いろいろな人物を家族の元へ送ることにしたよ
さて、俺は今は慌てて動かず、駐屯している南陽や隣接している南郡・江夏などで水田を中心とした農業の促進に努め、中原の争いや掠奪から逃げ出してきた人間を受け入れつつ、そういった者たちが飢えぬように務めることにした。
そんなところで、 まず朱儁が俺の元へやってきた。
「わが母がなくなったため、郷里へ戻り喪に服したいと思います」
その言葉には当然うなずくしかない。
「うむ、わかった、気をつけて戻られ、十分に喪に服されよ」
「ありがとうございます」
彼の郷里は揚州会稽郡の上虞県で、若いときから母親と二人暮らしであったと言うから、彼が母親の喪に服したいというのも当然だろう。
史実だと黄巾の乱の活躍により右車騎将軍に任命され、洛陽に凱旋した後に、母が亡くなったため官を去ったが、服喪を終えると、官秩は二千石の将作大匠に復職し、九卿である少府・太僕へと昇進異動しているが。
その後に曹操が俺の元へやってきて進言したのだ。
「豫州沛国譙県は我が一族の出身地であります。
そして袁(術)公路の本拠地である汝南と隣接していることもあり、民は大いに苦しんでいると聞き及びます。
また我が父は徐州東北部にある琅邪郡に家族と共に避難して入りますが、争いに巻き込まれかねません。
どうか私を徐州に派遣し父や家族を保護させていただきたく思います」
俺はそれにうなずいた。
「うむ、その思いはもっともである。
一族を連れてゆかれるがよかろう」
「ありがとうございます、ではすぐにでも出立いたします」
曹操のその行動を聞いて他の物も家族を保護したいと言い出した。
劉備もその一人だ。
「私は朱(儁)公偉様と同様母ひとり子一人の家で育ちました。
また私が盧先生のもとで学ぶことができたのは、叔父の劉元起の御陰でございます。
どうか彼らを保護させていただきたいのです」
「うむ、その言い分はもっともだ。
行かれるがよかろう」
ちなみに曹操や孫堅などと違って、黄巾の乱で手柄を立てて中山国安熹県の尉に任命されたものの督郵を縛りあげて100回も殴ったことで罪人になった後の劉備は、母親や叔父と接触した形跡はなかったりするし、それは関羽も同じだ。
おそらく迷惑になると思ったんだろうな。
張飛の実家は何進と同じ屠殺兼精肉店兼酒屋でかなり金持ちだったようだが、張飛も実家に戻った形跡はない。
一方の曹操の祖父は曹騰でかなりの権力者だったが宦官であるからこそ実子はなく、曹操の父である曹嵩を親戚である夏候氏から養子に迎えて姓を残したと言われる。
その曹嵩も濁流とみなされていたため曹操は何進・袁紹・袁術らの宦官粛清計画を非難しているし。
真偽不詳ながらも有名な逸話である曹操の知人の呂伯奢の家族の殺害も、宦官関係者であるうえに董卓の元から逃げていると言う立場から、実際に曹操を捕らえようとしていたとしてもおかしくない状況だった。
史実の董卓は袁紹に対しても、最初は逮捕のために賞金をかけていたくらいだしな。
曹操は父親を殺されて徐州で大虐殺を行ってるんだが、そうならないようにするに越したことはない。
同じように徐庶も言ってきた。
「我が母も豫州潁川郡長社県に残したままで心配でございます。
どうか私も母お迎えにゆくことをお許しください」
「うむ、その言い分は最もだ。
行かれるがよかろう」
徐庶は史実でも母親が曹操の領地である豫州にいたことから早々に引き抜かれてるしな。
行かせてやったほうが良いだろう。
かと言って俺たちが兵を率いていったら当然面倒なことになるわけだが。
并州には呂布・董超・董越らを派遣してるし、涼州は韓遂や馬騰・牛角達がおさえてる。
益州は張魯に五斗米道ごと任せている。
現状征西将軍兼征南将軍である俺は、長安と南陽への兵の駐留と涼州・益州・荊州・揚州の刺史の権利を正式に持っているから、并州以外は朝廷に従っての行動である。
また、鮮卑の侵入による被害を一番大きく受けてる并州は誰も統治したがらず、史実でもいつの間にか袁紹の勢力圏に入り、袁紹を破った曹操がそれを引き継いでいるが、涼州同様ほぼ中央から見捨てられた土地であった。
同じように鮮卑などの侵入を受けてる割には重要視されてる幽州に比べると、その存在感の薄さが悲しくなるほどだ。
そして今までは官軍であるということで郡や県に収められた田租を兵糧として使えていたのだが、そろそろ袁紹などは勝手に郡太守等を派遣して中央の袁術から派遣された太守が追い返されたり土地を巡って闘ったりするようになるはずで、兵糧の確保が難しくなってくるだろう。
交州や揚州の豪族や王族勢力が全て俺に従うとも限らないが食料を十分に得られる状況にはしておかねばなるまい。
「どうやら袁紹は清流派の周昕を勝手に豫州刺史として派遣したらしいな。
袁術は孫賁をもって防衛に当たらせてるようだが」
豫州は袁家の地盤だが現状は袁術が押さえいている。
袁紹は劉虞を皇帝としての擁立を計画したが、劉虞自身が皇帝になるのを拒否して失敗し結果的には実力行使にでたようだ。
一見すると袁術のほうが現状有利に見えるが、そもそも民心が離れてる漢王朝を権威の拠り所にしていること、 袁術の狭量で高慢で残酷な性格を嫌っているものも多く、弘農楊氏で妻が袁術の妹である楊彪などは袁術に諫言したが袁術はこれに徹底的に反対し、罷免したため弘農へ帰ってしまったらしい。
彼は馬日磾・盧植・蔡邕らと同僚だったこともあり、宦官の王甫を司隸校尉の陽球に殺害させたこともある人物でもあるから、根本的なところで他人を見下しがちな袁術とは反りも合わないのだろう。
最も彼は曹操とも反りは合わなかったようだが。
魯粛や劉曄と言った人物も最初は袁術に仕えていたが見限って故郷へ戻ってしまったようだしな、
「袁術陣営も少しずつ崩壊しつつあるようだな」
しかし、曹操はともかく劉備はちゃんと戻ってくるかどうか……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます