24.一人旅の末に
新幹線の切符もホテルも、全部旅行会社がパックにしてくれていて、手続き自体は大変なものではなかった。
これまで家族や兄弟と一緒にしか旅行に行ったことのない私。
姉と二人で東京にアルフォンス・ミュシャのスラブ展は見に行ったことがある。
二日間の日程の中でスラブ展にだけ行って、二回展示を見た。
天井まである巨大な絵画は細かく書き込みがしてあって、とても見ごたえがあった。
それが私が行った旅行の最少人数。
一人きりでは初めてだ。
新幹線から降りると、キャリーバッグを引っ張りながら駅から繋がっているホテルにチェックインする。
名前を確認されて、旅行会社の書類を見せると、カードキーを渡された。
「エレベーターもこのカードキーで起動するようになっております。持ち出し忘れのないように気を付けてください」
言われたのだが、私はエレベーターの前でぼーっとボタンを押して待っていた。
時間が経ってもエレベーターが降りてこないので不思議に思っていると、フロントのひとが声をかけてくれる。
「下にカードキーを当ててください」
「あ、そうだったんですね!」
始めから間抜けぶりを発揮してしまったが、これくらいは何の問題もない。
部屋に入ると一人部屋だが結構広くて、机もあってタロットカードを広げられそうなスペースもあった。
安心して手荷物の般若心境トートバッグの中に一応タロットカードを入れて、タロットクロスも綺麗に巻いて入れておく。
準備万端でホテルを出ると、ホテルの前に滝川さんがいた。
「いてくれたー!」
私は全身から力が抜けるのを感じる。
新幹線の中でも変な酔っ払いに会ってしまうし、一人だったし、エレベーターは使い方が分からなかったし、私は実のところがちがちに緊張していた。
毎日のように映像通話で見ている滝川さんの顔を見るとほっと安心してくる。
滝川さんはいつものように不思議なTシャツを着ていた。
今日は表に大きく「豚」と書いてあって、背中のリュックの下は「汁」と書いてあるようだ。
豚汁Tシャツについては、私は言いたいことがあった。
「滝川さん、こんにちは。
「私は
「あー、私は
こういうところでも文化圏の違いを感じる。
滝川さんはこの県に暮らしていて、私は九州に暮らしているのだということがよく分かった。
「直に会うのは四回目なのに、開口一番、それなのが千早さんらしい」
「え? 私何かおかしかったですか?」
「面白いです」
マスクの下でくすくすと笑われてしまったが、滝川さんが面白かったならそれでいいことにする。
新幹線の中で簡単にフルーツサンドを食べていたが、時刻はおやつの時間に迫っている。
滝川さんに連れられて、私はチョコレートのお店に行っていた。
一階に売っているスペースがあって、二階にイートインスペースがあるようだ。
平日なのにイートインスペースは混んでいて、行列ができている。
「何時間くらい待ちますか?」
「三十分から一時間は待っていただくと思います」
「千早さん、いいですか?」
店員さんに聞いた滝川さんが言うのに、私はこくこくと頷く。
末っ子気質でこういうときに率先して動けるタイプではないのだ。
ひとについて行くタイプである私と、率先して動いてくれる滝川さんはバランスがいいのかもしれない。
「なんでもしてもらってすみません。私、こういうの苦手で」
「私も職場で鍛えられるまでは苦手でしたよ。気にしないで。お土産にチョコレートはいかがですか?」
「見たいです」
店内には可愛いチョコレートがたくさんある。
棚には丸い形の色んな絵の描かれた美味しそうなチョコレートや、バーになったチョコレート。
ショーケースにはお酒やお茶の入ったチョコレートがあった。
その中に私は滝川さんが買ってくれたバレンタインチョコレートを見付ける。
「滝川さんが買ってくれたのってこれですね」
「気に入りました?」
「買って帰ります!」
家族へのお土産に私はお茶の入ったチョコレートを買った。
その他にも美人さんや碧たんにもお土産を買う。
買い物が終わる頃に名前が呼ばれた。
私と滝川さんは狭い二階に階段で登って行く。
向かい合う席に座って、私は改めて滝川さんの肩の上を見た。
「いますね、鶏さん」
「若冲の描いたような鶏さんなんですよね?」
「そうです。うちの猫さんは今、膝に乗って来ました」
歩いている間も、チョコレートを選んでいる間も、猫さんは脚元にいて邪魔をしないのだが、鶏さんは見えていないのがいいことに、身を乗り出したり、チョコレートを突いてみたりやりたい放題だった。
そのことを滝川さんに伝えると、額に手をやっている。
「十歳のダンスィーって感じですね」
「そわそわ、落ち着かなかったですよ」
「十歳なら仕方がない」
煌びやかなチョコレートのお店に来ても、落ち着かないのは十歳の男子ならば仕方のないことだった。私も頷いていると、膝の上で猫さんが『なぅん』と鳴いた気がした。
「鳴き声が聞こえる気がします」
『こけっ……くっ、くっ』
「それなら、タロットなしで喋れるのでは!?」
「残念ながら、『にゃー』とか、『こけっ』とかなんですよ」
人間語を喋って欲しい。
できれば日本語でお願いしたい。
思っている私に、翼をバタバタとさせて鶏さんが何か伝えようとしている。何を伝えようとしているのか私にはさっぱり分からない。
「鶏さん、暴れてます」
「もしかして、私が頼んだスフレに、卵が入っているから!? そこまでは配慮できないですよ」
「無理ですよね」
話していると運ばれて来るプレート。
滝川さんがスフレで、私がガトーショコラだ。
焼き上がって高くこんもりと盛り上がっているスフレには、熱々のチョコレートソースをかけて食べるようだ。
小さな容器から滝川さんがスフレにチョコレートソースをかける。
それが鮮やかなピンク色をしていて、私は驚いてしまった。
「それ、ルビーチョコでは?」
「そうなんですよ、千早さんがバレンタインにくれたルビーチョコ、すっかりハマっちゃって」
とろとろとスフレの上にかけられるルビーチョコはとても綺麗な色をしている。
熱々のスフレと、冷たくねっとりとした食感の濃厚なガトーショコラを滝川さんと私は味わう。
パンデミックの世の中なので、シェアすることができないのが残念だ。
プレートのスフレとガトーショコラを食べて、私と滝川さんはコーヒーを飲んでいた。
口の中の甘みがコーヒーで中和される。
店には行列ができているので、長居をすることはできなかった。
「滝川さん、ちょっとだけ私のホテルの部屋に寄って行きません?」
「いいんですか?」
「どうせ一人だし平気です」
チョコレートのお店を出て、私と滝川さんはホテルの部屋に入った。
今回はエレベーターでカードキーを翳すことを忘れない。
エレベーターに乗って部屋に入ると、私はベッドの端に座って、椅子を近くに持ってくる。
滝川さんは椅子に座って、私はベッドの上にタロットクロスを広げて、タロットカードを混ぜ始めた。
ずっと鶏さんが自己主張をしているのが気になったのだ。
猫さんはベッドの上にゆったりと丸くなっていて、鶏さんは好奇心旺盛に部屋中を飛び回っている。
私のキャリーケースを突いたり、カーテンを引っ張ってみたりしているのは、いかにも十歳の男子だ。
「鶏さんは飛び回ってますね。猫さんは、ここで丸くなってます」
「ここに猫さんがいるんだ。千早さんはいつも猫さんを連れていて羨ましいです」
「私、特に猫好きってわけではないんですけど、この猫さんは信頼してます。新幹線の中でも酔っぱらいを倒してくれたんですよ」
私が話すと、滝川さんは心配そうな顔になっている。
「千早さんは妙な輩に絡まれやすいんですね」
「昔からなんです。本屋に行けば近くに寄られて脚の間に足を入れられたり、電車では鼻息がかかるくらい接近されたり、野球場に行くと隣りの席が空いてるからって後ろから土足で足を背もたれに乗せてきて、顔の横に置かれたり」
私が話すと、滝川さんは怒りに燃えている。
「女性だからってだけでそういうことをする輩は滅びてしまえばいい! 絶対に屈強な男性だったらそんなことしないだろう! ブツが腐って落ちればいい!」
「滝川さん……」
「あ、ちょっと過激でした。すみません」
謝る滝川さんに、私はそんなことはないと首を左右に振る。
「私の代わりに怒ってくださってありがとうございます」
「そういう奴らには、箪笥の角に小指をぶつける呪いをかけます!」
「私も、靴紐が解ける呪いをかけます」
二人で言い合っていると、タロットカードが一枚捲れた。
ソードのナイトが出て来た。
意味は、果敢。
『そんな奴らはやっつけてしまいなさい!』と猫さんの声が聞こえた気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます