「D」1ー2

「返答を聞かせてもらっていいかな」


 何人もの従者や護衛をつけて、まるで母が死んだことを待ちかねていたというようにその男はやってきていた。

 一間しかない平屋に出入り口を塞ぐようにして陣取っている。ベッドの前に座っている私は扉を背にしているため、名乗る声を聞いただけで男の顔はまだ一度も見ていなかった。


「……聞いてなかった」


 私が投げやりに言うと、護衛の兵士が殺気立つのがわかった。反面、男は声色を変えずに応えた。


「私のもとに来なさい。君の暮らしは保証するよ」


「理由がない」


「私が直々に来たことが、答えにならないかな」


 遠回しな言い方をする。性格が見え透いて思わず口角が上がった。


 キルギオンは広大な大地を所領する人口五千万人以上の大国だ。

 豊富な地下資源と世界一とも名高い軍事力を背景に国家力の勢いは留まることを知らない。二十年前の東部大戦を和解にて平定してからは、国民にとって暮らしやすい豊かな国へとなっていた。

 それは代々キルギオンを治めるクリュフ家の力なくては訪れなかった平和だといっていいだろう。もちろん、それは国の『内側』の話ではあるが。


 十六代目の王、ストヘルム・クリュフの求心力は歴代一だと学者たちは太鼓判を押していた。クリュフ家は国民の人気を一手に集め、その名声は他国にまで知れ渡っている。

 

 どうでもよかったんだ。

 私には生まれた時から父親はいない。母が死んですぐ、そのストヘルムが訪ねてきても何の感慨もなかった。


 家の外では野次馬どもが集まって、噂話が裏付けされたことに歓喜していることだろう。賭けをしている奴らがいることも知っていた。

 国王の妾とその子ども。

 擦り切れるほどに聞いてきた言葉だった。


 私はベッドで静かに眠る母の綺麗な死に顔を見ながら、無言で想像する。


 この人が生きていたら、かつて、いや死ぬまで愛した男を前にして母はどんな顔をしただろう。

 

 私にとって、初めての笑顔を見せてくれるだろうか。

 それとも、これまで以上の憎悪を叫び散らすだろうか。

 

 前者とも後者ともとれた。

 私はこのとき初めて、母という一人の人間がどんな人であるか知らなかったことに気が付いた。それは悲しみよりも罪悪感の方が先行する感情だった。けれど、当然かもしれない。この人は最後まで、私に心を開こうとしなかったから。


 私を捨てなかったのは、唯一のつながりである愛の糸を失いたくなかっただけに違いない。ただ、その糸をたぐり寄せられた理由が、自分の死だったというのはあまりに皮肉な話だった。


「ベッドが一つしかないのだな」


 再び男が、ストヘルムが声をかけてきた。

 まだいたのかと思った。


「私は床で寝てた」


「君がベッドではなく?」


 応えなかった。でも沈黙が応えとなってしまったことに気付いて心の中で舌打ちした。


「……変わらない女だな」


 ストヘルムのため息交じりの言葉に、母の品格を落としてしまった自分の発言に後悔した。同時にやつの首も飛ばしてやりたかったが、生憎、剣が手元にない。

 壁に掛けられた刀剣をとって振り切るのに三秒ほどは有するか。近くには王が兵士の中から指名する騎士が数名、途切れることなく私に対して殺気を放っていた。抜刀こそしないものの、剣の柄を握っているのがわかる。

 なるほど、私がスラムでどういう風に生きていたか、調べがついているようだった。


 一秒、足りないか。

 さすがは精鋭の騎士様だ。隙が無い。


「その苦労も今日で終わりだよ、ダリア。私のもとに来るんだ。君は、私の娘なのだから」

 

 心がいっそうに冷えていくのを感じた。

 たかだか十何年の人生をスラムで生きてきた私にとって、他人とは、たまたま利害関係が一致した他人と殺すべき敵である他人のどちらかだった。

 

 家族以外に特別は存在しなかった。

 この男はどちらだろう。確実にいえるのは、特別にはなり得ないということだけだった。

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