配信

 実は俺はカクヨムの他に去年の終わり頃からYouTubeチャンネルをやっている。


 YouTubeには有象無象にチャンネルがあるが、どんなジャンルかは言わないでおく。俺も視聴者として毎日いろいろな動画を見ているけど、英語、試験対策、料理チャンネルのような実用的なものから、宗教、思想など精神的なものまで何でもある。テレビなんかより圧倒的に面白い。


 先日、俺のチャンネルの登録者が1500人を超え収益化することができた。1年未満で収益化できたのだからかなり早い方かもしれない。毎回欠かさず見てくれて、コメントをくれる人もいるし、俺はお礼に顔出しをすることにした。YouTubeっていうのは、チャンネル登録して見てもらわないと収益化できないから、視聴者はお客さんみたいな存在だ。


 簡単に説明すると、YouTubeの収益化の目安は登録者1000人、再生時間が直近1年間で4000という高いハードルがある。登録者数の基準については最近海外で500人に緩和されている。最近は登録しないで、動画を見る人がほとんどだ。恐らく1割くらいの人しかログインしていないように思う。

 それから、最近はTikTokみたいなショート動画が増えているが、ショートの場合は過去90日間の再生回数が1,000万以上が必要だ。ショート動画は尺が1分以内だから、時間的には…考えただけで気が遠くなる。バズるのは本当に難しいから、むしろハードルが高い気がする。


 さて、俺はめでたくYouTuberの仲間入りができた。顔出しして大丈夫かと心配する人がいるかもしれない。俺は男だし別に困らないだろうと思う。人に見られて困るようなことは何も言っていない。


 それに、俺はもう会社員ではないのだ。定年まであと何年かだが、会社の早期退職募集に乗じてファイヤーすることにした。前の会社の人たちが俺を見たら落ちぶれたと思って、気分がいいに違いない。ああいう連中は会社をやめた人間が人生を失敗している方が安心するだろう。俺は稼いで浪費する生活からSDGSに即した自給自足を目指して、自ら生産する生活を送りたいと思っている。


***


 毎日配信しているが、顔出しを決めた初日はやはり緊張した。

 

「こんばんは。連喜です。普通のおっさんです。どうも。今日から顔出ししますんでよろしくお願いします。よく声と顔のイメージが違うと言われますけど、その辺は気にしないで内容に集中していただければと思います」


 チャットに「びっくりしました」、「イケメンですね」と続々とコメントが寄せられた。


「僕が顔出しした理由は、将来的には本の執筆や講演とかもやりたいと思うので、まずはネットで顔を売ることにしました。


 それに、こうして毎日決まった時間に配信があると、生活にメリハリが出るし、顔出しすることで人目を気にするっていうのを忘れないためですね。今は人にまったく会わなくなったので…そのうち野人みたいになっちゃう気がするんで。髭剃って、髪にワックスつけてってやってると、俺って人間なんだって思い出します」


 その後は俺は今まで通り配信をして、30分で終了した。


 放送中にチャットで視聴者の人たちとやり取りするが、いつも10人ちょっとしかいないから気楽だ。みないい人ばかりで友達みたいな感覚だった。


 今、世間との唯一の接点は動画配信だった。


 俺は田舎に住んでいるけど、そういうことは言わないつもりだ。ファンの人が押しかけて来て、家を覗かれたりしたら困る。一応、おじさんにもプライバシーがあるのだし。ちなみに今日の配信でカミングアウトしたが、外国籍の人と結婚している。どこの国か言ったら、身バレする恐れがあるからここには書かない。


「すごいですね」、「かっこいい」、「国際的」、「ディーン・フジオカみたいですね」

 色々なコメントが寄せられた。


 フィリピンパブのホステスだろうと思う人もいるだろうけど、別にそれで構わない。


***


 俺が寝室で寝ていると、夜中、部屋の中で何かカサカサと音がした。その音で目が覚めたような恰好だった。外がまだ暗いし、時間的には2時から3時くらいのような気がした。部屋にいるのはゴキブリみたいな小さなものじゃなくて、もっと大きな何かが動いているのだ。幽霊などの超自然的なものではなく、実在するもののようだ。


 俺は一人暮らしだから、そんな音がするとしたら、誰かが家の中に侵入している場合に限る。俺は妻帯者だが、奥さんは海外に住んでいて同居はしていない。ペットも飼っていない。


 俺は寝たふりをしていた。

 起きて戦おうとしたりしたら、殺されてしまうかもしれない。

 パソコンでも何でも持って行きやがれと思って諦めた。


「連喜さん」

 誰かが俺の耳元で囁いた。中年の女性の声だった。

「え?」俺はびっくりして体を起こした。

「お隣いいですか?」

「いい訳ないでしょう」

 女はベッドの傍らにしゃがんで俺の顔を覗き込んでいた。

「奥さんいるなんて嘘ですよね!」

「いや…本当ですよ。いますよ!」

「だって、住民票に書いてないし、奥さんと一緒の所なんて見たことないですもん」

「海外に住んでるんですってば!」

「嘘ですよ。一回も見たことないし」

「本当ですよ。結婚式だってしたし…」

「ひどい!騙された!ずっと独身のふりしてたじゃないですか」

 俺は顔も見えないその人の質問に答え続けた。

「そんなことないですって。言ってなかっただけで隠してたわけじゃありません」

 しかし、心のどこかでは、きれいな女性との出会いを求めたいたことは間違いない。

「一人暮らしって言ったのに…。結婚したって本当なんですか?いつ!」

「去年の暮れです」

「奥さんどこにいるんですか?」

「フィリピン…写真見ます?結婚式の」


 俺は起き上がってスマホをつかんだ。スマホの画面の明かり越しに見たその人は、ブルドックみたいな顔の太った女性だった。年齢的には五十くらいだろうか。俺はその人を見たことがあった。よく、朝にエレベーターで一緒になる人だった。あちらから挨拶をしてくるから、俺も返していた。感じがいいというより、変な人だなという印象だった。マンションのエレベーターで挨拶してくるのは、その人しかいなかった。


 小柄で身長が150センチくらいだと思うが、かなり太っていて、髪がいつもぼさぼさだった。黒い髪で天然パーマなのかチリチリだった。それで余計に記憶に残っていた。

 俺は結婚式を挙げた時の写真を見せた。妻がウエディングドレスを着ている。

「全然、きれいな人じゃない!こんな人と結婚するなんて信じられない。騙されてるんですよ。フィリピンの女は日本人なら誰でもいいと思ってるんですから!だからぁ!騙されてるんだってば!」


 俺は怖くなった。

 女は相変わらず一人で喋っている。


「私なら、連喜さんが病気や怪我がで動けなくなっても、ちゃんと最後まで面倒みますよ」

「いいですよ…別に。孤独死しますから」

「そんなのだめ!ちゃんと看取ってもらわなきゃ!私なら、お世話できますよ。私、介護の仕事してたんで」

「ところで、あなた…このマンションに住んでるんですか?」

 そんなに金を持っているようにも見えなかった。悪いけど、俺の住んでいるマンションは相当高いはずだ。

「はい…私、わざわざ関西から引越して来たんですよ。ここ分譲ですけど、賃貸もあるので…1LDKの間取りもあるんですよ!」女は嬉しそうに言った。

「でも、僕が顔出ししたのも最近なのに…どうして…」

「声が素敵だったので…私、声フェチなんです。連喜さんの声って癒されます」

 女は気味の悪い声で笑った。気持ち悪い女だなと思ったが、どうやって追い出していいかわからない。

「しかし、どうやってここがわかったんですか?」

「探偵を雇いました」

「でも、個人情報は公開してないのに…」

「ええ。でも、探偵さんによると動画の内容と声で…連喜さんにたどり着いたそうです。百万以上かかりました」

「え。何のために?」

「奥さんになりたいなって思って…」

 女はうふふとと笑いながら俺に触って来た。

「俺はもう結婚してますから」

「でも、籍入れてないんじゃないですか?戸籍見たら独身だったし…」

「え?戸籍?」

「はい。探偵に頼みました…行政書士とかなら取れるんで」

 俺の戸籍を見たがる人がいるなんてびっくりだった。芸能人でもないし、ただの一般人で大して金持ちでもないのに。しかし、だからこそ付き合えると思われたのかもしれない。動画で金持ちぶっていたことを後悔した。

「残念ですけど、もう結婚してるんでお引き取りください」

「嫌です!帰りません」

 俺はスマホから110番通報しようとした。すると、女がすかさず俺のスマホを取り上げてしまった。

「返せよ!ババア!早く出てけ!!!」俺は怒鳴って、女につかみかかった。

「ちょっと待って!騒ぐと怪我しますよ」

 俺の腕に冷たい物が当たった。和包丁という先が鋭利に尖っていて、ちょっと触っただけで大けがするやつだった。 


***


 俺は夜の配信に備えて朝から準備をしている。俺は両足を縛られて、椅子に固定されている。隣にはブルドックによく似た女が包丁を持って座っている。俺の配信を手伝いたいと言って、一日中隣に張り付いている。俺は外に向けてSOSを発信したいが、チャンスが全くない。


 しかし、女は自分がトイレに行く時はパソコンを持って行ってしまう。スマホも持っていない。


 俺は時間になると、YouTubeの配信を始める。


「みなさん、こんばんは連喜です」

 

 俺は親指を折って、残りの指を折り曲げるしぐさをする。それも、最初の一回だけ。全身全霊の祈りを込めてする。

 俺は恐怖のあまり声が震える。女にばれたら何をされるかわからない。テンションが低いと言って女が隣から俺にダメ出しをする。


「配信は奥さんに手伝ってもらってます。え?どんな人かって?想像にお任せします。…すごく気が利いて、優しい人です」


 『ちょっと疲れてませんか?』、『痩せました?』、『大丈夫ですか?』コメントが流れてくると、自分を気にかけてくれる人がいて嬉しくなる。


「最近、不眠症気味で…なんかいい方法知りませんか?」

 

 俺は声を出さずに、口でもと訴える。誰か俺を助けてくれ!


 配信が終わった後、俺は女にしこたま殴られた。SOSのハンドサインがばれてしまったらしい。それでも、心の中では、今日の配信を見て誰かが警察に通報してくれていないかと期待していた。


 そして、また朝が来る。俺はいよいよパソコンを取り上げられてしまった。女は動画をすべて削除してしまったから、もう跡形もない。俺は天涯孤独で親類縁者とも縁が切れている。俺と連絡が取れないと警察に相談する人なんかいない。


 俺の異変に気付いてくれる人がいるとしたら、マンションの管理費や修繕積立金の未納でばれるか、俺の体が腐って廊下まで匂いた届くかくらいしかない。俺は一日中ベッドに横たわっている。


***


 二か月後、誰かが家のドアを開けて入って来た。がやがやと人の声がする。隣にいたブルドック女が慌てていた。俺は期待で胸がはち切れそうだった。


 訛った日本語で「わたしの旦那さん、死んでるかもしれない!」と叫んでした。妻だった。仕送りが滞ったから、日本まで取りに来たんだ。がめつい奥さんでよかったと俺は心から思った。



 女はベランダに逃げた。

 そして、それっきり見つからなかった。


 

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