と権限があっても不思議ではなかった。だがもう、それは杞憂にすらならなかった。


「貴様は現時点で何も持っていない。目的を果たしたければ矜持と力を示せ。それがここでの生き方だ」


 クムラにこちらの真意がバレているとは思えない。だが、直感で疑われている可能性はあった。まさに百戦錬磨の剣士。食えない男だ。だが感謝しかなかった。


「風穴を、開けてみせますよ」


 拳に力が込もる。勝てばいい。


 これほどわかりやすいことはなかった。


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