忠臣による皇帝救出作戦は喜劇以外の何物でもないな
董卓が天子に対し庶民の生活を知るためにと、出した食事は明らかに天子が食べるものではなかった。
「もはや天子をこの地にとどめておくことは我らが許さぬ」
「まさしく」
王允や蓋勳は今までは天子のためと董卓に従ってきたが、もはや臣下の限度を超えた行動をとったと彼らは董卓を見限り天子を連れてここから離れることに決めた。
そこへ声をかけたのは張邈である。
「天子を暴虐なる董卓よりお救いするために、再び天子の行幸を董卓に進言し、その際に街から出たすきを突いて、馬車で冀州へ向かいましょう。
幸い私は袁(紹)本初とは親しき仲でありました。
私が頭を下げれば彼は私と天子を喜んで迎え入れるでしょう」
それに対して蓋勳がいった。
「うむ、可能であれば兵も多く連れていきたいところではあるが……」
それに対しては張邈が首を横に振った。
「ある程度は随行の兵はつれていけるでしょうが、兵に天子についていくことを説き伏せている時間はありますまい。
予めそういった行動をすることを部曲にだけは打ち明け随行の兵としてついてこさせるべきでしょうな」
張邈の言葉に蓋勳はうなずいた。
一方の董卓は賈詡や李儒、荀彧らと話をしていた。
「張(邈)孟卓はうまく”皇帝救出作戦”をやれそうか?」
そう問いかける董卓に対し李儒は深くうなずいた。
「はい、もともと張(邈)孟卓は漢の八厨の一人で、党錮の禁により官職につけなくなっておりました。
そして反袁術連合の提案者でもありますから、彼には漢室に対する忠義はございません」
「まあそうだろうな、とはいえ王允なんかは張(邈)孟卓は自分と同類だと思っただろうが」
賈詡は微笑んでいった
「行幸の際に張(邈)孟卓が王允に賛同するような姿勢を取らせたのは正解でしたな」
俺は大きくうなずいた。
「人間は自分が信じたいことが事実だと思うもんだからな。
張(邈)孟卓には埋伏の毒となってもらうとしよう」
そこへ荀彧が言う。
「かつて高祖の謀臣である陳平は、項羽が疑り深い性格であるため、その部下との離間が容易にできると進言し、そして劉邦もその実行に4万金もの大金を陳平に与え自由に使わせ、范増・鍾離眜・龍且・周殷といった項羽の重臣たちが、功績を上げても項羽が恩賞を出し渋るため、漢に協力して項羽を滅ぼし王になろうとしているとの噂を流し、項羽はその流言を信じて疑うようになり、特に范増はすぐさま失脚することになり、楚の内部を分裂させ知謀の才を持つ范増を排除したとききますな」
俺はその言葉にうなずいてから言う。
「うむ、未だに袁紹の勢力を侮ることは出来ぬ。
だが名目上天子がその忠臣とともに逃げてきたとなれば、袁紹はそれを無碍に追い返すようなことはできまいが、それにより家中は割れてこちらとまともに戦うこともできなくなるであろう。
戦争をするより金を使って離間させたほうが安上がりだ」
李儒はうなずいていった。
「それに”漢の忠臣”である彼らに兵が多くついていくとも思えませぬしな」
「そもそもそんなに目立つように行動するようであれば、こちらも即座に追いかけて討ち取っても良いが、それでは意味がない、せめてうまく隠れながら逃げてくれるくらいの才能は見せてほしいものだ」
史実では敵対していた袁術が落ちぶれて庇護を求めてきたときに袁紹は迎え入れようとしていた。
その途中で袁術は死ぬわけだが、もし死なないで袁紹のもとに無事にたどり着いたら、それはそれでおそらく袁紹にとって面倒なことになっていたのではないかと思う。
だから天子やその忠臣にも袁紹の頭痛の種になってもらおうと思う。
まあ、俺の名誉も彼らに逃げられたということで少し傷つくかもしれないけどな。
そして張邈が再びの農村への行幸を行いたいと言い出したのを俺は許可し、今回は俺は随行に参加しなかったし、後宮に入れた孫娘の董白などの宮女も随行させなかった。
結果として張邈は天子とそのほんの少しの世話係に王允や蓋勳らの少数の天子絶対主義者を引き連れて俺のもとから冀州へ無事向かった。
「どうやらうまくやってくれたようだな」
「まあ気付くものは気付くでしょうが」
「それならそれで構わぬさ」
なお、前漢の呂后が死んだ後に呂氏が陳平・周勃らのクーデターで打倒されると、陳平・周勃らは新たな皇帝を立てた。
これが明君文帝であるが、それまで建てられていた呂后時代の皇帝は恵帝の子であり、高祖劉邦の孫として即位したはずであったが、実は劉氏ではなく呂氏が出自を偽って皇帝に立てたのだという事を”公に”され、彼やその兄弟である王たちは全員が夏侯嬰らによって宮殿を連れ出され、文帝が迎え入れられる一方で殺害された。
また、時代は下って漢の武帝死後、武帝の子で最年長の燕王は、武帝の末子が即位したことを聞くと、その子供は本当に父の子なのか、霍光の子ではないのかと疑いの声を挙げたと伝えられている。
これは燕王が陳平・周勃らが少帝を始末したように、自分が武帝の末子である昭帝を始末して自ら即位しようとしたのであろう。
そしてこれを袁紹が同様なことをかつて行なおうとした。
すなわち”今の皇帝は霊帝の子ではないから、周勃たちが偽皇帝の少帝を殺して文帝を迎えたのと同じように殺害して、劉虞を新たな皇帝としよう”として冀州では献帝は霊帝の子ではないという噂を広めていたのだ。
袁紹は献帝の存在そのものを抹消して、劉虞を正統な皇帝に立て傀儡にしようと考えていたのだな。
袁紹は袁術に擁立された献帝を抹殺したときのため、彼は劉氏ではない偽皇帝であるとの情報を流していたのだが、この情報がどこまで流れてどこまで信用されたかはわからない。
だが、冀州において、また反袁術陣営において献帝の正統性は大きく揺らいでいたのは間違いない。
そして史実では後に袁紹が長安から逃げ出した献帝を迎えるかどうか迷った挙げ句に迎えずに終わった理由でもあったろう。
そして献帝の霊帝に対する非実子説を信用しない者にとっても、献帝の即位は多くの人々が納得するものではなかった。
なにせ袁術は嫡子の少帝弁を廃位しての強引な即位を行っているのだから。
だからこそ本来ならなるべきではない者が皇帝になってしまったのはよろしくない、正統な皇帝の後継ぎであった皇子は廃位されて殺されてしまった、そのような認識が生じて、劉焉や劉表が皇帝即位の野望を見せた理由でもあったろう。
自分の行なった行為が自分に戻ってくるとは袁紹も思っていなかったろうな。
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