「D」2ー1

 同じ国でも、内側と外側では別の国。キルギオンにはそんな言葉がある。

 

 スラム街しか見たことがない私にとってはその言葉に内包されている意味を汲み取ることはできていなかったが、なるほどなるほど。確かに城下街は別の国といえる場所だった。


 不必要に他人同士が干渉し合い、各所が清潔で治安がよく、殺伐とした空気などとは無縁といってもいい。

 気を許せる時間が極端に少なかった私にとって、ここは居心地が良い場所とはいえなかった。


「ダリア。ダリア・ショーゼンっ!」


 感情に任せた怒鳴り声に、呆けていた意識が戻ってきた。

 もちろん視界には目の前の光景はちゃんと映されていたし、話はちゃんと耳に届いていたけれど、どうもここは調子が狂う。それは戦争と治安維持を任されている軍公舎内でも同じことだった。


 とある部屋の一室。

 私の前にいるのは、デスクを挟んで椅子に座っているクムラ大佐とその傍らに立っているのがローカス少佐だ。

 ローカスの名前は知らなかったが、クムラ・ディスダンテはスラムにも名が通っている有名人だった。二十年前の東部戦線。大国ダルダトス軍との衝突に対し、最低限の戦闘と死傷者で和平交渉を実現させた名将である。


「大佐を前にして呆けるとはいい度胸だ。いかにも、というやつだな」


 ローカスはこちらを侮蔑の眼で見つめてきた。

 彼のいわんとすることは『いかにもスラム出身だ』『いかにも愚鈍な女だ』かのどちらかだろう。どちらも散々浴び続けてきたものなので、今さら腹が立つことでもなかった。

 ローカスは不満な面持ちで続けた。


「礼儀を知らん野生児というところか。大佐、私は反対です。こんな者を軍に入れれ

ば統率に支障が出ます。しかも女ときた」

 

 クムラはローカスの小言に近い発言を聞いているのか聞いていないのか、温和な表情で手元の用紙を眺めていた。おそらくは私の経歴や情報が羅列されている文書だろう。私自身が書いたものではないので、果たして何が書かれているのやら。少し興味が湧いた。

 国王推薦である私を無下に出来るはずがないが、一応は有用性を示しておくことにする。


「剣の腕には自信があります。スラムでの仕事は用心棒まがいのことをやっていましたので戦闘の際は役には立つかと」


 これを鼻で笑ったのはローカスだった。


「役に立つか。戦場を知らん素人の台詞だ」


「戦場、ですか」


「そうだ。これは貴様だけにいえることではないが、二十年前の大戦以降、我がキルギオンの平和は保たれているもその代償として兵士が腑抜けになった。無論、厳格な訓練は行っているが経験に勝る訓練は存在しない。軍にとってこれは喫緊の課題なのだ。無駄に意識の高い、ましては女の新兵などは必要ないのだよ」

 

 これには一部同感である。

 ここに来るまでに何度も兵士とすれ違ったが、どいつもこいつも自分が生きていることが当たり前というような脆弱な精神なのは見て明らかだった。腰に下げた剣はアクセサリーとでも言わんばかりの始末である。さすがにあんな輩と同列に扱われるのは癪なので、発言を続けた。


「スラムで殺しは当たり前のようにあります。何度か死にかけたこともありますし、殺した相手の数は、ずいぶん前に数えるのをやめました。この経験は腑抜けの要素に当てはまりますか」


「……チンピラを何人殺したところで数には入らん」


「なら大戦を経験した兵士を殺せば、認めていただけますね」


 部屋の温度が下がった感覚があった。

 ここでローカスが腰に下げた剣の柄を握るくらいのことをすれば階級通りの敬意を払うつもりだったが、あろうことか彼は私の眼力に二歩も後退してみせた。


 どうやら、腑抜けになったのは上位階級も同様らしい。

 丸腰の女におののいている男が少佐か。組織自体に問題がありそうな場所である。


 そこでずっと黙っていたクムラが、吹き出すように笑ってみせた。

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