『小休憩』18番目の物語
利糸(Yoriito)
三途の川の三人の船頭
―――誰かの為に。
それができる人が羨ましかった。「誰か」に何を言われてもピンと来なかった。この世の在り方、人間を理解できない僕が殺し屋になったのは偶然か必然か。良い人とか悪い人とか、僕にはどうでも良かった。僕が殺した男の娘が復讐に来る。怒りを顕わにして僕に銃を向けた娘を僕は当然返り討ちにする。
「あんた。本当に父さんを殺しただけなのね。あんたは感情のない化け物よ」
今際の際に娘が放った言葉の意味を僕は理解することができない。
「分からない。僕は僕しか知らない。僕には僕しかいない。僕にとっては僕が普通だ。化け物とか言われても、分からない」
捕まって、裁判に掛けられた時も、裁判官の言っていることが何ひとつ分からなかった。
「引き金を引く時、何も思わなかったのか。何も感じなかったのか。あなたの殺しには迷いがない。無さすぎる。快楽も恐怖も罪悪感もない。罪の意識はないのか?」
僕は裁判官をまっすぐに見上げて言う。
「僕はあなたが何を言っているのか分からない」
死刑執行の日。絞首台の上に立って僕は気持ちが昂るのを感じた。初めて覚える感覚だった。
「ありがとう」
思わず言葉が零れていた。自分でも予想外の出来事に驚く。これが、気持ちが溢れるということかと独り言ちる。
「ずっと、この穴に飛び込む勇気がなかったんだ」
僕にはずっと見えていた心象風景があった。当然、現実にはない景色。目を閉じても閉じなくても見える景色。底の見えない真っ黒な穴が目の前に広がっている。
足元の床が抜けた。一瞬の浮遊感と全体重が喉元に掛かる。
暗転。
「……?」
僕は瞬きを繰り返す。真っ黒の中に寝転がっているようだった。目暗になったのかと手を翳してみる。自分の腕が見えて目が見えなくなった訳ではないことが分かる。
腕の向こうに不意に顔が覗き込んで来る。
「三人目!」
真っ黒なフードを被った少女が笑った。
「お師匠様ー!」
僕は走り去る少女を咄嗟に追い掛けていた。
「あ?」
辿り着いた先には髪の毛はボサボサ、無精髭の男が岩の形をした陰に座っていた。
「なんだ? そいつ」
「新しい仲間!」
「……」
「……当人にはまるでそんな気ないみたいだが?」
「アレ!?」
「そんな気ないというか……。ここは、どこだ? ここはなんだ? 僕は終わりに飛び込んだ筈なんだ」
男と少女が顔を見合わせると、男はため息をつき、少女は笑う。
「……仲間だな」
「仲間です!」
「新人だな」
「新人さん!」
「お前の後輩だ。色々教えてやれ」
「お? おお! 責任重大だ! 自信ないです!」
「自信なんていらねえよ。つーかなんの自信が必要だってんだよ。やり方知ってんだから、それを教えてやればいいんだよ」
「おおー」
「何の話……?」
少女が振り返る。
「頑張ります!」
「……」
「川が見える?」
少女の指差した先には確かに真っ黒な川が流れていた。音も気配もないその川の存在に僕は今の今までまるで気が付かなかった。気付いた途端にせせらぎの音が聞こえてくる。
「不思議だよねー。認識した途端に知覚できるようになるんだもんね!」
僕は驚いて少女の顔を見る。心を読まれたかと思った。ただの偶然か、それとも……。少女が笑う。その笑顔に僕は何故か違和感を覚える。そして、違和感を覚えた自分にまた驚く。それは僕にとって初めての感覚だった。
「ここはね。日本語で言うところの三途の川。ここでは言葉とかあんまり意味ないから、イメージが伝わってると思うけど」
僕は目を見開いた。
「……分かる。あんたの言ってることが分かる」
少女が笑う。さっき見たのと同じ笑顔だった。僕は先程の違和感の正体に気付く。少女は無邪気に笑っているようで、いつもどこか寂しそうだった。
「どこにでも、あの世とこの世の思想は存在する。その境目も。だからイメージが合えば伝わる。そして、ここにいる私達がすることといったら、分かるよね」
僕の手にはいつの間にか長い長い櫂棒が握られていた。
「橋渡し役」
「正解!」
話が通じるとはこういうことかと、僕は死んでから思い知る。
「まだ少し時間あるから練習しよう!」
これまたいつからそこにあったのか、川岸に浮かぶ二艘の小舟。少女は懇切丁寧に小舟の漕ぎ方を教えてくれる。
「それにしても三人目か」
岸の上の男が呟く。
「まあ。最近は一度に渡る数が増えてるからな。妥当っちゃ妥当か」
「昔はひとりだったんだって。船頭さん」
少女は男を師匠と呼んでいた。
「あんたが来るまではあの男だけだったってことか?」
「ううん。お師匠様の前の前のずーっと前の人までひとりで、いつしかふたり体制になり、新しい人が来る度に入れ替わってたんだけど。今回はお師匠様が渡る気配はないし。私がお師匠様より先ってことは多分ないし、実際そんな気配ないし」
「渡る?」
少女は対岸を指差した。
「……僕もあっちに行く日が来るのか?」
「来るかもしれないし来ないかもしれないし」
「曖昧だな」
「だってそもそも私達がここで船頭やってる仕組みも良く分からないし」
それは確かにと納得せざるを得なかった。
「ただね。共通点があるんだ。私達」
「共通点?」
少女は寂しそうに笑う。少女が何故そんな風に笑うのかは分からなかったが、
「人間に生まれたけど人間になり切れなかったというか馴染めなかったというか理解できなかったというか」
「ああ。分かる」
少女が何を言わんとしているかは理解できた。
そうこうしていると暗闇の向こうからゆっくりと何かが押し寄せてくる気配がする。ずっと座っていた男が立ち上がった。
「仕事の時間だ」
了
『小休憩』18番目の物語 利糸(Yoriito) @091120_Yoriito
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