第6話 深い深い森の中(3)
こんなにも理解を示してくれる人に対し、こちらの意見はあまりにも身勝手だった。
いい加減呆れられてしまうとも思っていた。
それなのに彼は否定せず、助言までくれる。
懐が深いなんて言葉では足りない。
見知らぬ森の中で聞く内容ではないわ。
驚きを隠せずにいる私に、彼はまたしても屈託無く笑いかけた。
「あとお前の気持ちを聞いて、俺はむしろ興味が強まったけどな。本性を知って評価が下がるかどうかも、相手にしか分かんねーさ」
「……その様な考えには至りませんでした」
「まず手始めに、名前くらい訊かないとな。俺はウィルバートっていうんだ。孤児院育ちだから、ラストネームは無い」
「申し遅れました。私の名は……レイナ・ロックハートと申します」
本音を言えば怖かった。
この姿では、さすがに疑われてしまう。
いいえ、それよりも正体に気付かせたことで、彼の目の色も変わるかもしれない。
幻想に彩られた翼が映って、他の人々と同じになってしまったらどうしよう……
懸念は絶えないけれど、私にはこれ以外に名乗る名前など持ち合わせがない。
慎重に彼と視線を合わせた。
「ロックハートって言や、国王の右腕とも評される王族の血族じゃないか。名門どころか、王国の財務を握る家の公爵令嬢だったのか」
関心はしているみたいだけど、過去に浴びてきた眼差しとは似ても似つかない。
単に事実を口にしただけであり、その先に
やっぱりこの人は、私に測れる狭い常識の器から外れた人なんだ。
ホッと胸を撫で下ろし、穏やかに答える。
「王族に含まれたのは先代までのことですわ。現領主である父はその肩書きを嫌い、一目惚れした下級貴族の息女と結ばれましたし」
「自分から血統による優位性を捨てるとは、確かにすげぇ親父さんだな。しかし先代と当代で成した偉業は、俺ら一般民にも広く知れ渡ってるぜ。何せ領地と税の在り方を、根本から覆しちまったんだからな」
広大な領地を平民や下級貴族に無償で貸し出し、農畜産業を営ませて生産性を高める。
そこで仕上がった生産品を売り、得られた資金を融資として他の貴族に渡すことで、王国内全体の領地改革を促した。
税は搾り取るものではなく、生み出すもの。
無駄に領地を拡大する時代は終わり、雇用形態や互いの利益を尊重した新たな価値観は、社会そのものを変えたと聞いている。
結局のところ、元々莫大な富を有した王族にのみ許された手法だけど、やっぱりお爺様やお父様、そして叔父様はすごいと思う。
それを
もしこれが夢じゃないのなら、私に帰る家なんてあるのかしら……
「おっ、見えてきたな。あそこまで行けば休憩できるから、もう少し頑張れよ」
不安感に駆られていると、私の腕を揺すって明るい声を出したのはウィルバートさん。
彼が指差す前方には、木が少なく開けた場所があり、その更に奥には川が流れていた。
「あの川を渡るのですか?」
「あぁ、ここら一帯を囲むように流れてるんだ。水の流れは緩やかだが深さがあってな、さっきみたいな魔物には越えられない。だからあれを渡った先が安全地帯っわけさ」
「魔物!? あの黒くて大きな犬に似た怪物は、魔物だったのですか!?」
「知らなかったのか。奴はブラックハウンドって呼ばれていて、この森には結構多いぞ」
まだ開拓できていない野生の土地には、普通の獣とは違い、
それらを魔物と呼称し、人類にとって最大の脅威であるというのは、周知の事実だ。
でもそんな危険のある場所、私はこれまでの人生で近寄ったこともない。
魔物についても知識としてあるだけで、実際の姿なんて知る由もなかった。
あんな恐ろしい生物が
これじゃ帰りたくても帰れないわ。
ウィルバートさんに従い、川沿いまでやってくると、手製のイカダが繋がれていた。
それも川の両岸に二隻ずつ。
どうやら森の奥地に入る傭兵達が、橋を架けずに渡る方法として選んだらしい。
橋があったら魔物まで越えてしまうものね。
首を伸ばして
目はパッチリとして大きいけど、赤かった瞳が深い緑色に入れ替わっている。
鼻なんてずいぶん低く、顎も小さいし丸くなっていて、幼さの残る中性的な雰囲気。
何よりピンク系の明るかった髪色が、濁ったような茶色のくせっ毛になっていることが、この姿にレイナ・ロックハートが結び付かない一番強固な要因となっている。
これが本当に今の私?
なんで見たこともない男の子なの?
せめて女の体なら、まだ状況が違ったのに……
丸太を組んだイカダに乗せられ、水面上を滑っている最中、私はウィルバートさんに事の経緯を全て告白した。
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