袁術は敗戦の責任を取らされて処刑されたか
霊帝の崩御の混乱の後の政争に勝ち抜き、洛陽と献帝を手中にした袁術だったが、袁紹とその同盟者の兗州・冀州を中心とした中原における反乱と董卓の袁紹の反乱への不介入宣言により税が収められなくなったことで、糧秣の調達に苦しみ、それを解消するために反袁術同盟が駐留したことを理由に兗州陳留郡・豫州潁川郡の諸県へ攻め込み、略奪を行って兵糧を集め、そのまま冀州へ攻め込んだが袁紹は青州黄巾賊と手を結び、袁術は袁紹と黄巾賊の連合軍に大敗して、洛陽へと逃走した。
この頃、皇甫嵩のいとこである皇甫酈は皇甫嵩へと説いていた。
「これ以上袁(術)公路に好き勝手させていては本朝は滅亡いたしますぞ。
先帝の政治の失敗をそのまま引き継ぐあの者を今こそ排除すべきです」
従兄弟の言葉に皇甫嵩は静かに言った。
「たしかにそのとおりかもしれぬな、しかし朝廷の裁可を受けさせるべきであろう」
「まだそのようなことを言っておるのですか。
そもそも袁(紹)本初は勝手に司隷校尉を名乗っているのですが彼の裁可に従うべきだとでも?」
「いや、そうではないが……」
「袁(術)公路と袁(紹)本初こそが現状の乱の原因です。
まずは袁(術)公路を取り除くべきです」
「ふむ、確かにそうかも知れぬな」
皇甫嵩はそう答えたのであった。
皇甫嵩は黄巾の乱の活躍で軍人としては、ほぼ最高の地位まで上り詰めたが、その後は判断の衰えが目立った。
今回は従兄弟の言葉に押し切られる形となったが、現状が良いと考えていなかったのも事実ではあった。
・・・
さて年は代わって中平4年(187年)になった。
そして洛陽から驚きの知らせが入った。
「皇甫(嵩)義真が洛陽に入って袁(術)公路を遠征での敗北を理由に公開処刑した?!」
要するに皇甫嵩による軍事クーデターが起こったということだな。
「はい、袁(術)公路やその一族は”敗北して天子の兵を損なった罪”と捕らえられた後、
袁術は肥満しており民衆がへそに芯を立てて火をともしたところそれは燃え続けたという噂も」
棄市と言うのは市場での公開での斬首刑で、遺体はそのまま晒し者にされるのだが、民衆によってその遺体が火をつけられたというのは実はかなり重大な出来事なのだ。
「遺体に火をつけたか、よほど洛陽の民衆は袁(術)公路を恨んでいたとみえるな」
この時代の中国では儒教思想が強い。
そしてもともとは馬が西アジアから伝わってきたように、埋葬の風習もメソポタミアやエジプトと同じように死んだ後は死後の世界で生活すると考えられている。
そのため体の万全な状態で土葬され、墳墓に埋葬されたものが死後も普通に生活できるように住居や食料を用意するくらいなのだ。
だからこそ、火葬は身体の毀損行為であり、中国の歴代王朝の法典においても禁止が明記されているくらいだ。
火で燃やされてしまうと死後の生活ができないと考えられていたから、火炙りのような刑罰はよほどでないと行われなかった。
そして史実では董卓によって殺された袁氏一族に対しては盛大かつ丁重な葬儀が行われる一方で、董氏一族の遺体は集められて火をつけられ、董卓はへそに挿した灯心が数日間は燃えていたとされるが、これは董氏一族があの世で生活できないようにしようとしたわけだ。
肥満していたからいたずらでへそに芯を立てて火をつけたというだけではないのだな。
しかし、皇甫嵩がこんな行動をするとはな……。
今後は皇甫嵩が袁術に変わって洛陽を収めていくのだろうが、袁紹を排除したら皇甫酈は俺を排除するように皇甫嵩に言うだろう。
「さて、皇甫(嵩)義真は兵糧や兵をどうするつもりかな?」
賈詡がそれに答える。
「袁(術)公路やそれと同じ行為をした者たちから財貨を没収しているようですな」
「ふむ、民衆の不満をそらすためにもそうするしかなかろうが、そうなれば名家が反発するだろうな」
さて、袁術を敗北の罪で処刑した皇甫嵩がどう出るかだな。
「洛陽からの攻撃に備えて防備を固めておくべきか」
賈詡がそれに答える。
「それに越したことはないでしょう。
むしろ我々の方を優先的驚異と考えてるかもしれませんからな」
袁術が処刑されたことで、袁術と組んでいた勢力もまた動きが変わるだろうな。
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