黄忠の潁川黄巾残党殲滅戦
張遼とともに黄巾残党の反乱討伐を命じられた黄忠は史実における蜀の将軍としては張飛とともにもっとも曹操軍に大きな損害を与えた人物であり、大兵力の運用を安心して任せることができる数少ない蜀の将軍の一人であったと思われる。
もともとは劉表に仕え劉表の従子である劉磐と共に江東からの攻撃を受けることが多い、長沙の守備の任についていたが、劉表が死んだ後その後を継いだ劉琮を曹操が降伏させた後は、長沙太守の韓玄の配下についた。
その後の赤壁の戦いにおける曹操の敗北後、劉備が荊州南4郡を平定すると、黄忠は劉備に帰順し、その後の益州攻撃では常に先駆けて敵の陣を攻め落とし、漢中攻めで夏侯淵を打ち取る功績を上げ続け蜀五虎将の一人とされた。
黄忠の活躍には地味ながら蜀一番の軍事軍略の能力の持ち主である法正の存在も大きいと思われるが、その指示を受けた黄忠は見事成果を出しているのである。
そして彼は諸葛孔明の嫁である黄月英の父で河南郡の名士であった黄承彦や孫堅・孫策・孫権と戦い続けた江夏太守の黄祖と同族であった可能性も高いと思われる。
その黄忠は歩兵1万を率いて潁川黄巾残党殲滅に赴いていた。
「さて、まずは許(許昌)に向かい賊徒を蹴散らすべきか」
「そうでございますな」
潁川郡は戦国七雄の韓の存在していた土地であり、常に西の秦からの侵攻に悩まされた。
そして、韓非子を書いた韓非や劉邦の配下で知られる張良は、この韓の出身であり、それもあってか荀彧・荀攸などの荀一族を筆頭に鍾繇、郭嘉、陳羣、郭図、淳于瓊、辛評、辛毘、徐庶など名士の輩出率の高い土地でもあり、史実における許は曹操が後漢の最後の皇帝である献帝を迎え入れたときから、袁紹の一族を曹操が滅ぼして鄴へ本拠地を移すまで本拠地としていた城塞都市であり、史実においても黄巾残党の襲撃の対象となっていた。
何儀・何曼は許周辺の諸城を陥落させたが、そこへ黄忠の兵が予想よりも早くやってきた。
「うむ、脚絆や履物のおかげでだいぶ早くついたな」
「さすが董相国でございますな」
長時間の歩行時に脚の疲労を軽減することができる脚絆や、石などを踏んでも足の裏を傷つけることがない履物もすべて支給されている董卓の配下の兵士はそうでない兵士よりも圧倒的に早く長く行軍が可能であった。
「よし、賊徒を殲滅する」
「はっ」
隊伍を組んで整然と行進する黄忠の兵。
「たいした数じゃねえが、俺は正面から、お前は後ろから。
挟み撃ちにしてすりつぶすぞ」
「おう!」
何儀・何曼の兵は数において勝っていたため二手に分かれて挟み撃ちにしようとした。
「ふん、今更兵を分けるなどとは、まずは正面を即時粉砕せよ」
「はっ」
隊伍が整然と進み、長矛、手矛によって構成される白兵の壁によってまず何儀の軍が粉砕された。
「反転して後方を撃つぞ」
「はっ」
黄忠軍はすばやく反転して何曼の軍を粉砕し、最終的に何儀・何曼は残った部下とともに降伏した。
「では、南陽へ帰還するとしようか」
黄忠は何儀・何曼を監車に乗せて南陽へと戻っていくのであった。
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