さて、天子や暗殺犯たちの扱いをどうするかが問題だ
さて、俺を暗殺しようとした何顒と伍瓊、それに彼らと連絡をとってる王允、背後で動いている袁紹、そして天子自体をどうするべきかだが、正直に言って頭が痛い。
明確に俺の暗殺を実行した何顒と伍瓊は処刑して市場で首を晒すとしても、彼らとつながりがあったからと王允まで処刑すれば、さらに王允とつながりがあるものまで、皆処刑しないといけないとかになりかねないしな。
そして一番問題なのが天子の扱いだ。
史実における献帝は、曹操暗殺計画の露呈で董承ら洛陽からの側近が粛清されると、結局はほぼ何も出来ない状態で過ごし、結構長生きをしているのだが、項羽が懐王を殺害したことも彼が中国統一を出来なかった理由の1つでもあるし、ナポレオンは皇帝を処刑したわけではないが、さんざん王党派に命を狙われている。
曹丕が魏の初代皇帝となった頃はもうすでに漢の権威というのが完全に失墜、というよりも忘れ去られていて、それを咎めるものもほぼいなかったが、曹操が禅譲を受けようとしなかったのは、それにより民衆や名士が反発するのを恐れたからで、いまの現状では天子を暗殺をしたり、禅譲を迫ったりしたりするのはあまりよろしくない。
しかしながら、霊帝同様に”天子は壮大な宮殿などより権威を以て統治に当たるべきで、民衆が反乱を起こすなら兵を以て鎮圧すればいい”などと考えてるようでは正直お話にならない。
史実において廷臣が献帝を長安から脱出させ洛陽に戻す事にこだわったのは、もはや献帝は董卓の傀儡ではなく唯一の天子で士大夫すべてが仕えるべき存在であるとしたかったからだと思う。
だからこそ、その時は袁紹の所でも袁術の所でも曹操の所でも献帝を迎えるか議論が起きたが、袁紹は何進の後を継ぐ者として支持されたのは、董卓と董卓が擁立した献帝を否定しそれが正しいと思う士大夫に支持されたからだ。
しかし同じ立場であったはずの曹操が献帝を迎え入れたのは、袁紹と立場の違いの表明、そして董卓以上に豫州などに大きな禍根を残した反董卓連合という存在が献帝を否定しても、世論の支持が得られるわけではないことに気がついたのだろう。
かといって、献帝を迎えた曹操に周りの勢力はひれ伏したかというとそうではなく、呂布も袁術も袁紹も武力で打倒したのだし、劉備や孫権は最後まで歯向かっている。
つまり献帝が手元にいるということの影響力はそこまで大きいわけではない。
だが、今の天子は霊帝に売官政治を行うように薦めた董太后が育て上げてるんだから庶民的な政治感覚なんてのが身につくはずがないんだよな。
霊帝は黄巾の乱の翌年に増税をおこなったが、それは二月に南宮の雲台と楽成門で火災があり、宮殿の修復と威厳を保つためにと霊帝の銅像を鋳造する費用を捻出するためで、全国の田畝1つにつき10銭を課税し、刺史や太守、茂才や孝廉に推挙された者からは助軍銭という名目で、強制的に金を取ることにしたのだが、これで冀州北部から并州や司隷にて黒山賊が一斉に蜂起した。
黄巾の乱を鎮圧して税を取らないと言っていた皇甫嵩はこれで冀州での立場をなくしている。
霊帝は決して無能ではなかったという意見も最近は増えてきてるが、黄巾の乱の翌年の宮殿修復のための大増税で大規模反乱を起こさせてる時点でバカだと思うし、その霊帝の息子でずっと後宮で育って漢室流の帝王学を学んだ現在の天子が世間知らずでも仕方ないが、仕方がないとそのまま放置するわけにも行かない。
いやまあ保護してすぐに天子の性格矯正を試みるべきだったのかもしれないが、俺もそんなに暇じゃなかったしな。
「また参謀を集めて話をしてみるか」
俺はまた賈詡を筆頭に李儒、荀彧、郭嘉、徐庶、蔡邕といったメンツを呼び寄せた。
「皆、たびたび忙しいところ呼び寄せてすまんな」
俺がそう言うと賈詡が皆を代表するように言った。
「いえいえ、今回は暗殺未遂犯の何顒と伍瓊、それに彼らと連絡をとってる王允や、背後で動いている袁紹、そして天子自体についての今後の対処についてのお話ですかな」
「うむ、やはりとても大事な話だ」
荀彧が深くうなずいていった
「そうですね、そういえば王允についてはどうなってるのだろうか?」
荀彧は李儒に向かって言った。
「王允は普通に政務を行っておりますな」
俺はそれを聞いて李儒へ問う。
「ふむ、何顒と伍瓊については袁紹が関係していたわけだが、王允は何かをしているわけではないのだな?」
「はい」
「まあ、王允については後ほど呼び出して詳しく話を聞くとしよう」
史実の董卓暗殺では董卓にとどめを刺したのは王允だが、幷州出身の王允は袁紹と親しいわけでもないようだしな。
そこで蔡邕が口を開いた。
「天子におかれましては、まずは民の生活や声を聞かせるように、街の市場や農村の様子など見て回っていただき、その際には民衆の一般的な食事を現在の南陽における普通のものと更に先帝(霊帝)の時代において重税を掛けられ、まともに食べられなかった時のとものを両方体験していただくのはいかがでしょうか」
ふむ、霊帝が永安宮の候台(物見櫓)に登りたいと言い出したときに、”天子は高い所に登ってはいけません。民が離散すると言います”という中常侍に言葉に従って、霊帝は候台に登って洛陽を見ることもしなかったので、中常侍たちの豪邸に気づくことすらなかったのではという逸話があるんだよな。
まあ、少帝や献帝は宮殿から一度逃げ出したりしてるから全く外を見てないはずはないが。
そこへ郭嘉が口を挟んだ。
「ならばその農村の視察の際の最終日に天子に忠誠を誓ったものが天子をかどわかし、袁紹のもとへ逃走させるというのはいかがでしょう?
その際の警備のものは李儒殿の部下を用い、袁紹への内通者を装わさせ、王允などにもその計画を知らせてからの行動を見るのが良いかと。」
「ふむ、天子に加えて、俺ではなく天子に忠誠を誓う者もここから追い出すわけか」
「はい、内通したとするものは袁紹のもとに間諜として忍ばせておけば情報も入りやすいかと」
「ふむ、それはたしかにな」
「もはや、軍事的な状況では趨勢は決まっております。
故に正式な任官の権利を持つということにこだわることもございません。
そして冀州にて正当な漢王朝政府を復興するとなれば、袁紹は天子の命令に従わなくてはならないということになりますが」
「袁紹も今更そんなことはしたくないだろうな」
「こちらも誰か劉家の一族に連なる幼児を担ぎ上げて、正当性を主張しても構いません」
「度が過ぎれば俺を梁冀の再来というものも出てくるだろうがな」
「その時と今では状況が異なります」
「ふむ、それもそうであるな。では話を詰めていくとしようか。
とりあえず袁紹に関してだが冀州を陥落させ、青州へ逃げ出した後で最悪東夷の半島(朝鮮半島)にでも追い出してしまってもいいかもしれぬ」
「それであれば彼らは東漢の正統な政府であると後々まで言い続けるかもしれませんな」
東漢というのは洛陽に首都を移した後の漢のことつまりは後漢のことだ。
「別にそれならそれで構わん。
今や周王朝の正統な後裔であると名乗ってもなんの意味もないのと一緒だ」
俺たちは”袁紹による天子誘拐計画”について細部を詰めるべく話を続けたのだった。
「それはともかく何顒と伍瓊については俺の暗殺未遂の罪で腰斬刑のうえ棄市とする。
その上で天子には街の市場や農村の様子など見て回ってもらい、民衆の一般的な食事を食べてもらう。
その時の行動によっては天子としてそのままとどまってもらってもいいが、民衆の声が大事なのだということを理解できぬようであれば、天子に忠誠を誓ったものが天子をかどわかし、袁紹のもとへ逃走させるようにするとしようか」
「そうですな。ではその際は……」
とはいえ母親に帝王教育を受けた13歳の子供に民衆の支持を得る意味がどれだけわかるやらではあるが、漢の高祖劉邦に対して儒者の酈食其が”天の重要さを知るものは王業を成し遂げ、知らないものは成し遂げることができない、君主にとっては民が天、民にとっては食料こそが天でございます”と説いたこともわかってほしいものだが。無理だろうな。
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