25.猫さんの秘密

 滝川さんとホテルの部屋に二人きり。

 話す内容は、小説のことだった。


「もうすぐ完結じゃないですか。最後の大事件が起きて、そこで千早さん、旅行に来ちゃったから、続きが気になっているんですよ」

「主人公と仲間のマンドラゴラたちが戦いに赴くところでしたね」

「もう、あの子たちがどうなるのか、気になる! 千早さんに無理はさせられないし、今日の私のエリクサーはないんだわー!」


 両手で顔を覆って大袈裟に嘆く滝川さんに、私はタブレット端末を取り出した。ホテルのWi-Fiに繋いでから、滝川さんにデータを送る。


「おぉ、もしかして、これは……」

「新幹線の中で書いてました。本当はもう一話書けそうだったけど、酔っ払いに絡まれちゃって、気持ちが落ち着かなくなっちゃったんで、二話だけです」

「エリクサーだ! 私の回復薬が来た!」


 滝川さんがタブレット端末を見てデータを受け取って、タブレット端末を掲げるようにしている。


「そこまでですか?」

「これで全私の命が助かります。全私が待っていて、全私が回復します」

「そこまでー!?」


 『命が助かります』まで言われると、私は仰け反ってしまった。

 ベッドの上に丸くなっている猫さんが『なぅん』と鳴いて『当然の評価よ』と言った気がした。


 タロットカードを捲ってみると、ワンドの六が出ている。

 意味は、称賛。

 『その称賛は本物よ。素直に受け取っていいものだわ』と猫さんが言ってくれる。


「滝川さんは私の小説をすごく褒めてくれますよね」

「千早さんの小説の言葉のセンスが好きです。キャラクターが好きです。ストーリーの展開が好きです」

「それって、全部じゃないですか」

「全部が大好きだという告白ですよ」


 過去に私は、私のキャラクターと重ね合わせて告白のような文章を公開されて、すごく驚いて嫌悪感を抱いて、トラウマになってしまっているところがある。

 私は私で、キャラクターはキャラクター。考えることも行動することも、キャラクターは物語の流れのままに生きるのだが、それを私と重ね合わせられても困る。


 滝川さんにはそういうところはない。

 交流小説のときも、滝川さんと言い合ったのは、「大好き! うちのキャラと結婚して!」「二人で幸せになって!」であって、キャラクターはキャラクター、各作者は作者と完全に切り離していた。


 滝川さんの称賛は心地いい。

 心から発せられているものだとよく分かる。

 猫さんのお墨付きというのも私には受け取りやすかった。


「ところで、うちの鶏さんは?」

「カーテンの後ろに隠れて、探されるのを待ってます。尾羽が完全に出ているんですけどね」


 カーテンの後ろで隠れたつもりになっている鶏さんは、長い尾羽が完全に飛び出していた。それに気付いていない様子だ。


 タロットカードを捲るとペンタクルの二が出る。

 意味は、柔軟性。

 『柔軟に頭を使って、僕は完全に隠れられたはずだ! さぁ、見付けてみろ!』という自信満々の声が聞こえる。


「えーっと、それは探してあげた方がいいんですよね?」

「十歳の男児ですからね」

「ワー、ドコカナー? ココカナー?」


 棒読みになった滝川さんがカーテンを捲っていく。


「惜しい、滝川さん、左側じゃなくて右側です」

「あ、こっちか」


 見付けられて鶏さんは誇らし気に胸を張って堂々と出て来た。

 こういうやり取りも鶏さんがいなくなるとなくなってしまうのか。

 私はちょっとしんみりしてしまう。


「明日で鶏さんはいなくなるんですよね」

「それが鶏さんの幸せでしょう。十歳の子どもは親元に帰してやりたいです」

「そうですよね。私、気になるんですよ」


 守護獣のいなくなったひとはどうなるのだろう。

 私が動物のタロットカードに出会ってから、守護獣が見えるようになって、ほとんどのひとの後ろには守護獣がいることが分かった。


 元が十歳の子どもなので何もすることはできないが、滝川さんにも鶏さんという守護獣がいる。

 滝川さんは自分の意志で鶏さんという守護獣との別れを決めている。


「猫さんは、私がブラックな職場にいた頃に来てくれたって言ってたけど、その前は私には守護獣はいなかったのかしら?」


 タロットカードをよく混ぜて一枚捲ると、カップの五が出て来る。

 意味は、喪失だ。


 『前の守護獣さんが、あなたを守ろうとして力を使い果たして消えてしまって、あなたは生きていけないくらい病んでしまった。私はそんなあなたを見ていられなくて、あなたの守護獣になると決めたの』と猫さんが話してくれる。


 大学を出てブラックな職場に入った年は酷かった。

 ピアノを弾いて子どもを歌わせていると、いきなり「その歌、低くて歌いにくいからファから始めて」と無茶振りされたり、なんの打ち合わせもなく「『きよしこの夜』を英語の歌詞で教えて」と言われたり、幼稚園中の子どもが集まったところで本も紙芝居も使わない「素話すばなし」と呼ばれる話を一つしてくれと言われたり、他の先生たちはプリントの絵をイラスト集から写していたのに私だけはイラスト集を使うことを禁じられたり、ものすごい無茶振りの嵐だった。


 それら全部を私はなぜかできてしまった。

 転調は大学の授業で習っていたし、『きよしこの夜』は声楽で歌ったことがあった。「素話」は物書きなのでその場で何話でも思い付いた。イラストは自分で考えて描けた。


 何もかもをこなしてしまう私に、同じクラスの先生からのいじめは激しくなって、最終的には子どもの保育を全部私に任せて、「仕事があるから」と言って職員室から出て来なくなってしまった。


 朝七時から夜の二十三時近くまで働く厳しい職場で、彼女もまた心を病んだ被害者だったのだろうと今は思う。


「でも、許しませんけどね!」

「さすが千早さん!」

「私の前の守護獣さんを消してしまうくらいいじめくさって!」


 怒りを込めて言うと、猫さんが顔を上げる。


 タロットカードを捲ると、ソードの六が出て来る。

 意味は、途上。

 旅や移動を意味することもある。


 『今回の旅はすごくいい機会だったと思うのよ。あなたにとっても、私にとっても』と猫さんが言っている。


「今回の旅で猫さんもパワーアップするのかしら?」

「そうだといいですね。猫さん、ものすごく千早さんのこと大事にしてくれて、守ってくれているみたいだから」

「そうだといいな。猫さんには消えないで欲しいです」


 私の呟きに猫さんが『なぅん』と鳴く。

 部屋の中は穏やかな空気に包まれていた。


 滝川さんをホテルの外まで送って行くついでに、私は駅のコンビニで晩ご飯を買った。

 コンビニのお弁当なんて久しぶりだけれど、色々と美味しそうなものがある。


「クリームたっぷりの薄皮シュークリーム!? バターアイス!? プリンパフェ!? どれも美味しそう!」


 コンビニのスイーツは美味しいとは聞いていたが、目移りしてしまう。

 何個も買うわけにはいかないので、クリームたっぷりの薄皮シュークリームを買って、お弁当と一緒にお会計して、私は部屋に戻った。


 部屋でペットボトルのお茶では侘びしいなと思っていると、別れ際に滝川さんが渡してくれた袋を思い出した。


「困ったときには開けてください」


 そんなことを言って渡してくれた気がする。

 袋を開けると、中には私の好きなフレーバーティーのティーバッグと、劇団のマグカップが入っていた。


「滝川さん、分かってらっしゃる!?」


 ホテルには粉のお茶を淹れるための電気ケトルがあったので、それでお湯を沸かして、マグカップを洗って私はティーバッグでフレーバーティーを飲んだ。

 牛乳がなかったのでちょっとだけ寂しかったけれど、旅先でまでフレーバーティーを楽しめるとは思わなかった。


 温かなフレーバーティーがエアコンで冷えた体に沁み込んでくる。

 冷たいお弁当も、温かなフレーバーティーと一緒ならば美味しく食べられた。


 食べ終わって、私は滝川さんにメッセージを送る。


『今日はありがとうございました。もう帰り付きましたか?』

『帰り付きました。晩ご飯を食べたら通話しましょう』


 旅先に来ても滝川さんとの習慣は変わらない。

 私は滝川さんのメッセージを待ちながら、薄皮シュークリームを食べる。クリームを零さないように食べるには、食べるというよりも吸うと言った方が正しかった。


 一人の夜もきっと怖くはない。

 滝川さんと通話するし、私には猫さんがいるのだ。

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