中国統一後の対策を今のうちに考えようか

 さて、袁紹は死に、その息子たち袁兄弟は青州へ逃げ込んだ。


 冀州に比べれば黄巾残党の活動もいまだ活発な青州では復活の基盤としては不十分であろうから、袁家が中原の覇権を取り戻すのはもうほぼ不可能だ。


「むしろ統一した後に混乱が起こることを懸念するべきか」

 争いがなくなれば出世の機会もなくなるしな。


 中国で長いこと続いた戦国時代を終わらせたのは秦だが、紀元前230年に韓を、紀元前225年に魏を、紀元前223年に楚を滅亡させ、紀元前222年に趙と燕を滅ぼし、紀元前221年に斉を滅ぼしようやく中国を統一した。


 ここで始皇帝はそれまでそれぞれの国で別々だった度量衡や貨幣、文字の統一のために焚書や財貨の破棄、郡県制の実施など様々な改革を行ったが、それが反感を買ったのも事実。


 また、匈奴などの北方騎馬民族への備えとして、それまでそれぞれの国が独自に作っていた長城を整備統合し万里の長城を建設し、それに加えて阿房宮という壮大な宮殿の建築も行ったが、それによる過酷な労働と極度の法治主義により、全国の不満を高めてしまい、のちの反乱の芽を育てる原因となってしまう。


 戦乱が終わって生活が楽になるかと思った者たちにとっては、統一されたあとの方がむしろ生活がきつくなるようなら、以前の国が残っていたほうが良かったと思ってもしょうがない。


 こういった工事においても軍人兵士と民間人の扱いを分けなかったのも駄目だったな。


 たしかに秦は厳格な法律を採用して、急速に強くなった国で法を破ると王族でも重臣でもきちっと処罰され、法を守り手柄を立てると、どんなに卑しい身分でも褒美があった。


 それはたしかに短期間の混乱期には役に立ったが、秦以外の国の法律はもっと儒教的でゆるいものだった。


 しかし、支配した国に民にもいきなり秦の法律を押しつけたのはまずかった。


 陳勝・呉広の乱も、”予定の日までに予定の人数を率いて目的地に到着できなければ、どんな理由があろうと、人夫を引率した人間は死罪、人夫は罪人に落とす”という法のために、長雨で河が増水したので、足止めを喰らって人夫が逃亡してしまい、それが理由で殺されるくらいなら抵抗してやらあと、反乱を起こしたからで、同じような境遇のものが多数同調したのが原因だ。


 とは言え漢は秦や項羽の西楚の失敗をよく見ていたので前漢はかなり長く続いた。


 前漢は初期は、秦の苛烈な法治主義への反省と長い間の戦乱から来る国力の疲弊とを考慮して、郡県制を布く地方と、諸侯王を封じた半独立国を作って治めさせる地方とを並立したが、秦以外の旧六国地域の市民の中には漢の皇帝を「秦王」と同じように見なすものもあり、諸侯王を王としてかつての六国(戦国七雄)の復活を願う傾向が完全になくなったわけではなかった。


 漢は文帝・景帝時代の善政により疲弊していた国力を回復したが、中央政府は各地の諸侯王たちの権力を疎ましく思うようになったし、諸侯王の方でも自らの領地内では完全な独立の権限を保持し、中央政府の命令を聞かない者が多くなっていた。


 その中でも特に呉は製塩と銅貨鋳造によりもたらされる財力を背景とし、呉王劉濞の嫡子劉賢が皇太子時代の景帝に些細な口論から六博の碁盤を投げつけられて殺されたこともあって、諸侯王の義務である長安への参勤を取り止めるなど、独立色を強めていた。


 そして景帝に代替わりしてからは、景帝は最側近の御史大夫となった鼂錯の言を入れ、これらの諸侯王の力を押さえ込むため、些細な罪など口実を設けては諸侯の領地を次々に削り始めた。


 これに対して呉王劉濞は紀元前154年に、呉にも領土削減の命令が届いたことをきっかけに反乱に踏み切って、これに楚・趙などの六王が同調して反乱に加わって合わせて七国となったため、この反乱は後に「呉楚七国の乱」と呼ばれた。


 反乱側は、劉氏の和を乱す君側の奸臣鼂錯を討つとの名目を掲げた。


 実質的には呉と楚軍のみが長安目指して進軍したが、その兵力は数において漢の中央政府側を凌駕する程で、景帝は強い危機感を持たざるを得なかった。


 景帝は、父の文帝も厚く信頼していた袁盎の助言で鼂錯を処刑し、袁盎は呉王の甥と共に呉軍に和平の使者として出向いたが、既に天下の半分が加勢した勢いもあって呉王は驕り、鼂錯の排除も名目に過ぎなく、反乱軍が鉾を収めることはなかった。


 そのころ景帝は、建国の功臣である周勃の息子であり、文帝が「漢朝に有事あれば、軍を任せて解決せよ」と遺言していた周亜夫を太尉に任じ、これに楚漢戦争で活躍した欒布を付け討伐を命じ、まず彼らは要衝の洛陽と滎陽へ急行してこれを確保し、次いで梁・趙・斉の中間にある昌邑に入り、防御を堅固にして守りを固め、反乱軍の主力である呉・楚軍へは、機動に優れた兵を使い川筋の補給路を破壊するなど、徹底して補給線を切断する戦法を取り、呉・楚軍を飢えさせ、それによって呉・楚軍の戦意はみるみる低下し、兵達のみならず将にすら脱走者が出始めた。


 これに危機感を持った呉王は梁の都を置いて、昌邑を攻めることにしたが、周亜夫は、備えていた通り守りに徹し、更に西北から牽制し東南を攻めるという呉王の陽動作戦を見破り、東南に軍を集結させ、漢軍の十八番である平地における戦車でこれを撃退し、呉軍は撤退するが、周亜夫はこの機を逃さず追撃に出て、呉軍は崩壊し、呉王は軍を捨て逃れるより他無かった。


 最終的に呉王は東甌へ逃れたものの、東甌王により殺害され、その首は中央へと献上され、主力の呉軍の大敗及び呉王の死を知った他の王たちは、反乱が失敗に終わったことを知り、そのうちの2人は自殺し、それ以外の王は帰国したものの後に殺され、結局、乱の勃発から鎮圧までは3ヶ月という短い期間で終わって呉楚七国の乱鎮圧とその後を継いだ武帝が諸侯王が自分の領地を子弟に分け与えて列侯に封建するのを許し諸侯王の領土は細分化されて武力を失っていき、中央集権化が進められたことによりほぼ完全な中央集権に回帰し、更に匈奴が分裂し、北方異民族の圧力が減った事も大きかった。


 もっとも武帝が遠征を繰り返して漢の領土自体は拡大したが、その維持のために余計金がかかるようになって、それまでの蓄積した富をほぼ失ったことで、財源を確保するために富裕層を狙いうちした経済政策をとったことから豪族に不信感を持たれ、さらに武帝が皇帝親政を狙って、相対的な宰相の地位低下を計ったことで、外戚が台頭しやすい権力構造を作ってしまった事が王莽の簒奪を許すことになった。


 最終的には漢の十五代目の皇帝になるはずだった劉嬰のとき、外戚である王莽によって簒奪されて前漢は滅びてしまった。


 王莽は儒学や占いに基づいた政治を行う一方で、王莽自身も、貨幣の改鋳など失策を乱発し、新の財政を傾かせた。


 そして光武帝が後漢を打ち立て首都を長安から洛陽へ移動させた。


 これは利便性もあるし商業による税収を当てにせざるを得なかったというのもあっただろう。


 前漢末期の反乱多発や簒奪による新の建国、その後の戦乱で民衆はすっかり疲弊していたため、光武帝となった劉秀は前漢初期の皇帝と同じように、国力を蓄えることを優先し、将軍を臨時の地位にして地方への駐在軍を廃止し、徴兵をやめて傭兵で軍事を賄った。


 しかしこれが後漢でろくに反乱を鎮圧できなくなってしまう理由にもなる。


「このあたりが本当に難しいとこなんだよな」


 聖帝が徳を示し、相国は聖帝に忠義を捧げつつ武を保つというのがまずは理想かな。


 曹丕は皇帝を差し置いた皇后への奏上を禁止し、外戚(母親や妻の親類)の政治関与を禁じ、私刑や仇討ちを禁じる事で社会制度の安定を図り、大逆罪以外の密告を禁じ、密告自体を罪にするなどしているのでこれは真似したほうが良いだろうが、曹植など弟たちを僻地に封じ領地を頻繁に変える事で大きな力を持てない様にして司馬氏の台頭を許してしまうことになったのはあんまり良くはないんだよな。


 逆に晋の司馬炎は皇帝でありながら売官によって個人的な賄賂を取り、高官以下官吏に対する賄賂が蔓延し、汚職の風弊を酷いものにし、皇族を各地の王に封じた上で軍権を与えたことで、皇族間の争いを誘発することとなり、結局は八王の乱の原因ともなった。


「結局はどちらも程度の問題ではあるんだよな。

 なんで権力ってやつはなんでこれほどまでに人間を狂わせるのかね?」


 結局の所は日本で徳川幕府が行ったように、中央の権力武力は大きめにしつつ直轄領をきちんと統治し、親族や譜代の家臣などにもある程度の武力をもたせて、国を治めさせ、それ以外の勢力などを監視させつつも、それらの親族も含めて反逆を考えられるほど、どこかに権力武力が集中しすぎないように調整していくしか無いだろうと思う。


 後漢でも異民族が多い荊州や益州、交州のそれそれの南部、幷州の西部、幽州の東部や涼州北西部などは、ほぼ自治に任されていたし、モンゴル帝国やオスマン帝国も直轄州、独立採算州、従属国からなっているがこれが一番現実的ではあるんだろう。

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