どうやら俺は謀反人とされたようだ

 さて、袁術は皇甫嵩のクーデターによって処刑され、袁術の一族も皆処刑され、市にさらされた遺体は市民によって燃やされるという屈辱的な最後を遂げることになった。


 更に甥の皇甫酈の主導により、袁術と親しくしていた名家や官僚らも逮捕されたのちに処刑され、その財は取り上げられて国庫に入り、下級官司や兵に支払う俸給に当てられた。


「まあ、現状ではそうするしかなかろうな」


 それでも国庫が不足すると儒教の教えに基づいて親不孝な子供、主君に忠実でない家臣、兄に従順でない弟などを密告させて、該当した者は全員逮捕し処刑して財産を没収した。


 しかしその結果、讒言により多くの人が冤罪で処刑されて、皇甫嵩に対する不信感が高まったようだ。


「何事も過ぎたるは及ばざるが如し、何だけどな」


 そして生き延びたもともとは何進や何苗の配下であった袁術の直属武将達や官僚、袁術政権で優遇されたが比較的繋がりが薄かったため許されていた蜀郡趙氏の趙謙・趙温兄弟などは弘農楊氏であり妹が袁術の妹でもある楊彪のもとへ逃げ出しているらしい。


 その結果洛陽ではもともと清流派に多く逃げられ不足していた人材が枯渇して、政務に支障をきたす状態に陥ったようだ。


「さて、こうなることは目に見えていただろうが、この後どうする?」


 そして皇甫嵩は俺に税を納め、長安へ逃げ出した罪人たちを引き渡すように使者を通じて通達してきた。


「税を収めるのはともかく、罪とされる原因が冤罪であるものを引き渡す事はできない」


 俺は使者へそう答えると追い返した。


 そうしたところ俺には謀反の罪で俺の将軍職を剥奪し、罪人として洛陽へ出頭しするようにと使者が来たので俺はそれを切り捨てた。


「これで俺は謀反人か、こうなれば覚悟を決めねばならぬか」


「こうなれば弘農を確保せねばなるまいな」


 今まで俺は袁術とは明確に敵対していたわけではなかったが、もともと皇甫酈は俺を危険視していたようであるし、それもあって皇甫嵩も俺と仲良くするつもりはないだろう。


 一方の袁紹へも皇甫嵩は自分へ従うように指示を出したが、袁紹は辺境の武官ごときに従えぬとそれを無視、そして霊帝の銅臭政治が現状の混乱の原因であるとして、豫州陳王の劉寵を天子として擁立したようだ。


 劉寵は後漢の二代目皇帝である明帝劉荘の九人の子の中の一人である劉羨が陳国王として封じられて王となった古い王国の現在の当主であり相の駱俊の才能もあり、他の郡は飢饉に苦しんでいたが、陳国の倉には穀物が堆く積み上げられ、弩の大量配備により黄巾の蜂起は起こらずその侵入を防ぎ続けることが出来たという。


 しかし、この劉寵には重大な疑惑があった。


 遡ること熹平2年(173年)陳国相の師遷が、前陳国相である魏音が劉寵と共に天子の祭祀を勝手に行っ神を祀って、自ら天子になることを願ったと上奏した。


 しかしこのときの霊帝は勃海王劉悝を誅殺したばかりだったので、陳王も罪とするのをためらった。そこで中常侍王甫に取り調べさせたところ、魏音は陳王が奉ったのは黄老君であり、長寿の福を求めただけだと釈明した。


 結果、魏音は輔導を怠った罪、師遷は誣告の罪で誅されたが劉寵は投獄されたののみで罪に問われなかった。


 そして劉寵は弩に秀でており、その腕は十発十中と言われ、さらに強弩数千張を所持していたという。


 ただ史実において反董卓連合軍に加わったものの、独自の行動を取って自ら輔漢大将軍を称したせいなのか袁紹は劉虞の代わりにこの劉寵を持ち上げようとはしなかったようだ。


 最も最後には袁術による刺客によって劉寵と駱俊は暗殺されて袁術は陳国を併呑したのだが、袁術が死んだことで変わったということだろうか。


「こちらも誰か劉氏を天子として擁立しておくべきだろうか ?」


 俺は賈詡にそう訪ねてみた。


「焦ってそうする必要はないかと思われます」


「ふむ、そうか」


 確かに無理をして劉氏を天子として擁立する必要もないか。

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