鮮卑の頭領である檀石槐は一筋縄じゃいかなそうだ

 さて、揚州への南征という、涼州や并州から遠く離れた、ほとんど異国の土地での戦いを経験し、司隷校尉になったと思ったら、今度は幽州で鮮卑と戦えとは人使いが荒すぎると思うが、正直俺と同等に戦果を挙げられる人物は、涼州三明が前線から退いている状態であることを考えると、并州に滞在している皇甫嵩ぐらいしか今はないだろう。


 朱儁や曹操、呂布も将来的には同等になれる可能性はあるが、まだまだ若いしな。


「さて、鮮卑を幽州から叩き出すか」


 盧植の紹介で、公孫瓚と劉備を案内係として組み込むこともできたので、幽州から鮮卑を叩き出すとしよう。


 ここで異民族についてちょっとおさらいすると、まず匈奴は秦の時代にはすでに中華諸国にとって脅威であったために、秦の始皇帝は将軍の蒙恬に匈奴を討伐させ、河南を占領して匈奴をその地から駆逐するとともに、長城を修築して北方騎馬民族の侵入を防いだが、始皇帝と蒙恬の死によってふたたび黄河を越えて河南の地を占領した。


 その後匈奴の冒頓単于ぼくとつぜんうは、東に遊牧民族国家である東胡に侵攻してその王を殺し、西へ転じて月氏を敗走させ、漢楚内戦中の中国へも侵入し、瞬く間に大帝国を築いていった。


 鮮卑は東胡の生き残りが、烏桓山と鮮卑山に逃れ、それぞれが烏桓と鮮卑と呼ばれる勢力になった。


 匈奴は諸族を服属させ、漢の劉邦を撃退することで、最大版図を築き、烏桓や鮮卑はしばらく匈奴の支配下に入っていたが、前漢の武帝の登場により、匈奴は敗北を繰り返すようになり、まずは烏桓が離反すると、匈奴は烏桓を討ったが、それにより漢の攻撃を受けて、匈奴に従っていた周辺諸部族も離反し、匈奴は大きく弱体化し、内紛が起こる。


 前漢が王莽により滅ぼされ、新を建国したが、新はあっという間に滅び、匈奴の領地での日照りとトノサマバッタの群生相の発生による蝗害が相次ぎ、国民の3分の2が死亡するという大飢饉が起きると独立勢力である北匈奴と漢に従う南匈奴に分裂するが、鮮卑はその際に勢力を盛り返していった。


 ここで鮮卑に一人の英雄が出現する。


 後漢の桓帝の(146~167)時代、鮮卑の族長の一人である投鹿侯とうろくこうの子として一人の男児が生まれた。


 その名前は檀石槐たんせきかい


 しかし、彼は父の投鹿侯が、南匈奴にしたがって三年間従軍している間に生まれた子供だったので、帰ってきた投鹿侯は自分が留守の間に、妻が別の男と交わって産んだ子であるとその子を殺そうとした。


 妻は”ある時の日中、外を歩いていると雷鳴が聞こえ、天を見上げると、雹が私の口に入ったので、飲み込んだところ、身重になり、10か月で子供が産まれました。


 この子はきっと非凡な力をもつにちがいありません”といって助命をしたが、当然ながら投鹿侯はその言葉を信じず、妻と離別し、離縁された妻は実家で養育することにした。


 成長した檀石槐はとても勇敢でありなおかつ裁きなどもが公平だったため、やがて彼は部族長になった。


 その率いる兵馬は強盛かつ引き際を心得ており、南は漢の并州や幽州で度々略奪をはたらきながら、北は遊牧民族である丁零の南下を阻み、東は農耕騎馬民族の夫余を撃退し、西は烏孫に攻撃をかけ従わせることで、かつての匈奴の最大版図に匹敵するものとなった。


 檀石槐は度々漢の辺境で略奪を行い、張奐が何度か撃退したものの、鮮卑は形勢不利となるとすばやく万里の長城の北に逃げてしまい、後漢王室は檀石槐を王に封じ、鮮卑と和親をはかろうとしたが、檀石槐はこれを拒否し、漢王室は弱腰で漢兵は弱いとみなしたことで鮮卑の侵入と略奪はますます激しくなったと現状はこんなところだ。


「とりあえずは鮮卑の連中を長城の外へ追い返すか」


 厄介なのは羌族などもそうだが、彼らは裸馬での騎乗射撃が得意であるということ。


 また、不利な状況であると見るとすぐに逃げ出すこと。


「いつもどおり俺が囮になって偽装敗走しつつ、伏兵で奇襲をするのが無難な所か」


 とはいえ偽装撤退戦術は別に俺の専売特許ではなく、劉邦の兵に大ダメージを与えた白登山の戦いでも匈奴が偽装撤退してるしな。


 延熹元年(158年)の鮮卑の撃退には、俺も加わって功績を上げて、その際に戊己校尉に昇進して絹九千匹を朝廷より賜ったこともあったな。


「少数の弱兵を装いながら、ちまちま相手に矢を射かけつつ、こちらの伏兵をおいている場所に誘導するとしよう」


 いつもどおり、先頭に立つのは俺、弟である董旻などに伏兵を任せるが、配置場所に関しては公孫瓚や劉備などの地元の人間に地形の情報を聞いて決める。


 だが一度は偽装撤退伏兵戦術は成功したが、当然だがそれで鮮卑の軍をすべて討つことはできず、彼らは略奪をやめ万里の長城の北へ撤退してしまった。


 俺が以前に張奐と共に鮮卑と戦っていた人間だと知られてしまったようだ。


「やれやれ厄介なやつらだな」


「こちらも長城の外へ出て追撃しますか?」


「いや、やめておこう。軽装でバラバラに逃げてる連中を追いかけても殲滅するのは難しいし、そのための食糧や大車(輜重車)も用意できていないしな」


 張奐のやり方を真似て外征するなら、東西の交易ルートの拠点となる場所を抑えて、経済的な圧力を与えていくしかないか。


 曹操が烏桓征伐をしたときも、寒さに苦しんでいるし郭嘉が病死している。


 相手の土地に入り込んで討伐をするとなれば、防寒と食料飲料水の確保なども含めて綿密な事前準備が絶対必要だな。

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