23.旅の始まり

 平等院鳳凰堂については、私よりも滝川さんの方がずっと詳しかった。

 私は歴史は全然分からないのだ。


『平安時代の藤原の道長は分かりますか?』

「月が欠けないって言ったひと!」

『当たりです。そのひとの息子が開設したお寺なんですよね。屋根の頂に金色の鳳凰が乗っているから、鳳凰堂と言われています』

「なるほどぉ?」


 よく分からないけれど、私は頷いておく。

 滝川さんは私のために解説をしてくれる。


『その頃は都が荒れていて、末法思想の貴族や僧侶の中で、極楽往生を願った浄土信仰が流行りました。平安時代に最高と言われた仏師、定安によってつくられた阿弥陀如来像が有名ですね』


 話を聞きながら私はタロットカードを混ぜていた。

 一枚捲ると、ペンタクルの十が出て来る。

 これは碧たんの占いでも出たのと同じだ。

 意味は、継承。

 『そこで、僕はあなたの元へ行けと言われた気がします。そうすれば、いつかは目覚められるから、と』という鶏さんに私は滝川さんに伝える。


「そこに連れて行ったら、鶏さんははっきりと覚醒して、ステップアップできるんじゃないでしょうか?」

『鶏さんはこんなところから来てたんですね。そういえば、数年前に見に行きましたよ』


 滝川さんの言葉に、タロットカードが一枚飛び出してくる。

 ワンドのナイトだ。

 意味は、出発。


 『すぐにでも行きましょう! 僕はあそこであなたと会ったんです! 思い出して来ました』と鶏さんが急かすが、すぐに行けるものではない。


 滝川さんにも私にも予定というものがあるし、滝川さん一人で行っても、鶏さんのことが見えないので状況がどうなっているか全く分からない。


「鶏さんはすぐにでも行きたがってますけど、まだ二週間ありますからね」

『後二週間は鶏肉と卵を禁止……豚肉のメニューがもうないんですけど』


 鶏さんが十歳の男の子だと分かったときから、滝川さんは鶏さんが傷付くので鶏肉と卵を控えている。

 滝川さんの部屋にお猫様のちゃーちゃんとはいちゃんが入って来ることもなくなって来ていた。


「滝川さん、優しいんですね」

『大人同士だとマウントの取り合いになりますけど、子どもにそんなことしません。子どもの出て来る小説書いてるし、子ども好きってわけでもないですけど、泣いてる十歳の子どもに意地悪できないでしょう』


 子ども好きではないと言っているが、私は滝川さんが意外と子どもを可愛がることを知っている。

 前の職場に勤めていた時期に、上司のお子さんを預かっていた話をきいていたのだ。


「子ども好きじゃないって、滝川さんは子ども好きだと思いますよ」

『そうですか?』

「上司のお子さんに、冷蔵庫のチーズ上げたって話じゃないですか」

『あれはあげたんじゃなくて、取られたんです!』


 主張する滝川さんの肩の上で、鶏さんはリラックスしていた。

 お猫様の脅威もないし、鶏肉や卵を食べられることもないので、心穏やかに暮らせているのだろう。


 鶏さんがご両親の元へ帰れるかもしれない希望も見えて来た。


『具体的に平等院鳳凰堂で何をすればいいんでしょう?』

「そこは聞いてこなかったですね」


 そこは考えてなかったと、私はタロットカードを混ぜた。

 恐らく、鶏さんに聞いても分からない。

 それならば、猫さんならばどうなのだろう。


 ミステリアスな雰囲気で、猫さんは全てを知っている気がするのだ。


 タロットカードをよく混ぜて一枚捲ると、カップの七が出た。

 意味は、夢。

 自分が本当に望んでいるものが分からず、迷うという意味もある。


 『それ以上は考えても無駄よ。実際に行ってみて、阿弥陀如来像にお参りしてみることね』と猫さんが答えてくれる。


「考えても、調べても無駄みたいです。阿弥陀様にお参りすればいいのかな?」

『鶏さんは、阿弥陀様からの使者だった!? それを雑に扱ってしまった!』


 滝川さんは今更ながらに後悔しているようだった。


 劇団の公演の日の近くまで、私と滝川さんは、これまで通り毎日通話をして情報交換をしていた。


『あの交流小説で書いたチョコレートのお店があるんですよー! 千早さんのホテルの近くです』

「えー! 行きたいです!」

『初日は平等院鳳凰堂に行くのも時間が微妙だから、そこでおやつにしませんか?』

「嬉しいです!」


 お誘いを受けて私は大喜びで返事をする。

 タロットカードを混ぜている手から、カードが飛び出して来た。


 ソードの七。

 意味は、裏切り。

 『二人だけで楽しそうなことをして狡い! 裏切りだ! 早く僕を平等院鳳凰堂に連れて行ってください!』と鶏さんが主張している。


「鶏さんは早く行きたいみたいですけど」

『千早さんのホテルからだと距離が微妙なんですよね。二日目に行きましょうね』

「はーい!」


 いい子のお返事をする私に、ソードの七が『酷い! 裏切った!』と訴えかけて来ていた。


 梅雨が終わる頃、私はキャリーケースに荷物を詰めて、新幹線に乗って、早朝に劇団のある県まで出かけて行った。

 劇団のある県は、私の住んでいる県から、新幹線で約三時間かかる。

 早朝に出ても到着はお昼になってしまう。


 新幹線の中では携帯電話の充電をしながら、滝川さんとメッセージを送り合う。


『今、新幹線に乗りました。到着は十一時過ぎです』

『ホテルに荷物を置いてから、出かけられますよね』

『そうですね。お昼も食べておきます』

『ホテルのチェックインが終わって、荷物を置けるのは、十二時過ぎかな?』

『その頃に新幹線の駅でお会いしましょう』


 集合場所も決めて、私は新幹線の座席に大人しく座っていた。


 この日のために新調したワンピースと、作ったイヤリングとブレスレット。

 お化粧はマスクをしているので必要ないと思われる。


 新幹線に乗っていると、怪しい動きをしている男性に気付く。

 駅員さんが切符をチェックした後で、指定席の車両に入ってきて、私の前の席に座って、思い切り座席を倒して来たのだ。


「せ、狭い……」


 新幹線の指定席の座席が広めだと言っても、完全に座席を倒されると圧迫感がある。

 恐る恐る私はその男性に声をかけた。


「もうちょっと、座席を立ててもらえませんか?」

「あぁん?」


 すごまれてしまって私が怯えていると、男性が席から立ち上がった。


「あんた、何様のつもりだ? ひとが席をどうしようが勝手だろう?」


 男性からはアルコールの強い匂いがする。しかもマスクをしていない。

 このパンデミックの世の中で、マスクをしていないひととあまりお話をしたくないと私が構えていると、その男性は私の座席に近付こうとする。


「ひぇ!?」


 驚いて私が逃げようとした瞬間、足元で寛いでいた猫さんが巨大化して、男性に飛びかかって行った。

 猫さんのことが見えないひとたちには、男性が足を滑らせて通路で転んだようにしか見えなかっただろう。


 仰向けにひっくり返って、頭を打って悶絶している男性に、近くのひとが乗務員さんを呼んでくれていた。


「指定席の券はお持ちですか?」

「いや、あの……」

「列車内ではマスクの着用をお願いしているのですが」


 屈強な乗務員さんの前では何も言えなくなっている男性は、そのまま連れて行かれて、私は前の座席を元に戻した。

 座席に座ると膝の上に猫さんが乗ってくる。


「ありがとう、猫さん」


 露出狂に会ったときもだが、今回も猫さんは守ってくれた。

 小さい頃から、本屋に行くと見知らぬ男性から足の間に足を入れられたり、電車では鼻息が髪にかかるくらい接近されて嫌な思いをしてきた私。

 そんな私を猫さんは助けるためにやって来てくれたのかもしれない。


 猫さんの正体は全く分からないけれど、私は何でもいい気がしていた。


 ほんの少しだけ、数年前に亡くなった伯父だったらいいなと思わなくはないが、猫さんの喋り方が女性的なのでそれはなさそうだ。


 伯父は兄弟の多い私の家によく手伝いに来てくれて、私にとっては第二の父親のような存在だった。それだけに伯父が亡くなったときには本当にショックだった。


「もしかして、猫さんは伯父さんに言われて来たの?」


 聞いてみたかったが、ここにはタロットクロスを広げるスペースもなければ、タロットを置く場所もない。

 タロットクロスもタロットカードも、キャリーケースの中に仕舞ってあって、すぐには取り出せない。


 猫さんの正体は謎のままだった。

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