やはり俺の暗殺計画の背後には袁紹がいたか
さて、俺を暗殺しようと、俺のもとへやってきた何顒と伍瓊だが、俺が二人の名声と意見に酔心しているように見せかけて、去り際に背中を向けたらあっさり刃を抜いて、許褚と典韋に取り押さえられた。
もっとも、護衛が片方だけだったら結構やばかったかもしれなかったけどな。
史実にて同じように董卓を暗殺をしようとしたのは、
史実の伍瓊と周毖は袁紹とのつながりが強く、袁紹に対していろいろ董卓に譲歩させている。
董卓はおそらく周珌の推薦によってまず伍瓊・許靖・鄭泰・何顒をブレーンとして主要な地位につけさせ、さらに王允・荀攸・黄琬・楊彪らを宦官が独占していた地位につけ、さらに伍瓊と周毖は韓馥、劉岱、孔伷、張資、張邈らを中原の太守に推薦した。
で、まあ韓馥らが、反董卓連合軍を結成すると、周毖と伍瓊は董卓が「俺がはじめに洛陽でどのように政治を行うべきか相談したとき、あなた方二人が士大夫を採用するよう勧めたから俺は聞き入れたのだ。それなのに連中は着任するや挙兵して俺を殺そうとする。これはお前らが袁紹に俺を売り飛ばしたんということだろう、どうして俺を裏切るのか!」といって処刑してしまったんだがこの時に何故謀叛したのかと言ったのかもしれないな。
そして李儒の取り調べにより何顒・伍瓊をそそのかして俺を暗殺させようとしたのは、やはり袁紹だということがわかった。
袁紹から送られた手紙を何顒が持っていたんだな。
「まあ、そんな所だろうな」
王允はこの行動には直接は関係していないようだ、もっとも暗殺計画があることを俺に何故知らせないのかという話にはなるんだが。
史実の曹操暗殺計画も実際は袁紹が計画をねって、董承に実行させようとした、もしくは董承は袁紹にのせられた可能性が高い気がする。
このときまではむしろ曹操は献帝にたいしてかなり下手に出ていたんだな。
献帝は、建安4年(199年)の年末に張繍征伐の報告に参内した曹操の首を左右から戟で挟んで歩かせた上で”朕を大事に思うならよく補佐してほしい、そうでないなら情けを掛けて退位させよ”と、言ったそうだが、そりゃ曹操も冷や汗ビッショリで二度と参内しなくなるだろうさ。
そして建安5年(200年)の正月の曹操暗殺を計画の発覚で曹操が董承らを殺害するというのはまあタイミングが良すぎるし、娘の董貴人も妊娠中だったが、それでも曹操は彼女をも殺したというのは明らかに献帝への恫喝だろう。
しかも献帝が長安から逃げ出して洛陽に入った時、董卓のときと違ってどこからも税が納められるわけでもない廃墟の洛陽では、皇帝や皇后も着るもの食べるものにも困り、衣服は所々で擦り切れ破れており、粟や棗を食べて飢えを凌がなければいけない有様だったが、曹操が許昌に彼らを受け入れてからは当然ちゃんとした衣服や食事を用意している。
そういったところも董承・王子服・种輯たちには気に入らず、曹操を殺せば兵士や土地も手に入るぞと袁紹にそそのかされたんじゃないかという気がするんだな。
そして伏皇后は、皇帝の子を身籠っている妃でさえ殺す曹操に戦慄し、父に曹操の威圧を伝えて排除を要求したというが、建安19年(214年)になって唐突に、伏皇后が過去に「曹操暗殺の陰謀」を巡らしていたことが露見し、曹操は激怒して献帝に伏寿の「廃后」を要求。
さらに皇后の印綬を接収するよう命じ、華歆に兵を率いて宮殿に入らせ、皇后の身柄を拘束させた。
伏皇后は、裸足のまま髪が乱れた状態で「陛下、また御一緒に過ごすことができますでしょうか」と、泣きながら問うたが、これに対し献帝は「朕も、いつまで生きていけるかわからぬ」とだけ答え、「何故このようなことがおきるのか」と言ったそうだ。
伏皇后は幽閉されたともその場で殺害されたともいい、二人の皇子も毒殺され、伏氏の九族数百人以上も同じく殺害され、その後は妹の曹節が皇后になった。
更に曹操はこの頃、劉備をかなり厚遇していたようなんだが、袁紹は劉備を離反させて、曹操との戦いのときに後方攪乱をやらせているから、曹操が軍事に関しての天才的な才能がなければ、実際やばかったろうし官渡の戦いの勝利も実際紙一重だった。
それはともかく、今回の暗殺に感しては天子の意向を汲んで行ったが実際は袁紹が絡んでいたことを公に表明しよう。
そして俺は天子に質問をしてみた。
「私を暗殺しようとしたものは”お前は天子の位を奪い、悪逆の限りを尽くしている”と言う理由で私を殺そうとしたのですが、いかが思われますか?」
「それは一部事実であろう」
「わたしは天子の位を奪うことも、悪逆の限りを尽くしていると言われるようなことも行ったつもりはございませんが」
「朕をないがしろにしているのは事実ではないか?」
「そのようなつもりはございませんが……。
先帝(霊帝)である父君についてはどう思われますか?」
「漢の権威を再興しようとしていた方だと思うぞ」
「民衆が反乱を起こしたのは銅臭政治による苛烈な取り立てのためではございませぬか?」
「民は権威を見せればひれ伏しなびくものであろう。
そのための銅臭であったはずであるのだが」
「左様でございますか……」
やっぱだめだな。
もともと漢の高祖に対して蕭何が巨大建造物である
結局蛙の子は蛙ってことか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます