第4話 いつになくテンション低めな馬鹿たち

 夕食はカレーライスだった。それも、ごく普通のカレーライスだ。う~む、これはすごいことだ、ここでは。

 ちなみに、席はなぜか一つ空いていた。誰か居たような気もするし、誰かを部屋に運んだような気もするが、なぜか全く思い出せない。おそらく、あの席には最初から誰も居なかったのであって、俺の勘違いだろう。……そうだ! そうに違いない!

「いや~これは美味しいですね」

 教授もにこやかにしておられる。そうだ。気のせいだ、きっと。

「なあ、俺なんか十五分ぐらい記憶が飛んでるんだけど……何かあった?」

 長吉が食べながら俺に訊く。

「気のせいやろ?」

 赤間が笑顔で答えた。

「え? なんで赤間が……?」

「気のせいやろ?」

「……はい」

 そうだ。長吉。世の中には知らなくて良いこともたくさんあるんだぞ。

 俺はそれを無視して、カレーを頬張った。

 うん、美味い。このホウレンソウみたいな葉の食感が…………え?

「なあ、赤間。このカレー、ホウレンソウみたいな葉って入れた?」

「何言っとるん。食材の買い出しの時も一緒にいたやろ? そんな物あるはず……あ!」

 どうやら、彼女も気付いてしまったようだ。「異物」が混入していることを。

「あの~教授~……もしかして、カレーに何か入れませんでしたか?」

 俺はかしこまって尋ねた。

 教授は悪戯っぽく笑って答える。

「おや? 気付かれてしまいましたか。赤間君が席を外した時、実は隠し味にある山菜を――」

 やっぱりいいいいいいぃ!

 教授以外のその場に居る全員が凍りついた。

「はは。二度もそんな間違いはしませんよ。まあ、これと似たやつで幻覚作用のある植物があって、素人はよく間違えたりしますが……」

 いや、アンタも以前間違えたし玄人じゃないだろ?

 なんだろう……一瞬にして空気が重くなった。死にたい……というか、今度また間違ってたら多分死ぬ。冗談抜きで。

「ふむ、皆さん。疲れているせいか食が進まないようですね。ここは一つ面白い話を――」

 いや、食が進まないのも、この実習受け直しになったのも、全部アンタのせいだ!

「昔、とある女生徒が、この宿舎で焼身自殺した、という話をご存知ですか? そして、その女生徒の幽霊が真夜中になると、火傷を負った顔を隠しながら徘徊しているという……」

「よくある類の怪談ですね」

 とりあえず、という感じで赤間が相槌を打つ。

「実は、この話は裏があるのですよ。……そう、語ることのできなかった悲しい物語が」

 教授の目が遠くを見つめていた。

 俺らは「一応」という感じで雰囲気作りに押し黙った。

「彼女は若いうちから、そうまだ未成年のうちから大酒飲みで、しかも煙草まで吸っていました。いわゆる不良ですね……」

 そんなことか。長吉が少しがっかりした表情をする。

「その日も、実習後に食堂にこもって数人の仲間たちと飲んでいました。それも大変アルコール度数の高いお酒で、浴びるというか全身にかぶるように、ね」

 教授はそこで一呼吸置く。

「そんな泥酔状態で煙草を吸おうとライターに火を付けて、震える手で煙草に近付けていたら口元に付いた高純度のアルコールに引火してしまった、それはもう大変な騒ぎで、仲間たちは慌てて火を消そうとしました」

 ……だんだん馬鹿らしくなってきた。

「しかし、その仲間たちも案の定、泥酔状態で……夕食のフライに使った油が食堂の鍋に残っていたのでそれをかけてしまった……水と間違えて、ね」

 馬鹿だ。完全な馬鹿だ。

「こうして彼女は事故死してしまいましたが……彼女の家というのは大変な名家でね。こんな馬鹿げた死に方をしたのでは笑い物だと言うので、形式上は『将来に不安を抱いた末の焼身自殺』という結果になったのです」

 明男が大きなあくびをした。

「あの……それのどこが『悲しい物語』なんですか?」

 俺はたまりかねて訊いた。少なくとも俺には、同情する余地が少しもない気がしたが……。

「可哀想だとは思いませんか? 彼女は家柄にとらわれて、本当の死因すら隠されてしまった。確かに、他人から見れば馬鹿なことなのかもしれません。しかし、人間誰しも若いうちは馬鹿なことをしますし、それすら隠蔽されてしまっては面白味のかけらもありません。きっと彼女はその無念の想いから、今でも夜な夜な現れているのではないでしょうか?」

「はあ……」

 少なくとも、俺には理解できない話だ。いや、この場に居る者で教授しか理解できていないだろう。

 こうして、疲れている状態で怪しげな物を喰わされ、意味不明な話をされ、俺たちはどんどん意気消沈していった。まあ、結局のところ俺らなんてそんなものだろう。


「おい、お前の携帯。メールか何か来てるぞ」

 俺は隣の二段ベッド上段に居る長吉にそう言った。

 同じ部屋、男子学生寝室の二段ベッド二つの上段には俺と長吉、下段には明男と中谷が居るが、中谷は言うまでもなく瀕死、明男は疲れて眠りこけているので起きているのは俺と長吉だけだ。

「ああ、いいよ。放っておいて」

「ここは電波が届かないから、随分前から放置してあるってことだろ? いいのか?」

「いや……面倒だし、読みたくないんだよな。どうせあのキチガイ女からだし」

「『キチガイ女』?」

 俺が問いかけると長吉は面倒そうに話しだした。

 きっかけはふとした気まぐれ。ちょっと面白そうだからと、いわゆる「出会い系」に手を出してしまったのだそうだ。

 それである女とメル友になって、最初は喜んでいたのだが、徐々におかしくなってきていることに気付いた。異様なまでに頻繁にメールが来るようになったのだ。

「――俺は適当だからな、一日に五十回も百回も返信できねえよ」

 女のメールの数は異様なほどにまで膨れ上がっていった。しかも、その一つ一つが偏執的なこだわりや独占欲を強く感じさせる物で、会ったことのない相手にこうまで執着するその女に長吉は恐怖を抱くようになった。

「……で、突然連絡を切ったのか?」

「いや……俺もそこまで薄情じゃないさ。ちゃんと『終わりにしましょう』って、連絡のメールは送ったさ……でもな……」

 女のメールはやまなかった。それどころか、以前にも増して病的なものに変わっていった。

「……それで、最近じゃ『あなたにその気がないのなら、殺してあげる。あなたの周りの人もみんな。』って、脅迫じみた物まで来て……」

「おいおい! 個人情報は言ってないだろうな?」

「そりゃまあ……ま、大丈夫だ」

 ――こいつは、ちょっと危ないんじゃないか?

 言い淀む長吉を見て、俺はそう思った。

 元々この馬鹿は、口が軽い方だ。そうでなくとも、自分では気づかないうちに教えてしまっている可能性もある。断片的な情報でも、繋げ合わせればどうにかなったりするものだ。

「さっさと拒否設定するかアドレスを変えろよ」

「拒否したら向こうがアドレス変えて何度でも来るし、こっちのアドレス変えると知人への連絡が面倒なんだよなぁ……」

 長吉はそう言って大きなあくびをしている。

 相変わらずいい加減な奴だ。女の言う「みんな」に俺が入っていなければ別に良いが。

「じゃ……おやすみ。電気消しといてくれ」

 そう言い終えると、さっさと寝てしまった。余程疲れていたのか五分と経たないうちに寝息が聞こえ始めた。

「さて……と」

 俺は一人でそう呟くと、今日集めた植物の整理を始めた。しかしそれも、長くは続かない。今日はアクシデント続きで採集できた種数があまりに少なかったからだ。

 かといって、寝る気にもなれず、俺は部屋の電灯を消すとそっと廊下に出た。食堂でお茶でも飲もうかと思ったのだ。

 案の定、食堂には誰も居なかった。当然だ。もう皆疲れて眠っているのだろう。

 静かだ。嵐も収まったようで、今では雨音一つしない。

「やっぱり……随分と余裕やな」

 一人外の闇を見ながらお茶をすすっていると、背後から声が掛かった。

「赤間か……早く寝ておかないと明日が辛いぞ」

 俺は面倒臭そうに振り向く。今は一人で居たかったのに……。

「あんた……手ぇ抜いてるやろ?」

「どうしてそう思う?」

「なんか……いっつも余裕っていうか、本気でやっとるように見えへん」

 ――全く、面倒な女だ。

「そりゃあ、俺は怠け者だからな。無駄に動きたくないだけだ」

「本当に、そう?」

 赤間が俺の顔を覗き込むように見る。こうやって近くで見ると、悪くないな、とも思う。

「あんた……怠けてるっていうよりも、わざと加減してるような、一つの作業終えてから次の作業に移るまで、図ったような間があるんや」

 ――こいつ。見なくて良いところを、良く見てるなあ。

「……そうかもな」

「なんで? なんで加減するん? 傍から見てるとイラつくんやけど」

 はいはい、結局自分の都合かよ。

「『天才』と『凡人』の違いって分かるか?」

 俺は湯のみをテーブルに置くと、少し話すことにした。

 別に心を許した訳でもなんでもない。ただ、また同じことを訊かれるのが嫌だったからだ。

「え? 何それ?」

「『凡人』ってのは、いくら努力しても『天才』には勝てないんだ」

 そこまで言って、俺は深いため息をついた。

「俺は小さい頃は、自分は『出来る』人間だと思ってた。小学校三年の時、突然転校してきた奴に会ってから、それが変わった」

 赤間は黙って聞いていた。ちゃちゃを入れてくるのかと、入れてきてほしいと思っていたのにそれがなかった。

「俺はそいつに、何一つ勝てなかった。どんなに頑張っても、どんなに努力しても……ことごとく、ずっと、そいつの方が上だった」

「……でも、一度ぐらい誰しも――」

「『一度』じゃない!」

 俺はいつの間にか声を荒げていた。

「それから、四度も……そんな奴に、天才に会った。『勝てない』と言っても少し上じゃない。圧倒的に上なんだ。勝てる可能性が見つからないぐらいに……」

 そうだ。だから俺は――

「そんなことが何度も繰り返されて、俺は頑張るのが馬鹿らしくなった。どれだけ頑張っても、結局認められるのは一握りの天才だけ。凡人の努力なんて見苦しいだけだ。自分も、辛くて悔しいだけで何の意味もない」

 そうだ。俺は十分に頑張った。もうあんな苦痛は要らない。悔しい思いはしたくない。

「……それってつまり、そこそこで良いって諦めたってことなん?」

「そうだな。もう悔しいのは嫌だからな」

「でも、『悔しい』って感じるのならまだ完全には――」

「黙れ!」

 俺は赤間の肩を掴んで揺さぶった。

「悟りきった大人みたいな説教するな! 努力すれば何でもできるなんて、幻想なんだよ!」

 赤間は身をよじって俺の手から逃れた。どこか怯えているように見えた。

 その様子を見て、俺は我に返った。

「すまない。一人にしてくれ」

「……うん」

 赤間は立ち去ろうとして背を向けた。

「教授……言っとったよね。若い頃は馬鹿げたことをするもんやって」

「――だから?」

 そこでプツリと、かろうじて残っていた会話の細い糸が切れた。

 足音がとぼとぼと遠ざかっていくのが、いつまでも耳に残っていた。

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