二章 血塗られた過去
十六話 縮む距離と飲み物事件
「——芹崎さんって、体育祭で出る種目何だっけ?」
「……バドミントンです〜」
へなへなへな〜。
そんな効果音がぴったりなくらい芹崎さんは頭を力なく落とす。
俺は芹崎さんのテンションの低さに、思わず頬を緩めてしまった。
今は体育の授業中。
体育祭が近づいている中、各々がそれに向けて練習をしている最中だった。
「えっと……バドミントンは——」
「言わずもがな苦手なんですよ〜。ほら、見てください」
そう言われて、芹崎さんが指さした方向に俺は視線を向ける。
そこにはミディアムヘアの髪をなびかせて、鮮やかにスマッシュを打つ一人の少女が視界に入った。
——
バドミントン部の副部長を務めており、その実力は折り紙付き。
シングルで県大会優勝、全国大会準優勝。
ダブルスで県大会ベスト4入りという、凄まじい記録を持っている。
ダブルスの記録はシングルと比べるとそこまででもないが、それはパートナーが白銀の実力に追いついていないからだと噂に聞く。
これは一種の武勇伝と言えよう。
うちのクラスのカーストにも上位に位置づけており、顔立ちがよく、頭もいい。
まさに神から二物も三物も与えられた、いわゆる「天才美少女」だった。
白銀のスマッシュに、周りで見ていたクラスメイトが沸き上がる。
「私、あの白銀さんとダブルス組むんですよ? 足手まといになるのが目に見えているんです。どう考えても絶望的状況じゃないですか」
「ま、まぁ、そうは言ってもあくまで体育祭だから。そんなに気負う必要はないって」
俺はあくまで芹崎さんをフォローしたつもりなのだが、彼女は俺の言葉を聞いて何故か頬を膨らませていた。
……うん、相変わらず可愛い。
「祐也君は分かってません!」
「な、何が?」
思わず声が跳ねる。
芹崎さんに見惚れていた上、いきなり大きな声で叫ばれたものだからビックリしてしまった。
「よく考えてみてください! 隣が私の分まで頑張ってくれていて、周りがその人に歓声を浴びせている中、私は冷めた目で見られるんですよ!? なんというか……穴があったら入りたくなりませんか!?」
「それは——」
そう言われて、俺はなんとなく頭の中にその情景を思い浮かべる。
飛び交う歓声。
白銀の手を振る姿。
観衆に向けられる冷めた視線。
「……確かにそうだね」
想像しただけでも寒気がしそうだ。
「私と白銀さんが組むって決まった時点でそうなるのはわかっているんですよ。ただでさえ普通の人でも足手まといになってしまうのに、私が組むことになったらどうなることか……」
芹崎さんは肩を落とす。
その姿は、リストラされて
「じゃあさ——」
芹崎さんの言葉を聞いた俺は、瞳を潤ませている彼女にある提案を告げるのだった。
◆
「シャトルをガット越しに見て打つと、空振りにくくなるよ」
「分かりました!」
「サーブは腰あたりにシャトルとラケットを持ってきて、ラケットを押し出すようにシャトルを打つと……ほら、前に飛んだ」
「本当だっ……」
「あとは、打つときにもうちょっとラケットを上向きにして」
「はい!」
そうして俺たちは、学園の近くにある公園にやってきていた。
理由はもちろん、バドミントンの練習だ。
『——放課後、学園の近くにある公園で練習しない?』
『練習、ですか?』
『ほら、今日は六時限で授業が終わるよね? 芹崎さんが猫に変わるまで、まだ時間に余裕があると思うんだ。だから、みんなに冷めた目で見られないように練習しようよ』
『でも、祐也君まで付き合わせるわけには……』
『それは気にしなくていいよ。放課後は暇だから、芹崎さんの練習に付き合ったほうが有意義に過ごせる』
『……そう言って貰えるなら、是非ともよろしくお願いします!』
そういう会話を経て、俺は芹崎さんの練習に付き合っていたのだ。
彼女は運動が苦手だと言っていたが、コツを教えていくにつれどんどん上達していった。
きっと彼女は元々猫だったから出来なかっただけなのだろう。
コツさえ掴めてしまえば、そこからはあっという間だった。
まだたった三十分しか練習していないのにも関わらず、もう人並みには出来るようになっている。
「そろそろ休憩しようか。そこの自販機で何か飲み物を買ってくるよ。何がいい?」
芹崎さんは俺が思った以上に周りの視線を良いものにしたいようだった。
照りつける日差しの中、運動に後ろめたい気持ちを持っていた芹崎さんが文句一つ言わずに汗を流していた。
その姿に
「いえっ、練習に付き合ってもらって、その上飲み物まで買って貰うのは流石に申し訳ないです。というか、ここは私に祐也君の飲み物を買わせてください!」
芹崎さんは俺が奢ろうとしていることに気づいてしまった。
それどころか、彼女は俺の飲み物まで買おうとしてくれている。
「それこそ申し訳ないよ。もし買うなら自分の分だけ買って」
「そういうわけにもいきません!」
「あっ、ちょっと!」
俺が止める前に、芹崎さんは自販機のところに行ってしまった。
……なんか、こういうの多くないか?
「——ちょっとぐらい、お礼をさせてください」
俺が芹崎さんに追いつくと、芹崎さんは頬を膨らませながら言った。
「この前だって、マスターのご厚意を拒否したじゃないですか。こちら側の人間にとっては、そういうのを素直に受け取ってほしいものなんですよ。祐也君だって、その人のためになるだろうと思ってやろうとしていることを拒否されたら嫌じゃないですか?」
「……確かに、それは嫌だね」
「そういうことです。だから、私に祐也君の飲み物を買わせてください」
言葉を紡ぐ芹崎さんの瞳は切なげだった。
……そうか、俺は知らずしらずのうちに芹崎さんを傷つけてしまっていたんだな。
いや、芹崎さんだけじゃない。
マスターのことも、もしかしたら傷つけていたのかもしれないのか。
あのときは蓮がなんとかしてくれたから良かったものの、そのまま流れてしまっっていたら……
……気をつけないとな。
「祐也君は、何が飲みたいですか?」
「じゃあ……これがいいかな」
優しい笑みを浮かべて問いかける芹崎さんに対して、俺はある炭酸飲料を指差す。
「た、炭酸飲料ですか……すみません、違うやつにしてもらってもいいですか?」
「どうして?」
俺は芹崎さんの言葉に疑問を覚える。
つぶやいていた言葉から察するに芹崎さんは炭酸が苦手なんだろうけど、俺の飲み物だから俺が何を選ぼうと彼女には関係ないはずだ。
それなのになんで……?
「……祐也君が気にしていたのは、お金の問題ですよね?」
「あ、うん。まぁ、そうだね」
突拍子もない質問に、俺は少しぎこちなく返答してしまう。
「だから、二人で一つの飲み物を飲めば、祐也君も気兼ねなく受け入れてくれると!」
「……へっ?」
これぞ名案だと言わんばかりに自信満々な顔をしている芹崎さんに、俺は素っ頓狂な声を上げてしまう。
ちょっと待ってくれ。
二人で一つの飲み物を飲むということは、必然的に同じ飲み口を共有するということになって、それはつまり…………間接キス!?!?
「私、炭酸飲料が苦手なので、出来れば他のものを選んで貰えるとありがたいのですが……」
「いや、へっ? 芹崎さんは、嫌じゃないの!?」
「な、何がですか?」
「いや、それは……あれが、ああなっても」
「……何がなんですか?」
いや、言えるわけないだろ。
少なくともチキンな俺が。
「とにかく! その案は却下にしよう!」
「なんでですか? 祐也君が気にしてた部分って、お金のことだったんですよね?」
「いや、そうだけど!」
「だったら、二人で同じ飲み物を分けたほうが良くないですか?」
あぁーもう!
俺は一体どうすればいいんだ!?
間接キスになってしまうなんて俺の口から言えるわけがないし、だからと言ってもう一つ飲み物を買ってほしいは図々しい!
なんだ? 元は猫だからこういうことには疎いのか?
そんなのってありかよ!
ふと芹崎さんに視線を飛ばすと、彼女はちんぷんかんぷんな顔をしていた。
「……あの、芹崎さんが決めていいよ」
「いいんですか?」
「……うん」
一人だけ取り乱していることに気づいた俺は、一気に頭の熱が下がっていくのを感じていた。
そうしてとりあえず、その身を流れに任せるのだった。
俺なんかが芹崎さんと間接キスしていいのかよと、そう思いながら。
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