延熹2年(159年)

予定通りに出世したが予定通りに罷免されちまった

 さて、張奐という人物はとても公正で清廉でもあり、軍事や外交の才能にも優れ、辺境の政治家としても軍人としてもとても優れた人物であり、ちょこちょこ起きる異民族の国境内への侵入と略奪などに的確に対処して被害は最低限に抑えていた。


 その間に嫁さんが男の子2人と女の子を1人出産してくれたのも朗報だった。


「この子達が無事育ってくれるといいな」


「はい」


 数年後の延熹元年(158年)にこれまた羌族や匈奴や烏桓とは違う異民族であるが元は烏桓と同族である鮮卑が国境を超えて辺境に侵入してくるという事件があった。


 だが、張奐は南匈奴の協力も得てこれを撃ち、数百を斬首して軍功を上げ俺もそれに従って功績を上げて、戊己校尉ぼきこういに昇進して5品に昇進し禄も二千石(日本円でおおよそ年収2千万円)とかなりの高位の官位につくことができ今までの功績の積み重ねの報酬として絹九千匹を朝廷より賜った。


 この時代はちゃんと銅銭が鋳造され貨幣経済が成立しているが白米一石が銅銭400銭ほど。


 無論北方では高く南方では安いけど。


 絹1匹は2反=10丈で約23メートルだが、高級なもので絹1匹が2000銭程度。


 現代換算だと一石がおおよそ1万円程度で一銭は25円くらいなので絹1匹がおおよそ5万円ほどだから45億円相当ということかな?


 名馬一頭が500万円相当、豪邸で2500万円相当する時代とはいえこれは相当な褒美ではある。


「とはいえ俺が独り占めしてもな……武功を立てたのは俺だが、それは俺の指示に従い戦う兵士がいてこそあげられたものだし」


 と俺はもらった絹は俺の下で働いてくれていた兵士1000人に分け与えた。


 絹9匹だとおおよそ45万の臨時ボーナスってところだが命をかけて働いているのだからこれくらいはいいんじゃないかな?


「董仲穎様は素晴らしい方だ」


「自らのものとせず我々に褒美を分け与えてくださるとは」


 そんな感じで兵士には感謝され兵士の家族にも感謝された。


 まあ、地元ではない并州での俺の売名目的でもあるんだがな。


 しかしながら翌年の延熹2年(159年)中央で専横を働いていた梁冀が帝によって誅殺され、梁冀によって取り立てられた張奐は免官のうえ任官権を剥奪された。


 当然張奐の任官権が亡くなったことで俺も免官されたわけだ。


 もともと梁冀の父は梁商で和帝の生母である梁貴人の甥でもあったため皇室の外戚として強い発言権を持っていた。


 もっとも梁商は真面目に帝を補佐したんだが、梁冀は幼少の頃から酒食を好み、挽満・弾棋・格五・六博・蹴鞠・意銭などの遊戯も好み鷹狩り・競犬・競馬・闘鶏なども好むなど享楽的な性格だったらしい。


 永建7年、陽嘉元年(132年)に妹の梁妠が皇后になると襄邑侯に封ぜられたが、父・梁商はこれを固辞し初めはおとなしくしていたようだが要職である、黄門侍郎日本でいう中納言相当になりその後もいろいろな職を歴任し、永和6年(141年)に父の梁商が死ぬと大将軍の位を継承した。


 時の皇帝である順帝が30歳で没すると、2歳の劉炳(沖帝)が即位するが、梁冀の妹の梁妠が太后として摂政することになったが、病弱な沖帝は翌年に早くも死去してしまい、この時大尉の李固は幼帝だと外戚が権勢を振るうと、次の皇帝には年長の者を即位させるよう主張したが、結局梁冀達は8歳の劉纘(質帝)を即位させ梁冀達が政権を握り権勢を振るった。


 それを不満に思った質帝は梁冀に「これは跋扈将軍なり」と言ったことで梁冀は質帝を毒殺し、次の皇帝選びで李固は清河王の劉蒜を強く推薦するが、梁冀は強引に劉志(桓帝)を即位させ、李固を解任させて後に殺したことで世間を大きく失望させた。


 そして桓帝の時代になると、梁太后の妹の梁女瑩がその皇后に立てられ、「剣履上殿」「入朝不趨」「謁賛不名」など前漢の功臣蕭何に匹敵するほどの特別待遇を受けるようになり、さらに梁冀の横暴はひどくなったが、その妻の孫寿の一族まで権勢を振るい、梁冀が豪邸を建てると妻の孫寿もそれに負けない豪邸を建て張り合うようにすらなった。


 和平元年(150年)に梁太后は政治を19歳になった桓帝に返すよう言い残し死去するが、梁冀はそれに従わず権力を握り続けた。


 しかし、梁皇后(梁女瑩)が延熹2年(159年)に死去し、梁姓と偽って宮中に入り桓帝に寵愛されていた鄧猛女が孫寿の養女で梁姓ではなかったことがばれ、桓帝は単超ら5人の宦官と謀り、梁冀派の宦官張惲を逮捕し、梁冀の豪邸を塀で囲み、結果として梁冀は妻と息子の梁胤と孫の梁桃と共に自害し、梁一族は九族までもことごとく処刑され、没収された梁冀と孫寿の財産は国家の租税の半分ほどあり、梁冀に連座して死刑になった高官は数十人、免職になった者は300人余りになり、一時朝廷には誰もいないと言われるほどだったというはなしだ。


 まあ、免職された300人には俺も入ってるんだけど。


 張奐は俺に対しても済まなそうに言った。


「すまんな、私の下で働いていたことで君も免職されることになってしまった」


「いえ、張然明様に学ぶことはたくさんありました。

 しばらくは故郷に帰ってのんびり田畑を耕しますよ」


「戦いから離れてゆっくり過ごすのもまたよかろうな」


「ではまたいずれお会いできる日をお待ちしております」


「うむ」


 そして3人の奥さんと共に俺は涼州に戻ることになった。


 とはいえ張奐や俺などを異民族との戦いの前線から外せば異民族が調子に乗って攻めてくるのは間違いなくのんびり出来る時間もそうは長くはないだろうけどな。

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