第4話 深い深い森の中(1)


 意識が回復し、まばゆい光の中から初めに捉えたのは、薄茶色をした巨木のみき


 それも囲むように立ち並び、たくさんの細かい枝葉の奥から、白い雲も覗き込んでいる。


 湿った空気を吸い込むと、ほのかにカビ臭さを感じる、なんとも言えない独特の香り。



 ここはどこだろう。

 たぶん森の中なんだけど、私が知ってる森とは違う。


 そもそも何があったら森で寝たりするわけ?


 確か屋敷にいて………あれ? テラスから落下したのって、ついさっきよね?


 背中から首の辺りを地面に強打して、全身動かないし大量に吐血するしで、もう絶対に助からないと思ったんだけど……



 とにかく寒い。ものすごく冷え込んでるわ。



 上半身を起こし、震えながら両腕をさすっていたら、信じられない事態に直面していた。


 

「えぇっ!!? なにこの肌!? と言うか服着てな……って、この体って誰のよ!??」


 

 まず気付いたのは、腕の色が日焼け跡みたいに浅黒くなっていたこと。


 肌の白さは自信あったから、思わず奇声を発してしまったわ。


 そこでようやく、自分が布一枚纏っていないことも把握した。


 そりゃ寒いわよね……



 なんて考えていたのも束の間、大事な胸が無くなっていて、見知らぬモノが付いているのだから、これは別人の肉体に決まってる。


 驚きと寒さで凍りついてしまったけど、よくよく考えたら喉から耳に抜ける声、あれもかすれたように低くて少年っぽかったわ。


 風邪でハスキーボイス化しただけならまだしも、隈無く探った全身は説明し切れない。



 自分で動かせるけど、目にしたのは他者の裸体って……夢であるのは一目瞭然よね。

 明晰夢って言うんだっけ。

 むしろタチの悪い悪夢か。


 

「あぁーんもうっ、わっけわかんないわよ!! とりあえず着る物を探さないと、今度は凍え死にしてしまうわ。もう死ぬのは懲り懲りよ!」

 


 逝く寸前には謎の快楽を覚えていた。


 余分なものが抜け落ちていくような、全てのから解放されるみたいな。


 だけどその手前がひたすら苦痛だった。


 後悔や悲哀、嫉妬に狂気に罪悪感など、ドロドロした感情が一斉に身体中を這いずり回って、一刻も早くその恐怖から逃れたかった。



 あんな経験をするのは二度とごめんよ。


 例え夢でも、覚めるまでは生きなくちゃ。



 辺りを入念に散策し、ようやく手に入れたのは大きめの葉っぱと植物のつる。


 こんな物でどうやったら、冷気を凌げるというの?


 だけど何も無いよりはまだマシ。

 全裸で歩き回るなんて、それこそおぞましいわ。



 とりあえず下着代わりに身に着け、もっと役立つ物が無いか調べていると、遠くの方からガサガサと物音が聞こえてくる。


 ついでに荒々しい呼吸音や唸り声も入り交じり、とても穏やかなものではない。


 私は木陰に身を潜め、様子を窺った。

 


「あれって………野犬なの?」


 

 木々の奥から、しきりに鼻を動かして近付いてくるのは、人より大きな犬らしき生き物。


 黒く染め上げたような体毛を逆立て、指より長い象牙色の歯を剥き出しにしている。


 吐く息は煙と錯覚するほどに濃く、どう考えても獲物を狙う飢えた野獣だ。


 とてもじゃないけど逃げられない。


 馬みたいに発達した四肢で追われたら、棒切れ並みのこの体で逃げおおせるわけがない。



 どうしよう。このままじゃ肉片となって、獣の腹に収まる運命しか待っていないわ。


 歩き回った足の裏がチクチクするし、痛覚がリアル過ぎる。


 あんな牙に喰いちぎられれば、例え夢だとしても耐えられる自信がない。


 呼吸を殺し、震える身体を押さえつけ、ただ恐怖が去ることを祈るしかないのだろうか。



 忍び寄ってくる足音は、確実に私の匂いを辿っている。


 奴が地面を嗅ぎ回る度に鳥肌が増えて、心臓なんて今にも爆発しそう。


 ここで黙ってやり過ごすより、逃走に賭けた方がまだ可能性があったかもしれない。



 痛いのはもうイヤ。


 どうせ夢から覚めるにしても、普通に終わってほしかった。


 けれども猶予なんて残されていない。


 生き延びるにはあの化け物を追い払うか、救世主でも現れる奇跡にすがるしかなかった。


 私は肺の中に可能な限りの空気を吸い込む。

 


「誰か助けてーっ!!!」

 


 願わくば敵が怯んでくれるようにと、ありったけの体力を凝縮して叫び声に変えた。


 だって、本当に助けが来るなんて期待できないもの。


 しかし私を取り巻く展開は、予想だにしなかった方向へと開き直る。



 再び息を忍んで固まっていると、背後から突然甲高い声が耳をつんざいた。


 人ではなく、野性味溢れる動物の悲鳴。


 恐らく、先に聞こえた素早い足音の主が、怪物に攻撃を仕掛けたのだろう。


 状況を確認する為、背をもたれていた幹から慎重に向こう側を覗いてみる。


 そこに映された光景は衝撃的だった。



 胴体に深い刺し傷を負った黒い塊は、血飛沫しぶきを上げて倒れ込んでいく。


 脇腹から急所を一突き——といったところかしら。


 噴き荒れる血の量はおびただしいのに、剣を振り払う人は悠然と周囲を見回している。



 たぶん、男の人。


 暗くて緑がかった髪が背中に届いており、前から横にかけても頬まで伸び切っている。


 でも綺麗に分けていて目や耳も確認できるし、結った後ろ髪はハーフアップで纏まっていた。


 シュッとした体型も含め、パッと見女性らしく感じたけど、輪郭と面立ちが男性っぽい。



 その人は私に気付くと、剣を収めてゆっくり歩み寄ってきた。

 

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