ホクロ

 人間誰しも黒子がある。

 俺の場合は黒子なんてものをあまり気にしたことはない。

 女性は気になるかもしれないけど、俺は自分の顔にある黒子でさえあまり見ちゃいない。


 女性の黒子は、首にあると色っぽいと感じることもあるし、胸にある人なんかは微妙に幸薄そうに感じる。俺の思い込みか。

 しかし、顔にほくろがあると、その人の印象が大きく変わってしまうのは確かだ。


 俺の昔からの知り合いで顔に大きな黒子がある女の人がいた。仕事関係で出会った、友達以上、恋人未満の人だった。若い頃は美人でスタイルがよかった。スーツをさっそうと着こなすキャリアウーマンという感じだ。


 そのAさんは40を過ぎてから、トレードマークだった黒子を美容のために皮膚科で取ったらしい。


 どうやってを取ったのかは詳しくわからないけど、何年振りかに顔を合わせた時は目立っていた黒子がきれいになくなっていた。はっきり言って最初は誰だかわからないほどだった。


 確かにちょっとあか抜けたような気がしたが、むしろ個性がなくなってしまったように思えた。


 言うなれば、その人にほくろがあったというより、その人が黒子に付いていたようなものだったのかもしれない。もちろん、黒子に自我はないだろうが。


 しかし、面と向かって「黒子取ったんだ?」なんて聞けるわけがない。俺は普通に接していながら、その人の性格も何もかも変わってしまったように思えた。声は確かに一緒なのだが、何となく別人みたいだった。


 コロナ禍の間にも会ったが、その時はマスクをしていたから、ますます誰か確信がなくなってしまった。


 そして、先日、彼女の噂を聞いた。どうやら仕事を辞めて家にいるらしい。


 どうやら取ったはずの黒子が再発してしまい、前よりかなり大きくなってしまったようだ。本人は気にしてマスクを外せない状態になってしまったようだ。前は、5ミリくらいの大きさの盛り上がったイボのようなものだったのに、今は5センチくらいになってしまったようだ。普通、こんなことは起こらないだろうし、癌なのではないかと思ったが、そうではないということだった。


 仕事をしていると、会食などをする時はマスクを外さなくてはいけないし、本人は耐えられなくなったようだ。割ときれいな人だったから、よけい気になるのかもしれない。


 俺は気の毒になって彼女を訪ねてみようと思った。

 近くを通りかかったからついでに寄ったことにして、花とケーキを持って行った。

 

 玄関のインターホンを鳴らした。

 安い集合住宅にあるカメラの付いてないやつだった。建物自体もオートロックではなかった。彼女は若い頃から節約家だったな、と思いだした。


 すると、彼女は宅急便の配達員だと思って出て来た。玄関先の彼女はトレーナーの上下を着て、髪を後ろに束ねていた。驚いたことに半分くらい白髪だった。白い不織布のマスクをしていた。年齢は45歳くらいだと思うけど、10は老けて見えた。


 玄関には段ボールが山積みのまま置きっぱなしになっていた。


「久しぶり」

 俺はあっけに取られながら言った。

「何でいきなり来たの!」彼女はヒステリックに声を荒げた。

 俺は多分、そうなることを予測していたのに、怖い物見たさで訪ねて行ったのだと思う。

「元気なさそうだから、ちょっと寄ってみた」

「まったくもう!冷やかしに来たんでしょ!」

 彼女は相当怒っていて、玄関を開けた状態で大声で話していた。多分、近所に響き渡っているに違いない。彼女の家は古い鉄筋のアパートで、独身の一人暮らし。ちょっと寂し気だった。


「ケーキ持って来たんだけど…もらってくれる?」

「ありがとう。3時間後くらいにまた来てくれない?」

「うん」


 俺は近所のファミレスなどで時間を潰して、また彼女の部屋に行った。 

 さっきドア越しに見えていた段ボールはビニール紐で束ねられていて、物が多いけどギリギリ人を部屋に通せるくらいに片付いていたと思う。


 しかも、驚いたことに、彼女は白髪混じりの髪を短時間の間に染めていた。傍によると美容室のような臭いがした。

 

 化粧もしていて、目元は前の彼女の面影があった。ちょっと痩せたのか目じりに皺が増えていた。


「今、どうしてんの?」

「失業保険もらってる」

「そっか。その後は?」

「田舎に帰ろうかなぁ…だって」

 彼女は泣きだした。まさか黒子のせいかと俺は気の毒になった。

「黒子が大きくなっちゃって…」

「でも、そんなの気にすることないよ」

「そんなことなくないの。もう、結婚できない」

「そんな、ことないって。まだ、きれいだよ。見せてみて」


 俺は覚悟を決めた。

 俺は独身だし、最近は誰でもいいから結婚したいと思っていた。A子はわりと性格がいいし、経済観念もしっかりしている。俺はもう五十代だから、子どもがいない人生でもいいじゃないか。A子と二人で穏やかな生活を送りたい。


 彼女は「本当?」と言って、後ろを向いたままマスクを取った。


 そして、振り返ったその右の頬には、黒いイクラのような粒が無数にあった。イボの集合体だ。俺は思わず目を逸らした。


「イボって増えるんだっけ?」

「うん。…でもね。私。こんな風になったのには、心当たりがあるの」

「えっ。どんな?」

「高校生の時、同じクラスに全身に黒子がいっぱいある女の子がいて、その子のことをホクロって呼んでいじめてたんだ」

「だからって…関係ある?」

「その子、高校卒業してから引きこもりになって…顔のホクロを全部取ったんだって」

「よかったじゃん」

「でも、再生しちゃって…」

「へえ…」

「もっと目立つようになっちゃったんだって。それで…その子、耐えられなくて…〇んじゃったんだ」

「で、その子の黒子を君が引き継いだわけか!そう思うなら、その子に手を合わせて謝れば?」 

「毎日やってるの!それを二十年以上!」

 

 A子は泣き崩れた。

 そして、俺の肩に持たれて来た。俺は何とか彼女を励まして、泣き止ませることができた。

「きっと偶然だよ。今、コロナでマスクしてる人が多いから、ずっとマスクしてたらいいじゃん」

「でも、どんどん大きくなってるの」


 その後、俺はケーキが喉を通らないまま俺はA子の部屋を後にした。

 彼女に会ったのはそれが最後だった。  

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