21.鶏さんの正体

 年度末に滝川さんが仕事を辞めてからもう三か月近く経つ。

 九州はすっかりと気温が上がっていて、暑さに弱い私はエアコンをつけるようになっていた。


 季節は梅雨に入っていて、毎日雨が降り続いてじめじめとして暑い。

 パソコンなど熱を放つ機器を使うので、私はこの時期からエアコンを入れるのが普通だった。


 滝川さんはその日は帰りが遅くなっていたが、寝る前に少しだけ話をしようとアプリで映像付きの通話をする。

 滝川さんは疲れた様子でタンブラーで麦茶を飲んでいた。私は大きめの保温保冷ポットから冷やした甜茶を魚の蕎麦猪口に注ぐ。ジンベイザメやウミガメも泳ぐ蕎麦猪口は、一度に飲み切る量を入れるのにちょうどいいサイズだった。


『千早さんのその器、可愛いですよね』

「小さめの蕎麦猪口を使っているんです。これだと一度に飲めてしまうから、保冷も保温も考えなくていいし、零さないですからね」


 タブレット端末に蕎麦猪口を近付けて説明すると、滝川さんが納得したように言う。


『千早さんが蓋の付いてるタンブラーしか使わないのって、零すからですか』

「バレました? ハンモックで揺られてるから、降りるときに蹴飛ばして、イヤホン水没させたことがあるんですよね。それ以来、蓋付きか、飲み切るサイズじゃないと安心しなくて」


 私が説明すると滝川さんは納得していた。


 液晶画面の端に何か映っている。

 目を凝らしてよく見ると、それは児童書だった。

 私も小学校の頃に呼んだことのある、少年が命のある機関車に乗って旅をするファンタジー小説だ。


「懐かしいですね、その本。私、大好きでした」

『私も大好きだったんですけど……』


 滝川さんの言葉がどこか歯切れが悪い。滝川さんの肩の上の鶏さんは何か言いたそうにじたばたと羽を動かしているが、私は滝川さんの言葉の続きの方が気になった。


『私、一歳年上の従兄がいたみたいなんです。親戚の中で年の近い子どもはその従兄だけだったみたいで、親戚の集まりがあるたびに、「遊ぼう」って誘われてたんです』


 列車遊びや車の遊びなど、滝川さんの好きな遊びではなかったので、滝川さんはずっと断っていた。

 それでもその従兄はずっと滝川さんに纏わりついてくる。


『面倒くさくなっちゃって、持ってた本を「これでも読んでたら」って、渡したんですよ。そのまま本は帰って来なくて、取られたんだと思っていたら、伯父さんと伯母さんが、今日の法事で話してくれて、本を返してくれたんです』


 滝川さんの伯父さんと伯母さん曰く、亡くなった従兄さんはその本を「もらった」ととても大事にしていたのだと。

 十歳で亡くなるその日まで。


『返してもらったけど、私は全然興味なかったのに、あっちはずっと覚えていたんだとしんみりしちゃいましたよ』


 話を聞いていると、鶏さんが画面に顔を近付けて来ている。鶏さんに言いたそうなことがあるので、私はタロットクロスを広げて、タロットカードを混ぜ始めた。


 タロットカードを七枚使うスプレッドに挑戦してみる。

 V字型にタロットカードを並べて、過去、現在、近未来、アドバイス、周囲の状況、障害となっているもの、最終結果で見て行くスプレッドだ。


 一枚目の過去のカードを開くと、ペンタクルの五が出て来る。

 意味は、困難。

 孤立無援という意味もあった。


 『思い出した……。僕は生まれつきの病気で長く生きられない運命だった。学校にも行けず、友達もいなかった。そんなときに出会ったのがあなただった』


「鶏さんは、その従兄さん!?」

『どういうことですか?』

「生まれつきの病気で学校にも行けず、友達もいなかったって言ってます」

『え!? 十歳の子どもなの!?』


 鶏さんの告白に滝川さんも驚いている。


 二枚目の現在のカードは死神。

 意味は、さだめ。

 いわゆる死神だから、死も表す。


 『長く生きられない運命だったけど、十歳で死んだのはつらかった。お父さんもお母さんもすごく悲しんでいたと思う』と鶏さんが告げる。


「やっぱり、十歳で亡くなったって言ってます」

『そりゃ、何もできないはずだわ。十歳なんて、プリントも出せないし、分数の計算始めたばかりだし、古典が教科書にちょっとでてきたくらい。何もできなくて当たり前でした』


 これまで鶏さんにつらく当たっていたことを、滝川さんは後悔しているようである。


 三枚目の近未来のカードはペンタクルのキング。

 意味は、貢献。

 自分の力を役立てようとしている状況を表している。


 『死んだ後、そばにいて助けてあげたいと思ってた。初恋だったんだ』という鶏さんの言葉を伝えると、滝川さんから鋭いツッコミが入る。


『私のところに来ている場合じゃないでしょう! 伯父さんと伯母さんのところに帰ってあげて』


 四枚目のアドバイスを飛ばして、私は五枚目の周囲の状況を見る。

 出て来たのは、ソードの九。

 意味は、苦悶。


 『お父さんもお母さんもすごく悲しんでた。帰りたい。帰りたいよぉ! でも、方法が分からない!』と鶏さんが訴えて来る。

 『その本を見るまで記憶がなかったし、法事でお父さんとお母さんを見て、やっと自分のことを思い出した。僕はどうしてここにいるの?』と鶏さんも混乱している。


「鶏さんも帰りたいみたいです。でも、方法が分からないって言ってます」

『十歳の男の子だもんね。お家に帰してあげたいですよね』

「そうですね」


 六枚目の障害のカードを見れば、月だった。

 意味は、神秘。

 幻想の中にいて前がはっきり見えない状況を表す。


 『僕も状況がよく分かってない。ここに来ればいつかお父さんとお母さんのところに帰れるんだと言われたような気がする』と鶏さんは曖昧なことを言っている。


「滝川さんのところに行けば、いつかご両親に会えるって言われたみたいですよ」

『誰に? まぁ、赤の他人の守護獣になるよりも、ご両親に会える可能性は高かったでしょうけど』


 それでも私がタロットカードを買って三か月、鶏さんと交流を持ってから、ずっと鶏さんの正体と鶏さんが滝川さんの元に来た意味は分からなかった。

 滝川さんが法事で伯父さんと伯母さんと会わなければ、分からないままだっただろう。


 最終結果の前に、アドバイスのカードに戻って捲る。

 出て来たのは、ワンドの八。

 意味は急展開。


 『今すぐに動く必要がありそうだけど、僕の声をどうやって届ければいいの?』と鶏さんは不安そうだ。


 滝川さんはそもそも鶏さんの姿が見えない。

 私は鶏さんの姿が見えるが、タロットカードを介してしか会話ができない。


「今すぐ動く必要があるけど、鶏さんと滝川さんの仲介をできるのは、私だけなんですよね」


 どうしようと私が迷っていると、滝川さんが液晶画面の向こうで声を上げた。

 何事かと話し出すのを待っていると、滝川さんが私に携帯電話のメールを見せて来る。


「当選……えぇ!? チケットがご用意されましたー!?」

『次の公演のチケット、抽選に応募してたら、取れました』

「おめでとうございます!」


 拍手をして滝川さんの幸運を讃えると、滝川さんが私に言う。


『一緒に観ませんか?』

「え? いいんですか?」

『ついでに、縁切り神社とかで、鶏さんの対処ができないかを、考えましょう。千早さんに来てもらえたら、鶏さんとコミュニケーションが取れるから、鶏さんを正しい場所に戻してあげられそうです』


 このパンデミックの最中ではあるけれど、一応患者数も今は落ち着いていて、緊急事態宣言も出ていない。

 私は滝川さんと鶏さんの仲介役として劇団のある県に出向くことに決めた。


 最終結果のカードは、戦車。

 意味は、エネルギー。

 果敢に物事に挑んでいく、勢いのある状況を示している。


 『とにかく勢いに乗ってやってみましょう! ていうか、やってください! 僕はお家に帰りたい』と泣き声の混じる鶏さんに私も滝川さんも頷いていた。


『十歳の子どもに意地悪はできないな。しばらくはちゃーちゃんとはいちゃんはこの部屋には入れないし、鶏肉と卵も控えます』

「滝川さん、優しい!?」

『何もできないって馬鹿にしてたけど、十歳なら何もできなくて当たり前ですもんね。私が悪かった気がします』


 反省している滝川さんに、タロットカードの中から太陽のカードが飛び出してくる。

 『優しくしてくれる! 嬉しい! やっぱり大好き!』と鶏さんが歓喜の舞いを踊っている。


「喜ばれてますね。大好きだそうですよ」

『大好きは、いらないです』


 バッサリと切り捨てられた鶏さんは、しょんぼりと頭を下げていた。

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