今はまだ表立って動くべきではないか

 さて、征西将軍と征南将軍の兼任という、なかなかありえないことを任された俺は荊州南部の反乱を鎮圧しつつ揚州北部の名家である周家の協力を取り付けたりしている。


 しかしながら、交州の劉焉や揚州の劉繇など王族に連なる者たちは名目上でも涼州の田舎の身分の低い、俺の下にされることを快くは思っていないだろうな。


 それはともかく皇甫嵩に独立を進言し、史実ではその後に韓遂と馬騰に担ぎ上げられたことを嘆いて自害した閻忠が俺にどのようなことを説いてくるのだろうか。


「はじめまして、高名な董卓将軍にお会いできたことを嬉しく思います」


「ふむ自分が董(卓)仲穎だ。

 用件は如何なる事かな?」」


 彼は顔を上げて俺の目を見据えながら言う。


「はい、私が見た冀州のことをまずはお聞きいただけますでしょうか」


「ふむ、そちら方面は直接的にはあまり知らぬので助かるな」


 実際、冀州などは俺は直接に行ったわけではないので、細かいことを聞けるのは助かる。


 閻忠は冀州における王族の権力争いのとばっちりを受け県令を罷免されたこと。


 皇甫嵩が黄巾討伐の後、一旦田租を引き受け、飢餓にあえぐ民衆を助けようとしたが、翌年に宮殿が焼けたことにより天子は重税をかけ、皇甫嵩もそれに従って約束はやぶられたことをまずは告げた。


「故に冀州の民心は完全に王朝より離れました。

 黒山賊が力を持ったのもそのためです」


 まあ普通は税金を取らないと言ったにもかかわらず、翌年約束を破って重税を掛けたらそうなるのは当然だな。


「ふむ、なるほどな」


「そしてそのような状況は近隣の青州や兗州においても変わりません。


「つまり冀州や青州・兗州などは黄巾残党が活発化している。

 それだけ中央へ収められる田租も結果的には減ったというわけか」


 彼はうなずいて言う。


「そういうことになります。

 そして愚かな霊帝が死んだことにより、それは有耶無耶になったわけではありません。

 袁(紹)本初達の兵の多くは漢を見限った黄巾残党たちで、袁(術)公路は霊帝の生前と同じことをそのまま続けております」


「ふむ、それゆえに袁(紹)本初達のもとへ兵は集まったが、食料が集まらず結局は掠奪に走ったということか」


「そうです。

 そして話を少し戻しますが、私は冀州で民が税を搾り取られていた時に皇甫(嵩)将軍へ、いずれあなたは古の韓信になるであろうと告げました。

 民との田租を支払わなくとも良いと言う約束を、結局彼は天子が翻すと彼も翻し税を取り立てたのです。

 彼は天子が死ねといえばきっと死ぬのでしょう」


 まあ、言いたいことはわかるけどな、どうも皇甫嵩は皇帝に従えば間違いないみたいなところがあるようには思える。


「だが、彼はお前さんのその言を取り入れなかったということだな」


「はい、結局彼は中央に召されて袁(術)公路の元へ行き、河内の太守となって黒山賊や王(匡)公節と戦いました。

 敵あるうちは彼は戦い続けるでしょう。

 しかし、敵がなくなれば”狡兎死して走狗烹らるる”となるでしょうね」


「まあ、袁(術)公路が自分より名声が高い人間をそのままにしておくとは思えんしな」


「それは董(卓)将軍にも当てはまると思われます」


 まあ、そうなる可能性は高いとは俺も思うけどな。


「ふむ、で、お前さんは俺にどうしろって言いたいんだ?」


 彼は一度呼吸を整えて言った。


「貴方の押さえている場所の中でも益州・荊州・揚州の北部は豊かな場所です。

 まずは中原の戦乱や掠奪の魔の手から逃げ出してくる民を受け入れ、田畑を開梱し、彼らに戸籍を登録し兵として集められるようにしつつ、袁(術)公路が洛陽へ貴方を召喚しようとしても口実を付けて断るべきでしょう」


 俺はその言葉にうなずく。


「まあ、のこのこ洛陽まで言って有りもしない罪を着せられて首をはねられたくはないな」


「もっとも、おそらくは、袁(術)公路は皇甫将軍に袁(紹)本初の追討を命じつつ、おそらくは洛陽の中での権力争いに移るでしょう。

 袁(術)公路が娘を入内させて外戚として権力を握る事を面白く思わぬものも、彼が引き上げた名家のものには多いでしょうからな」


「なるほどな、名家を権力の中心に据えているからこそ、仲間割れが起こる可能性が高いということか」


「さらには中原よりの田租が届かねば司隷の民から取るしかありませんゆえ、司隷の民も反乱を起こすかもしれません」


 俺はその言葉にうなずきつつ賈詡にきいてみた。


「いずれにせよ今は中央とは距離を取りつつ、中央の様子をうかがうべきというわけか。

 どう思う賈(詡)文和?」


 俺がそう聞くと賈詡が答える。


「現状では彼の言う通り中央の様子をうかがいつつも、益州・荊州・揚州の北部を富まし、揚州の足場を着実に固め、劉一族の動向を探るようにしたほうが良いかと」


「ふむ、たしかにそうだな、ではそうするとしようか」


 今までの南方の反乱討伐では交州や荊州や揚州の南部にはよく赴いているが、揚州北部はそこまで長くは逗留していなかったしな。


 現状中央から除け者にされてる名家なども多いようだし、くすぶってる人材を拾い上げ、土地をとまし、名士を住まわせるほうが先だな。


 閻忠もあえて洛陽を制圧するべきであるなどとは言わないのも袁術や皇甫嵩のような後漢の権威を信じている人間がまだ少なくはないということを理解したからだろうか?

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