26.鶏さんとの別れ

 すっきりと眠って起きた朝、滝川さんからメッセージが入っていた。


『朝ご飯、面倒だから食べないとか、ダメですからね! 今日は長丁場になるかもしれないんだから!』


 見透かされていた気がする。

 私は大人しく駅のコンビニに行って、おにぎりを二個手に取っていた。

 それ以外に食べるものを探していると、だし巻き卵のパックと、お漬物の詰め合わせがある。


 コンビニの品ぞろえも県が変わると違うものだと実感させられた。


 買ってからホテルの部屋に戻って、滝川さんからもらったフレーバーティーをマグカップに淹れて飲む。小さいパックの牛乳も買って来ていたので、ミルクティーにすることができた。


 旅には姉から買ってもらった鳥の螺鈿細工の付いたマイ箸を持って行くのが習慣になっているので、だし巻き卵もお漬物も問題なく食べられる。

 滝川さんの住んでいる県はお漬物が美味しいと聞いていたが、やはりとても美味しい。コンビニのお漬物でこれだけ美味しいのだから、専門店のお漬物ならばどれだけなのだろう。


 お漬物好きの私はうっとりとしてしまった。


 残った牛乳は飲んでしまって、トートバッグにタロットカードとタロットクロスを入れて、貴重品も入れて、お気に入りのミントグリーンのワンピースに着替える。

 靴下をはいて、準備万端にしてホテルの入口に降りていくと、滝川さんが来ていた。


「よく眠れましたか?」

「ぐっすりですよ。滝川さんは朝早くから大変だったのでは?」

「ブラックな企業に勤めていた頃に比べたら平気です」


 二人で挨拶をして、電車の駅に歩いて行く。

 今日の滝川さんのTシャツはエジプトの神様だった。「バステト」と名前が書いてある。

 電車に乗って十七分、そこから徒歩で十分の場所に平等院鳳凰堂はあるという。


「昨日行ってもよかったんですけど、時間が遅くなったら、帰りが心配だったので今日にしました」

「暗くなると怖いですもんね」


 話しながら切符を買おうとする私に、滝川さんが言ってくれる。


「ICカードで行けますよ」

「あ、そうか。全国共通でしたね」


 地元のフェレットをイメージキャラクターにしたICカードも持っていたけれど、それは地元だけで使える割引を付けていたので、私はペンギンがイメージキャラクターのICカードを取り出した。

 姉と東京に行ったときにあまりの可愛さに買ったものだ。


「千早さん、二種類ICカード持ってるんですね」

「ペンギンさんが可愛すぎて、姉と東京に行ったときに買っちゃったんですよ」

「千早さん、鳥好きですもんね。鶏さんはどうして千早さんのところに行かなかったのか!」


 言われて私は気付く。


「そういえば、私、鶏肉嫌いであまり食べないかも。卵は大好きなんですけど」

「ますます、千早さんのところに行けばよかったのに!」


 そんなことを言われて、滝川さんの肩の鶏さんは不服そうだった。

 タロットカードがないと意思疎通ができないというのは困りものだ。

 先に話を聞いておいた方がいいかもしれない。


「どこか座れて、タロットカードが捲れるところがないですかね?」

「消えてしまう前に鶏さんの話は聞いておきたいですよね」


 滝川さんが調べてくれると、平等院鳳凰堂の近くにお茶屋さんがあるようだ。そこで申し訳ないが少しだけタロットカードを触らせてもらうか。


 考えていると、私の頭の中に声が聞こえてくる。


『平等院鳳凰堂が近付いてきているのが分かる。僕の力がみなぎってきている』


 これは鶏さんの声だ。


「平等院鳳凰堂が近付いて来たからか、鶏さんの声が聞こえます」

「千早さん、タロットカードを使わなくても意思疎通できるようになったんですね」

「スピリチュアルとか信じてないんですけど、十歳の子どものためです、頑張ります!」


 電車から降りて平等院鳳凰堂に歩いて行く間も、ずっと鶏さんは騒ぎ続けていた。


『もうすぐ、平等院鳳凰堂に着く! やっとだ! 僕は解放される!』

「解放されるって言ってますけど、分かるんですかね?」

『何となく、そんな気がするんです!』

「鶏さん、お喋りだわ」


 鶏さんの喋っていることを滝川さんに伝えると、苦笑している。

 十歳の男の子がずっと黙ってじっとしていることなど難しいから、これが普通なのかもしれないが、とにかくうるさい。


『力がみなぎる! 空も飛べる気がする!』

「なんか、右目が疼く、みたいな中二病なことを言っています」

「十歳なのに、既に中二病なのか!? 痛い奴!」

『ひどい! なんでこんなに意地悪なの!?』

「ショック受けてますよ」

「たまにはショックも受けさせて、現実の厳しさを教えないと」


 ころころと笑う滝川さんに、つられて私も笑っていた。


 平等院鳳凰堂について、拝観料を払って中に入れてもらう。

 観音堂は修復のために非公開だったが、鳳凰堂は見られるようだ。


 鳳凰堂は朱塗りの建物で、屋根の頂に金色の鳳凰が羽を広げている。

 十円玉に描かれているのと同じ姿に見惚れていると、滝川さんが携帯電話で写真を撮っている。


「池に映った鳳凰堂と本物の鳳凰堂がどっちも綺麗ですよ」

「本当だ。私も写真を撮っておこう」


 完全に観光客になった滝川さんと私だが、私の視界の端がやたら眩しくなっている。

 写真を撮り終わった私が滝川さんを見ると、肩の上に乗っている鶏さんが姿を変えていた。


「滝川さん、鳳凰です!」

「え!? 鳳凰!?」

「鶏さん、鳳凰になっています!」


 大きな声を上げてしまっても、朝一番の平日の客は私たちくらいしかいない。

 鳳凰になった鶏さんは長い尾羽を垂らして、大きな翼を広げている。その姿で滝川さんの肩の上に乗っているのだから、とても狭そうだ。


「まずは滝川さんの肩の上から降りてもらって」

「まだ乗ってるんですか?」

『ここが一番居心地がいいんだもん!』

「あなた、大きすぎますからね」


 私が言えば渋々鳳凰になった鶏さんは滝川さんの肩の上から降りる。金と赤の混じった体で、光を放っていて、飛ぶこともできて、鶏さんは明らかにランクアップしていた。


「光ってたし、飛んでたから、ただの鶏さんじゃないとは思っていたけれど、鳳凰さんだったんですね」

「鳳凰さんとか、そんなものを私は虐げていたわけ!?」

「虐げていた自覚はあったんですね」


 私と滝川さんが話していると、鶏さんが大きく羽ばたく。眩しすぎて私は目が眩みそうだった。


「うそっ……見える……」

「滝川さんも!?」

「なにこれ、鶏じゃない!」


 鶏さん改め、鳳凰さんの光のカケラを浴びた滝川さんは、鳳凰さんが見えるようになっていた。


『色々、つらいこともあったけど、やっと飛び立てそうな気がするんだ。僕、お父さんとお母さんのところに帰るよ』

「そうしてあげて。伯父さんと伯母さん、すごく悲しんでいたから」

『平等院鳳凰堂の阿弥陀様に、あなたのところで修行したら帰れるからって言われてたんだ。やっと思い出した。鳳凰に無事なれることができたら、お家に帰れるって』


 やはり、鳳凰さんは阿弥陀様に言われて滝川さんのところに来たようだった。

 感動の別れなのだが、滝川さんは「はよ帰ってあげて」と言っているし、猫さんはふわふわと揺れる長い尾羽につられそうになって、ぐっと我慢している。

 これは鳳凰さんはさっさと飛んで行った方がよさそうだ。


「鳳凰さん、ご両親の元で平和に過ごしてください」

「伯父さんと伯母さんを泣かせるなよ?」

『はい。ありがとうございました』


 金色の尾羽を長く振りながら、私と滝川さんの頭上を一回りしてから、鶏さんは飛んで行ってしまった。

 きらきらと光る粒子が名残に煌めいていたが、それも消えてしまう。


 これで私と滝川さんと鶏さんの騒動は終わったのだが、まだ私には気になることがあった。


 滝川さんには守護獣がいなくなってしまったのだ。

 守護獣のいなくなったひとというのはどうなるのだろう。


「滝川さん、タロットカードを広げられる場所がありますか?」

「そうですね……悪いことしちゃいます?」

「え? 悪いこと?」


 にやりと笑った滝川さんに、私は小首を傾げる。


「カラオケ、行っちゃいますか?」


 このパンデミックの世の中で、カラオケは飛沫を飛ばすし、一人で歌う以外はあまり歓迎されていなかった。

 ただ、カラオケボックスならば個室で、二人きりで話せて、テーブルも使えることは分かる。


「悪いこと、しちゃいます!」

「カラオケに劇団の歌が入ってるんですよ。流しながら話しましょう!」

「はい!」


 カラオケに行っても歌うつもりはなかったし、マスクをしてタロットカードを広げて話すだけである。何が悪いのだろう。


 それでも、悪いことをするという囁きは、ちょっとだけ魅力的だった。

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