五話 夕焼けに光る仔猫

「祐也〜、俺もう先に帰るからな〜」


 遠くで蓮の声がする。


「いいよ〜」


 空が夕焼けに染まり、段々と肌寒くなる時間帯。

 にも関わらず、僕は砂浜でお城を作っていた。


 蓮と作ったお城。

 あともう少しで完成なんだ。


 僕にとって、蓮が一緒に作ってくれたこのお城は、言わば俺の宝物だった。

 蓮だって海で泳ぎたいはずなのに、僕が泳げないのを知っているから、きっと僕のことを思ってくれたのだろう。


 そんな蓮の優しさがつまったこのお城を、僕はどうしても今日のうちに完成させたかった。

 一晩経ったら、誰かにこのお城を壊されてしまうかもしれないから。

 潮が満ちて、お城が海にさらわれてしまうかもしれないから。


 だから僕は、一生懸命お城を作っていた。


「——にゃーん」


 ふと、甲高い猫の声が耳をくすぐる。


 浜辺に猫……?


 僕は視線を上げ、辺りを見回した。

 太陽はすでに沈み始めていて、影が濃くなっている。

 それに加え、僕は物を見つけるのが下手だったが、猫はすぐに見つかった。


 小さな浜辺に一つだけぽつんとある岩の影。

 そこに、真っ赤な太陽の光を反射している何かがいた。


 僕は作り終えたお城を置き去りにして、生き物の元へ足を運ぶ。


 ——銀色だった。

 模様は一切ない。

 たまに灰色でも銀色と称される猫もいるが、この猫は紛れもなく銀色だった。

 よく見ると砂を身体にまとわせていたが、それが気にならないくらいに太陽の光を反射して、綺麗に光っている。

 それはまるで、おとぎ話に出てくる生き物のようだった。


「猫さん、どうしたの? なんでこんなところにいるの?」


 問いかけてみるが、は反応しない。

 ただひたすらに、手を顔にこすりつけて毛づくろいをしている。


「……お母さんはいないの? 一人なの?」


 見れば、仔猫は一人だった。

 再び辺りを見回すが、母猫らしき存在は見当たらない。

 首輪がついていないため、誰かの飼い猫ということでもなさそうだ。

 迷子なのだろうか?


 ——だったら大変だ。


 僕はゆっくりと仔猫の頭に手を置く。

 そして手前から奥にスライドさせるように、子猫を撫でた。

 人懐っこい子なのか、目の前の仔猫は素直に僕の手を受け入れてくれる。


「もう大丈夫だよ。一人じゃない。だって、僕がいるもん!」


 笑顔で、僕は言った。


 一人だときっと心細いだろう。

 不安な気持ちでいるかもしれない。

 故の行動だった。


「僕ね、荒巻祐也って言うんだ。9歳なの。マスターの作ってくれるココアが大好きでね……」


 そこまで自己紹介したところで、僕はとある名案を思いつく。


「あっ、そうだっ! うちに来なよ! マスターだって前に猫飼ってたって言ってたし、君だって、きっと喜んでうちに入れてもらえるはずだよ!」

「——おーい、祐也君ー」


 仔猫を説得していると、遠くから声が聞こえた。

 この声はきっと——


「マスター!」


 声のする方に視線を向けると、そこにはマスターがいた。

 こちらに手を振って、浜辺に降りてくる。


「ほら、もう家に戻ろう……っ?」


 仔猫が視界に入ったであろう距離で、マスターは足を止める。

 その様子に訝しんだ僕は、マスターを見上げた。

 マスターは、目を見開いている。

 口も中途半端に開けたままで、どこか震えているような気がした。


「どうかしたの? マスター」


 マスターのいつもとは違う様子がなんだか怖くなってしまった僕は、不安を声に滲ませて言う。


「……その猫は、祐也君が見つけたの?」

「うん、そうなの。ねぇマスター、この子うちで飼ってあげない? 誰かの飼い猫でもなさそうだし、母猫もいなさそうだよ」

「母猫が、いないのか?」

「う、うん。さっき周りを探したけど、それっぽい猫は見つからなかったよ」

「……そうか」


 なんだか、さっきからマスターの様子がおかしい。

 落ち着きがなくて、いろんな方向に視線を泳がせている。


「……大丈夫? なんか、様子がおかしいよ?」


 僕はマスターに縋りつく。

 そして、マスターが少しでも安心できるように、マスターの足を強く抱き締めた。


「……あぁ、私は大丈夫。それよりも祐也君。この子を、とりあえずうちに連れて行こうか。このままだと風邪引いちゃうかもしれないからね」

「わぁ、本当!?」


 俺はマスターの優しい声に、笑顔で顔を上げる。


「あぁ。だから、今日はもう家に帰ろうね」


 俺の笑顔に、マスターも応えるように笑ってくれた。











 俺はマスターが過去に何を抱えていて、どういう心情であの仔猫拾ったのかは分からない。

 ただ、今に一つ言えることがあるとしたら、マスターはどこか懐かしそうな、嬉しそうな、それでいて哀しそうな瞳をしていた気がする。

 あのときのことを聞きたい気持ちもあったが、俺がマスターにこの話題を持ち出すことはない。


 出来ない。


 だって、それでマスターが辛い思いをしたら、俺はマスターを傷つけてしまうことになる。


 俺はマスターを傷つけることなんて出来ない。


 だって、俺にとってマスターは命の恩人だから。

 あのとき、今の俺はないから。


 マスターが笑顔でいられるのだったら、俺は喜んで自分の気持ちを押し殺そう。


 マスターだけじゃない。

 蓮だって、ミーシャだって芹崎さんだって。

 みんな笑顔でいられるのだったら、俺の気持ちなんか無視していい。


 みんなの幸せが、俺の幸せだから——

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