王様のいない日

たちばな

ひとりの王様と召使いのお話。

 むかしむかし、あるところに小さな国を治めるひとりの王様がいました。王様はとても我儘で、すべてを自分の思うままに動かすことができました。なぜなら、強欲で傲慢な王様に逆らう者は皆、国を追放されたり処刑されたりしてしまうからです。王様の一声で、町の人が一生懸命世話をした農作物や家畜はすべて奪われてしまいます。そのため、その国に暮らす者は子供から大人まで、家畜でさえも、王様の気分を害さないよう細心の注意を払い、彼の横暴にいつも怯えていました。


 その国は、農夫がたくさん住む穏やかな町でした。大きなお城がある町の中心部には、古いレンガ造りの建物がいくつも並び、近隣国からの行商人を乗せた馬車が多く行き交っていました。特に、市場の通りは賑やかです。その国で採れた野菜や果物、肉、卵などの様々な食料品から、行商人が運んできたお洒落な雑貨、服などが売られていました。町の人々は活気溢れる市場を歩くとき、王様のことを忘れ、楽しむことができました。小さな国なので、皆仲が良いのです――王様を除いて。


 その日、王様はいつもにも増して機嫌を損ねていました。朝ぐっすり眠っていたところを、召使いに起こされたからです。王様は理不尽なので、起こさないと怒ります。ですがいつも寝起きが悪く、起こしても怒られる日があるので、召使いは毎朝ビクビクしながら眠っている王様に声をかけるのです。


 王様は寝巻のまま、朝食の席に着いていました。王様の食事を作るのは、この国でいちばんの腕前の料理人です。今朝のメニューは、香ばしく焼き上がったトーストと新鮮な野菜がたっぷりのトマトスープ、おいしそうに焦げ目がついたカリカリのベーコン、絞りたてのリンゴジュースです。装飾が施された上品なお皿に盛り付けられ、とても良い匂いがします。


 しかし、朝起こされて機嫌が悪い王様は朝食を前に大きなため息を吐きます。ガチャガチャと食器の音を立てながら、料理人が一生懸命こだわって作った料理を、あまり噛まずに飲み込んでいきました。王様の命令で、召使いたちは広い部屋の隅にピンと立ち、王様の朝食の様子を伺っています。料理人も怯えながら、並んで立っていました。


「おい」


 王様が声を荒げました。


「トーストが固すぎる。こんなもの、朝から食べられるか!」


「も、申し訳ございません!」


 料理人はすかさず謝ります。彼の豊富な経験と料理の腕前は確かです。トーストを、外はカリカリで、中はふんわりもっちりと焼き上げる自信があります。固すぎて食べられない、なんてことは有り得ないのです。ですが、王様の前で口答えは許されません。


 王様は朝食を残し、自分の部屋へ帰っていきました。王様の後ろ姿を見送ると、召使いたちはすばやくテーブルを片付け始めました。料理人は、王様が残した朝食を見て悲しくなりました。トーストは一口しか食べていないし、ベーコンも半分くらい、トマトスープは具だけスープボウルに残されています。王様が食事を完食するのは、一月に一度あるかないか。おいしかった、なんて言われたことはあったでしょうか。料理人は、もうこんな仕事辞めたいと思いました。でも、王様に辞めたいなんて言えないし、家には食べ盛りの子供と大切な妻がいるのです。料理人はため息を吐きそうになり、慌ててぐっと堪えました。


 王様は趣味で狩りをします。その日も、狩りの得意な召使いを呼びつけ、一緒に来るように命じました。王様は隣国から買った良血馬に乗ります。とても美しくて立派な体格の、大きな黒馬です。王様は特別動物が好きというわけではありません。しかし、自分より良い馬を持っている隣国に腹を立て、長いこと城で世話をされていた馬たちを売り払い、その馬を買わせました。王様は、人が自分の上に立つことを許さないのです。


 ピカピカに磨かれた馬具を装備した黒馬に、王様は跨がります。王様は少し機嫌を取り直したようで、二人の召使いを連れてお城を出ると、颯爽と森の中を駆けていきます。


 馬の足音を聞きつけた鹿が、遠くで飛び出しました。王様は大きな声をあげ、スピードを上げて鹿を追います。馬上から召使いが弓を引きました。しかし、矢は鹿に当たらず、お門違いな方向に飛んでいきました。これは召使いの策略でした。王様が見つけた獲物を召使いが先に捕らえてしまうと、王様は怒ります。いつも召使いたちが散々的を外した後、最後に王様が獲物を捕らえ、帰り道に、王様お上手で、と煽て上げて機嫌を取るのです。


 しかしこの日、召使いは運悪く獲物に矢を当ててしまいました。わざと外して弓を引いたつもりが、その茂みにもう一頭の別の鹿が隠れていたのです。矢が当たった鹿は悲鳴をあげ、王様に見えない場所に倒れ込みました。その声に王様はぴたりと馬を止め、捕らえた獲物の声がした方を振り返りました。王様が追っていた鹿の逃げる足音が、少しの沈黙に響いていました。


 鹿を射ってしまった召使いは、顔が青ざめていくのを感じました。もう一人の召使いも同様、心拍数があがり冷や汗がでてきます。王様は無言で獲物を見下ろした後、召使いたちのほうを鋭い目で睨みつけると、黒馬の腹を勢いよく蹴りお城の方へ走って行きました。足音が遠くなっていくと、召使いは二人揃って馬上でうなだれました。召使いは、もうこんな仕事辞めたいと思いました。でも、王様に辞めたいなんて言えないし、家には食べ盛りの子供と大切な妻がいるのです。召使いはため息を吐きそうになり、慌ててぐっと堪えました。


 王様がお城に帰りシャワーを浴びて部屋に戻ると、扉の前に召使いが立っていました。その召使いは、王様に政治や経済などの知識を教える勉強係でした。若いときに外国を飛び回っていた勉強係は、色々な国の言語を話すことができ、国を治めるのに必要な知識もたくさん持っていました。


 王様は先ほどの狩りで疲れていたし、今日は獲物を捕まえることができなかったので、ひどく不機嫌でした。ですが、昨日、部屋に来るように勉強係に言いつけたのは自分だったことを思い出し、渋々招き入れました。


 勉強係は分厚い本の途中のページを開き、椅子に腰掛けた王様に渡しました。王様は大きくため息を吐きながらそれを受け取り、椅子の上でふんぞり返って勉強係の話を聞きました。王様は勉強が嫌いでした。知識なんかなくても困ったことがあれば召使いがどうにか対処してくれるし、勉強の時間はただただ面倒で退屈でした。勉強係の話を聞くフリをして、王様は考え事を始めました。


 朝食のトーストは固すぎて食べづらかったし、狩りはいいところまでいったのにうまくいかなかった。召使いたちがもっと思い通りに動いてくれれば、こんなに気分が悪くなることもなかったのに。王様はそう思いました。そんなふうに考えていると、だんだん腹が立ってきました。なぜ王様である自分が、召使いたちに気分を害されなくてはならないのか、と。王様は膝の上の分厚い本を勢いよく閉じると、驚いて説明をやめた勉強係に言いつけました。


「今日はもういい。おわりにしろ」


「ですが王様、本日の内容はまだ……」


 勉強係は声を縮めて口ごもりました。


「おれの命令に逆らうのか!」


 王様は声を荒げ勉強係を睨みつけると、本を彼の足下に投げつけました。勉強係は慌てて申し訳ございません、と頭を下げて本を拾うと、小走りで部屋を出ていきました。


 勉強係は唇を噛みうつむきながら、早足で自分の部屋へ戻りました。この城で働く者はみな同じ境遇だから、と自分に言い聞かせてきましたが、そろそろ限界でした。毎日こんな様子で王様の機嫌に振り回されるのはもう懲り懲りです。勉強係は、もうこんな仕事辞めたいと思いました。でも、王様に辞めたいなんて言えないし、家には食べ盛りの子供と大切な妻がいるのです。勉強係はため息を吐きながら、ある決心をしました。


 その日の夜遅く、王様が眠った後、召使いたちが城の地下室にこっそりと集まりました。数本の松明だけが灯る薄暗いじめじめとした部屋で、召使いたちは息を潜めています。


「みなさん、集まってくれてありがとう」


 勉強係が古い木の椅子に座った召使いたちの前に立ち、静かに話し始めました。


「今日ここにみなさんを集めたのは、他でもない王様のことで話したいことがあるからです。きっと、みなさん同じ気持ちでしょう」


 召使いたちは真剣な面持ちで大きく頷き、勉強係に賛同しました。


「朝食に文句を言って、ろくに食べなかった。夕食のときには、支度が済んだ後にあれが食べたい、これが食べたいと言い出して、結局2回も作り直すことになった。」


 料理人が立ち上がり、もう耐えられないといった様子で言うと、同情の声があがりました。次に、狩りに同行した召使いが立ち上がります。


「先に狩りを成功させてしまったらひどく不機嫌になった。そのうえ、馬の足が遅いと難癖をつけ、今度はもっと高い馬を買ってこいと言われた」


 一人が話し始めると、抱えた不満に耐え切れず、みな次々に立ち上がります。理不尽な理由で怒ったり機嫌が悪くなったりして召使いに当たる王様に、直接言えない文句がどんどん溢れ出てきます。もし王様に逆らえば国を追放されてしまうかもしれないので、それが怖くて言いなりになるしかないのです。


「服を何着用意しても気に入らなかった」


「希望通り散髪したら元に戻せと言われた」


「掃除中なのにいきなり風呂に入ると言い出して聞かなかった」


「風邪のとき薬を出したら苦くて飲めないといわれた」


「寒くて寝れないというから毛布を出したら今度は暑いといわれた」


 だんだんヒートアップしていき、騒がしくなっていきます。そのときでした。


 コンコン。


 地下室のドアをノックする音が聞こえました。まさか、王様に聞こえていたのでは、という考えが浮かび、召使いたちは一瞬で静まり返りました。みな唾を飲み込み、この先のことを想像して震え出しました。この様子を王様に見られて、無事でいられるはずがありません。


 そうしている間にドアが開き、階段を下ってくる足音が聞こえました。地下室の入り口の方は明かりがなく、暗くて何も見えません。召使いたちは怯えて身を寄せ合いました。


「突然、すみません」


 しわがれた女性の声が聞こえ、召使いたちは誰が来たのかと暗闇に目を凝らしました。召使いのひとりが近くにあった松明を持ち、おそるおそる声のした方へ向かいました。そうして照らされたのは、濃い紫色のローブを身に纏い、大きな杖をついた老婆の姿でした。


「わたしは森に棲む魔女です」


 老婆は話し始めました。


「この国を治める愚かな国王のことは、よく知っています。みなさんがそれに悩んでいることも。どうでしょう、取引をしませんか」




☆    ☆    ☆    ☆    ☆





 夜が明けました。太陽が昇りきった昼前、王様は目を覚ましました。


「もうこんな時間じゃないか、なぜ起こしてくれなかった!」


 誰もいない寝室で、王様は怒り出しました。すぐに誰も来ないことに更に腹を立てた王様は、部屋の外で待機しているはずの召使に向かって怒鳴りました。


「また市場の行商が町でうるさくしている。これじゃあ騒々しくて何もできない。あいつらを追い出してこい!」


 しかし、召使いは現れませんでした。


「おい、聞いているのか……」


 王様がそう言いかけたとき、扉が開き、濃い紫色のローブを着た老婆が部屋に入ってきました。ゆっくりと、杖をつきながら近づいてきます。


「おまえは誰だ!誰の許可を得て城に入っている!」


 王様は慌ててベッドから立ち上がり、王のマントを羽織りました。


「愚かな国王よ」


 魔女は部屋の中央で立ち止まると、話し出しました。


「おまえは今まで何をしてきた。王としての責務を果たしたことはあるのか」


 王様は魔女の只者ではない雰囲気に緊張し、しかし、王である威厳を見せようと堂々と振る舞ってみせました。


「わたしはこの国の国王だ。わたしに従わないものはない。よって、わたしに従わないなら、おまえをこの国から追放する」


 それを聞いた魔女は、カ、カ、カ、と年老いた体を震わせて笑い、言いました。


「おまえは何か勘違いしているようだ。権力とは振るうものではなく、与えるもの。その意味をはき違え、権柄を振るうことでしか人と関われない、悲しい人間だ。間違った権力は、人を遠ざける。おまえはやがてひとりになる。国民に寄り添い、耳を傾けることがおまえの役目であろう。おまえが国王にふさわしい振る舞いをしたことが、一度でもあるだろうか?」


 王様は、老婆の言葉を聞いて黙ってしまいました。


「愚かな国王よ」


 魔女はもう一度言いました。


「悔い改める機会を一度だけ与えよう。3日後の晩、もう一度ここを訪れる。そのとき、おまえの意思を聞き、改めることができれば、この国に安寧と栄華を約束しよう。しかし、改めることができなければ、おまえはこの城の地下で暮らすドブネズミのような一生を送ることになる。よく考えなさい」


 魔女は王様の顔を見つめながらゆっくりと言うと、杖を床に一突きして消えていきました。


 王様は魔女が消えた後、そのまま呆然と立ち尽くしていました。しばらく無言で魔女がいた場所を見つめると、王様はベッドに座って頭を抱えました。自分がこれまでしてきたことと、王としての役目について考えていました。

 3日間、ずっと王様は自分の部屋に籠もりました。心配して様子を見に来た召使いも追い返し、料理人が気を遣って作ってくれた食事を、ひとりで時間をかけてゆっくりと、全部食べました。召使いたちは王様の様子に驚き、そして、少し心配しました。召使いたちは、王様がまだ王様になったばかりの、昔のことを思い出していました。

 そして、3日後の晩になりました。


 王様が部屋の椅子に腰掛けていると、音も無く光が集まり、濃い紫色のローブを着た魔女が姿を現しました。


「さあ、答えを聞きましょうか」


 魔女はやってくるなり、そう言いました。王様は立ち上がり、魔女の方を見て言いました。


「おまえに言われてから、ずっと考えた。わたしがしてきたことと、しなければならないことを」


 魔女は黙って、まっすぐに王様を見つめています。


「わたしは間違っていた。自分の思い通りに動く人がいれば、人の上に立っていられると思っていた。いつでも強い姿であることが、王としての務めだと思っていた。この国の国王になったとき、良い国をつくろう、みなの役に立とう、そう決意した気持ちを、いつの間にか忘れてしまっていた。わたしは、取り返しのつかないことをしてしまった」


 王様の声はだんだん小さくなり、やがてうつむいてしまいました。魔女の前では何でも見透かされてしまいそうで、地位と権力に溺れていた自分がひどく愚かに感じました。


「こんなわたしが、国王であることが許されるのだろうか。わたしはどこで道を誤ってしまったのか……」


 そのとき、部屋の扉が開き、召使いたちが入ってきました。魔女と王様のやり取りをこっそり聞いていたようで、勉強係が口を開きます。


「ご無礼を承知でお話しします」


 ゆっくりと、でもはっきりと言いました。


「あなたは人を遠ざけすぎたのです。確かに国王とは、孤高の存在です。我々には計り知れないほどのものを背負い、我々には届かないほどの高みで戦っている。でもそうしているうちに、王様は自分の立場だけにとらわれ、どんどんひとりで高いところへ行ってしまった」


 王様は泣きそうな表情で床を見つめました。勉強係は続けます。


「王様の仕事は、人の上に立つことではなく、人の前に立つことです。わたしたちの前で、わたしたちが進むべき道を示すことです。我々は、もう一度王様とやり直したいと思っています。我々の望みは、王様を替えることではなく、王様が変わることです。この3日間、王様は、たくさん考えたと思います。我々もたくさん考えました。どうかもう一度、やり直してみませんか」


 床に崩れ落ちた王様は、涙で濡れた顔を両手で押さえながら、何度も頷きました。





 その後、王様は失敗を繰り返しながらも色々なことを学び、国民や召使いの声に耳を傾け、そして寄り添い、亡くなるまでの数十年間でその国は農業大国として発展したそうです。


 一方、取引を成立させた魔女はお城の一室を与えられ、その国の新鮮な特産物をたらふく食べて優雅に暮らしました。そうやって再び魔力を取り戻した魔女が、国を支配しようと企んでいるのは、また別のお話。

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