十七話 熱い二人に忍び寄る影
「——はい、どうぞっ!」
芹崎さんは、自分が口をつけたオレンジジュースのペットボトルを手渡してくる。
俺はありがとうと言って受け取ろうとするも、直前でその手を止めてしまった。
間接キスなんて、カップルがするものだろう。
付き合ってもいない男女がしていいものなのだろうか。
それも、俺なんかがこんな可愛い女の子と。
ふと俺は、ペットボトルを握っていた芹崎さんの手が震えていることに気づき視線を上げる。
するとそこには、唇に力を入れてぎこちなく笑う芹崎さんの姿があった。
その姿に俺ははっとする。
そうして、今度は迷うことなく芹崎さんからペットボトルを受け取った。
「ありがとう。それじゃあ、頂きます」
笑みを浮かべながら言うと、俺はそのペットボトルに口をつけてオレンジジュースを流し込む。
俺は今、とんでもないことをやらかすところだった。
芹崎さんの誘いを断ってしまえば、彼女が振り絞って決意したであろう勇気を無碍にしてしまうことになる。
元が猫であろうと関係ない。
間接キスの存在を芹崎さんが知っているのかは分からないが、恥ずかしさや不安を感じるのは猫も人間も一緒だ。
そこまで差別化してしまうのはよくない。
気をつけなきゃな。
そんなことを考えているうちに、気づけば俺はオレンジジュースを全て飲み干してしまった。
「ご、ごめん! 全部飲んじゃった……」
俺はペットボトルの飲み口から口を急に離して謝ると、恐る恐る芹崎さんに視線を向ける。
芹崎さんはそんな俺を見て呆然としていたが、時間とともに顔の頬を緩めていって、最終的には声を上げて笑っていた。
彼女の笑いにつられてなのか、彼女の笑った姿を見ることが出来たからなのかは自分でも分からないが、気づけば俺も口元に笑みをこぼしていた。
芹崎さんはひとしきり笑い終えて出た涙を拭うと、表情を緩め、俺の目を見据えて言った。
「そんなに美味しかったんですか? そのオレンジジュース」
「っ……」
その言葉に、俺は不覚にもドキッとさせられてしまう。
これは……どういう意味なのだろうか。
ただ単にオレンジジュースが美味しかったのかと聞いているのか、あるいは……。
オレンジジュースは美味しかった。
でも、俺が味わったのはきっとこのオレンジジュースの味だけじゃないだろう。
現に俺は感じていた。
オレンジではない、別の甘酸っぱさを。
悩んだ末、俺は——
「——うん、美味しかったよ」
芹崎さんがそこまで考えて言っているわけではない。
自分の中でそう結論づけて、俺は笑顔で素直な気持ちを彼女に伝えた。
「……それなら、よかったです」
俺の答えを聞くなり、芹崎さんは唇に浮かべていた笑みを強くした。
依然として心臓はうるさく鼓動しているが、彼女の艷やかな笑みを前に、俺は羞恥も忘れて見入ってしまうのだった。
一人の視線を感じながら——。
◆
「——で、なんでお前がここにいるんだ」
俺は芹崎さんを一足先に帰らせたあと、目の前にいる人物にそう問いつめる。
「たまたまよ、たまたま。今日は用事があるから、部活を早く切り上げて帰ってたら偶然見かけたのよ」
「たまたまねぇ……」
一体、こいつはどういうつもりなのだろうか。
俺には彼女の事情が分からないから何とも言えないのだが、だた一つ言えることとしたら——
「用事があるんだとしたら、こんなところで油を売ってないでさっさと帰ったらどうだ?」
「っ……まだ時間はあるから大丈夫よ」
「苦しい付け足しだな」
俺は苦笑まじりに言った。
「うるさいっ! というか、こんな話をしに来たんじゃないの!」
もう隠す気もねぇのかよ。
俺は心の中でそうこぼしながら白銀有紗を見据える。
「さっき祐也が一緒にいたのって、芹崎さんよね?」
「あぁ。それがどうした?」
「どうして祐也が芹崎さんとなんかいっしょにいたのって話よ。私が見たときは、二人で変な雰囲気になってたし」
そうか、白銀にはあの状況を見られているのか。
少し厄介だなと思いつつも、俺はその件に触れることなく口を開く。
「バドの練習をしてたんだよ。芹崎さんがお前の足手まといにならないようにって」
「バドミントンの練習であんな状況にはならないと思うけど、まぁ……いいわ。でも、素人が練習したって、所詮素人でしょ? どっちみち私の足手まといになるのは変わらないわ」
平気な顔をしてそんなことを言う白銀。
実際そうだった。
芹崎さんと白銀の実力差は絶望的。
そんな差を埋められるまで埋めたところで、白銀の足を引っ張ってしまうのは変わらない。
中学から白銀との付き合いがある俺は、それを理解していた。
「それでも、芹崎さんがやりたいって言ったんだ。そのやる気を、お前に咎められる筋合いはない」
「無駄な努力よ」
「勝手に決めつけるなよ。無駄かどうかは芹崎さんが決めることだ」
そうして俺たちは睨み合う。
……どうしてこうなってしまったのだろうか。
一昔前は白銀もこんな切り捨てるような性格じゃなかったのに。
「……このまま言い争ってても埒が明かないわね。とにかく私が言いたいのは、結局何をしても無駄だから諦めなさいってことよ」
「ここでまた反論しても、どうせお前は理解してくれないだろうからやめとくよ」
「それが賢明かもしれないわね」
そう言い残して、白銀はこの場を後にした。
「……なんだかなぁ」
公園に一人残された俺は、ため息まじりにつぶやく。
今回、白銀はどういう思惑であんなことを言いに来たのだろうか。
芹崎さんが自分以上に活躍したら困るから……ってことはないだろう。
芹崎さんが白銀以上に活躍するなんて、言っちゃ悪いが無理に等しいからな。
芹崎さんと白銀の差はそれだけ明確にある。
だとしたら、本当に一体どういう意味で……。
「——考えていてもしょうがない、か」
今度会ったときにでも聞いてみるとするか。
あいつとは、またどこかで出くわすような気がするしな。
そこで思考することをやめた俺は、気持ちを切り替えるためにとりあえずCATSに向かうのだった。
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