袁紹の反袁術同盟のほうが先に自壊したか

 さて、この時代に限らず長江の近辺は風土病がおおい。


 さらに黄河より北はかなり乾燥しているが、その意識のままで南方に来て排泄物の処理や水の煮沸消毒をしないでいると、当然疫病が大流行したりする。


 曹操が赤壁の戦いで大敗北したのも、北方と南方の気候の違いを考えないで、陣を張って衛生対策を取らなかったからと、そもそも赤壁のあたりは特に風土病が起こりやすい地域だったかららしい。


 幸い俺は張伯祖と張機と言う南方の風土病にも詳しい医者を抱えてるので、人糞や馬糞を放置しないでちゃんと埋めたり、水は必ず煮沸したりといったことを徹底することで、汚物や飲料水からの風土病の蔓延ということが起こらないようにはしている。


 実際、現地民でも風土病はかからないわけではないが、かかる確率が低いのは免疫があるからというのもあるのだろうけど、大人数がまとまってろくに汚物の処理もしないという状態ではないというのも大きいようだ。


 中国の農業では北は小麦で南は米と言われるが、その境界線となるのは淮河と言われ、淮河は荊州南陽郡、豫州汝南郡、揚州九江郡、徐州広陵郡を通って長江の北側で海に流れ出す大きな川。


 中国で三番目と呼ばれる大河でこの川より北を華北、南を華南と呼ぶが淮河と長江の間は稲作地帯でもあることで人口も多くて比較的安定しており揚州では孫策などの地盤でもあった。


 しかし、江南つまり長江より南は既に後漢の統治領域から実質外れていると言ってもいい状態でもあって、反乱を起こした江夏の江夏蛮など異民族も多い。


 なので、荊州南部や揚州は反乱もよく起こるし、涼州同様に中央から放置されているのだな。


「住民は漢民族でも異民族でも同等に扱い、強欲な太守は罷免し清廉なものに置き換えるようにするか」


 あとはいままで俺が涼州・益州・并州・幽州などでやって来たように、ここでも商取引の交換レートで異民族には不利な交換レートだったりするものを同等なものにしたり、異民族にはより重い税率だったりするのをやめさせることにした。


 荊州江南はかっての楚で劉邦の漢と最後まで闘ったことからも、漢王朝からはあまり良く思われてないというのもあるんだろうけど。


 そうやって俺が荊州や揚州の豪族などを従えているといくつか報告が入った。


「袁紹の陣営が自壊したか」


「はい、食料を巡ってお互い争うようになったようで」


「まあ、そうなるだろうな」


 史実でもまともに戦ったのは河内に駐屯した王匡や無官で手柄が欲しかった曹操、袁術の下の孫堅ぐらいだったが、王匡は皇甫嵩に破れてるし、曹操と孫堅は俺の下にいるしな。


 史実でも結局は略奪に踏みきり、掠奪で得るものが無くなると反董卓連合は解散してしまった。


 そしてそこから袁紹と袁術の争いに発展するが、それとは無関係に董卓は長安で呂布に殺されるのだが。


 また、揚州廬江郡舒県の名家である周家の周忠やその子供である周暉が協力を申し出てくれた。


 廬江郡の周家は後漢朝において、高祖父の周栄が袁安に引き立ててもらっって尚書令になったのを始めに、従祖父の周景・従父の周忠が三公の1つである太尉を務めた名家であるのだが、のちに有名になる周瑜の父の周異は早く他界しているらしい。


 本来袁家は周家にとっても恩のある家柄であるのだが、どうも袁術は弘農楊氏、汝南許氏、汝南張氏といった司隷や豫州の名家ばかりを重要なポストへ引き上げてるらしい。


 周景は梁冀の公府に招かれ、陳蕃・李膺・荀緄・杜密・朱寓などとつながっていた清流派であって、党錮の禁の後は政界から遠のいており、その結果、江淮間(長江と淮水の間)で非常に盛んになり、馬車は常に百余りが従って出入りしたと言われている。


 本来ならばその馬車の中には孫策や孫堅の妻である呉夫人が含まれていて、孫策と周瑜はそこで仲良くなるはずだったが……。


「揚州を安定した地域にするためにも董将軍に協力をしたいと思っております」


「なるほど、しかし、周家といえばかなりの名門と聞きますが」


「揚州などは田舎であると私は中央では引き立ててはもらえなかったのですよ。

 実質は清流に与するとみなされたのでしょうが」


「なるほど、私なども涼州の田舎者と言われておりますからな。

 そういった中央の雰囲気はよくわかりますよ」


 この時代では生まれた土地や先祖の行いで貴賤や派閥が決まってしまうのもよくあること。


 史実では董卓が政権を握り袁術は汝南に逃げ、周辺勢力に協力を求めたたため、周氏は袁術に協力したようだが、袁術が中央での権力を握ってしまったのでどうやらハブられたらしい。


「反乱が起きたのならばそれは鎮圧せねばなりませんが、そもそも反乱が起こる要因が欲深い太守などにあるのが問題です」


「たしかにそうですな、そのあたりはそういった者は罷免して正しい行いができるものをその地位につけるべきだと思います」


 とりあえず周家の協力はえられそうで、いずれは周瑜も配下に加わってくれるだろうか。


 何れにせよ并州・涼州・益州・荊州・揚州という異民族ばかり多くて旨味のない場所と袁術や後漢王朝などには切り捨てられた土地と人々は俺が庇護しなきゃなるまいな。


 幽州の劉虞と公孫瓚はどっちも偏りすぎな考えの持ち主だからどうなることやら。


 そんな状況の俺の元へやってきたものがいた。


 それはかって皇甫嵩に独立を進言し、史実では韓遂と馬騰に担ぎ上げられたことを嘆いて自害した閻忠だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る