第5話 深い深い森の中(2)


「無事か?」

 


 やっぱり男の人だ。


 間近で見て、声を聞いて、即座に確信した。


 だけど返事ができない。


 短時間の内に色々あって、今も頭の中は混乱しっぱなしで、声が出せなくなっていた。


 口をパクパクさせるだけの私に対し、彼は安堵した表情を浮かべ、静かに話を続ける。

 


「なんて言ったのかは聞き取れなかったが、必死さは伝わったぞ。間に合ってよかった」

 


 そう言って差し伸べられた手を掴み、力の入らない足をなんとか立たせる。


 もう片方の手は凍える体をさすっていた。


 そんな私を見兼ねてか、その人は着ていたコートを脱ぐと、そっと私の肩に掛ける。


 そのままボタンまで止めてくれてるけど、なんでこんなに親切なのか分からない。


 

「これで多少は寒くないか?」

 


 喉が鳴らない分、必死で頭を縦に振った。

 


「言葉は通じてるみたいだな。ここにいると危険だから、少し歩くぞ」


 

 連れられるまま、木々の隙間を進んでいく。


 知らない場所に、知らない体。


 状況が一切飲み込めない私にとって、この恩人に救われたことだけが、唯一の事実だった。


 理由は不明でも、疑う気にはなれない。


 

「そんな格好で森の奥地に独りだったってことは、単なる迷子ではないよな?」


「はい。私にも何がなんだが……」


「お、少しは落ち着いてきたか?」


「え……? は、はい!」


 

 緊張がほぐれたのか、心を支配していたが薄れ、声を取り戻していた。


 嬉しそうに微笑む彼は、出会ったばかりの相手に、どうしてここまで寄り添えるの?


 言葉では伝えきれない、態度では示せないほどの優しさを、当然のように与えてくれる。


 一体どこから溢れてくるのだろう。


 よく見ると顔つきはうちの執事と似ているのに、性格がまるで違う。


 とても分かりやすく表現してくれる。


 とにかく、まずはお礼を言わなくちゃ。


 

「あの、すぐに感謝をお伝えできなくて申し訳ありません。先程は危ないところを助けていただき、本当にありがとうございました」


「気にすんなって。人間、助け合って生きてくもんだろ? にしても、急に大人びたな」


「えっと……何かお気に障りましたか?」


「いや、そうじゃないよ。お前は見た感じ十四・五歳の子供っぽいけど、話してみればしっかりしてるんだなって思ってさ」


「今の姿をどの様にお思いになるかは存じませんが、これでも私は十八歳ですので……」


「成人三年目か。まぁ大人歴十一年を超えちまったた俺からすれば、まだまだ子供と大差ないな」

 


 二十代前半に見えるけど、二十七歳だったんだ。


 性別から年齢まで、外見だけでは判断が難しい、とても不思議な人だわ。


 それはいいとして、さっきからいくら歩いても全然進んでる気がしない。


 同じような垂直の木が並び、土に生えるキノコも似た物ばかりで、景色の変化に乏しいのが原因かしら。


 もしかして、迷ったりしてないわよね?


 彼に対して僅かばかりの疑念を向けた矢先に、私は激しく後悔した。


 

「違ったら悪いんだけどさ、お前女か?」


「……え?」


 

 振り返った彼からの質問にドキッとする。


 今の自分がどんな顔なのかは知らない。


 ただ少なくとも、さっき半裸を目撃されてしまったし、そんな疑問は湧かないはず。


 それともこれは、女々しいとかの皮肉を含めた発言なのかな?


 質問の意図が読めない。


 そう思われること自体は嫌じゃないけど、もし不快感を抱かせたのなら変えなきゃ。


 悩んだ末に、大した返答は浮かばなかった。


 

「おっしゃる通りです……と申しましたら、信じてくださいますか?」


「本人がそう言うなら、そうなんだろ?」


「いえ、ですが……見られましたよね? それでも私の主張に意味はあるのでしょうか?」

 


 言葉なんて、上辺を飾る手段のひとつ。


 自分の眼で見た現実より優先されるなんて、絶対に有り得ない。くつがえったりしない。


 そうでなくちゃ、私の人生は良くも悪くも振り回されっぱなしだわ。


 全てを真に受けていたら、どれだけ多くの愛に包まれ、それを聞き流してきたというの?


 相手を喜ばせる嘘ならまだいい。


 でも全部本気だったとしたら、とても私一人では受け止められない。


 言葉ってそういうものよ……


 そんな悩みを嘲笑あざわらうかのように、彼はケロッとした表情で言い放つ。


 

「どうやら性別ってやつは、姿形すがたかたちだけで決まるものではないらしいぜ?」


「……では何が真実なのでしょう? 瞳に映るものさえ偽物であるとすれば、本物などどこにも存在しなくなってしまいます」


「つまり自分の本質ってのは、本人にしか分からん。他人が見聞きして何を言おうが、それはあくまで評価であり、真実じゃない。お前が自分を女だと思うなら、それだけが真実だ」


 

 彼が述べた持論は、私の知る常識とは全く異なっていた。


 相手を理解する為には、視覚や聴覚から得られる情報が頼りになる。


 しかし彼の言い分を考慮すれば、それはあくまで理解した気になっているに過ぎない。


 相手の真実とは、その人が語る本人像に他ならず、即ち信じる以外に知る術は無い。



 自分なりに噛み砕いて、すごく納得した。


 確かに私は本性を隠し続けてきた。


 自分について打ち明けず、ただ察してくれることを待ち続けた。


 願わくば、その上で愛してくれることを。


 誰にも理解されるはずがない。


 悟られない為の努力をしてきたのだから。


 それでいて、後ろにひそむ臆病者を愛しくれだなんて、今思えば虫のいい話だわ。


 そう考えると私って、欲しいものだけが永遠に得られない運命になるけど……



「とても参考になりました。それでも私は、本来の姿をさらすわけにはまいりません。私の評価が落ちれば、家格までけがしてしまいます。外面の評価にすがるしかないのです」


「んー……まぁお前にも事情があるんだろうけど、良い評価を得たいってのは当然の感情だろ。だがせっかくならさ、自分の評価は自分の為にあるべきだと、俺は思うんだよな」

 

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