車中泊

 車中泊っていうのはちょっと怖い。


 俺は中年のおっさんだけど、強盗に遭うんじゃないかといつもびくびくしている。

 そんなに嫌ならやめればいいと思うだろう。


 なぜ、車中泊をしているかというと家出のためだ。同居人が精神的に不安定な人だから、時々、一緒にいるのに耐えられなくなってしまうことがある。

 こっちもメンタルをやられそうになるから、逃げたくなったら車で逃走することにしている。同居人が荒れている時、ちょっと距離を置ければいい。別に別れたい訳ではないから、ちょっと物理的に離れられればいいのだ。


 以前、同居人と揉めた時は、三階建ての家の一階の部屋に籠っていた。そういう時は、二階と三階は同居人に譲ることにする。快適さを重視するならホテルに泊まればいいのだが、金がもったいない。都内のどこかに安いホテルがあるとしても、移動するには交通費がかかる。じゃあ、漫画喫茶はどうかと思うだろうけど、何となく客層が好きになれない。最近は長期滞在している人が多すぎる。


 そのうち、キャンピングカーを買っておけば、普段は旅行に使えるのではと思うようになった。旅行に行った時、ホテルに泊まらなくていいとしたらかなり節約になるんじゃないだろうか。

 実際の俺は旅行好きなんかではない。去年どのくらい旅行に行ったかというと、恐らく近場に一回行っただけだ。どうせ旅行なんか行かないのだが、車を買った時は、週末車を運転して湖などに行くところを想像してしまった。


 車を借りて、一回だけ同居人を連れて山梨に行った。

 しかし、車内が暑すぎるということで、ホテルに泊まった。

 主な使い道はやはり家出した時の寝場所だった。


 同居人と喧嘩すると俺は家を飛び出す。行先は決まっていない。ネットで車中泊可能な駐車場も調べられるが郊外であることが多い。ほとんどの駐車場が実際は車中泊禁止らしい。コインパーキングは仮眠は可のところが多いが、車中泊はNGだろう。近所にそんな人がいたら気持ちが悪い。


 しかし、コインパーキングは安い。夜間定額〇〇〇円と書いてある。コインパーキングは駅の近くにたくさんあるが、その中で看板に車中泊禁止と書かれていない場所を選ぶ。本来はダメかもしれないが、掲示板に書いていないと開き直れる。


 俺が住んでいる地域の治安は普通だ。可もなく不可もなく。もちろん、早い時間なら危険ではないけれど、深夜はどうかわからない。以前、近所で女性が襲われたし、殺人事件もあった。それでも、都内では普通なのだから、治安とは何なのかよくわからない。

 

 終電が終わり、人通りがなくなってからの街の様子は、車中泊をするまでは知らなかった。夜中大声で喋りながら歩いている集団がいたり、おっさんが1人でうろうろしていたり、ちょっと怖いなと思う時もある。


 俺は行きつけのコインパーキングに車を停めた。時間としては、大体夜の11時くらいだった。まだ道路を歩いている人がいる。


 スーツ姿の男性やOLさんぽい女性を見てほっとしながら、駐車場に車を止めた。それだけでその周辺がまともだと思える。キャンピングカーだから、運転席の後ろの仕切りカーテンを閉めてリビングに移る。リビングと言っても大したことはないのだが、一人になれたとほっとする。今、俺が1人になれるのはトイレくらいだったから、車を買って本当によかったと思う。


 ただ、車のドア一枚で外と隔てているだけだから心もとない。テントよりましというくらいだ。ガラスを割ったらロックを開けてすぐに侵入できる。俺を狙っている相手がいたら、すぐにやられてしまうのがわかる。


 俺の車は新車だ。価格は350万くらいだろうか。正直言って大したことはない。しかし、盗難に遭いやすい車種として知られている車に乗っている。車泥棒が俺を乗せたまま走り去ってしまったらどうしようか。殺害される可能性もあるだろう。


 俺はベッドを展開して、すぐに寝ることにした。金曜日の夜だし、とにかく、疲れ果てていた。外の物音が結構そのまま聞こえる。まるで外で寝ているみたいだった。俺はじっとしていた。


 どのくらい時間が経ったかわからないが、俺は全く眠れていなかった。ずっと考え事をしていた。


 ガラスをコツコツノックする音がした。俺はびっくりして、心臓が止まりそうだった。黙って丸くなっていた。居留守を使おう。俺はそう決めた。


 ノック音が止んだ。もしかしたら、空耳だったんだろうか。


 そんなことはないだろうが。俺はまた目をつぶってうとうとし始めた。これから、同居人とどう付き合って行こうか。俺は考えていた。いっそのこと、毎日車中泊をしようか。つまり別居だ。家の駐車場に止めておけば駐車場代はかからない。


 また、コツコツと窓ガラスを叩く音がした。


 もう、真夜中だ。俺はびっくりして頭からタオルケットを被って震え上がっていた。


 黙っていると音はしなくなった。

 何が目的なんだろうか。どうして、俺の車の近くにずっといるんだろう。

 中にいることを知っている違いない。そうでなかったら、窓ガラスをノックしないだろう。


 俺はじっとしていた。


 一時はやむのだが、またしばらくするとコツコツと音がする。その音は人が叩いていると思われる規則的な音で、ごみや石が舞い上がってぶつかったというようなものではない。


 気持ち悪いな…。

 俺は黙っていた。


 ガラスをコツコツと叩く人がいる。

 また、静かになる。

 それが何十回と繰り返された。


 警察を呼ぼうかな。


 そんなに車に入れて欲しいんだろうか。

 そんなことが、できるわけがない。

 中に入れたりしたら、その瞬間刺されてしまうかもしれない。


 怖くてトイレにも行けない。

 もともと簡易トイレを常備していたから、さっき使ったばかりだ。


 ほとんど、寝れないままだった。

 少し外が明るくなってきて、新聞配達と思われるバイクが走り始めた。


 また、コツコツと窓ガラスを叩く音がした。

 俺はまた黙っていた。


 すると、今度は平手でバンバン叩く音がした。

 俺は恐怖で縮み上がりそうだった。

 それがいつまでもやまない。


「聡史」


 俺の名前だった。


 俺は慌ててカーテンを開けた。

 目の前にいたのは同居人だった。


 俺は同居人を招き入れた。


「どうして、ここがわかったんだだよ」

「車が一緒だったから」


 そう言えば、家でした時は近所のコインパーキングに止めていると話したことがあった。


「さっきはごめん」同居人がしおらしく言う。夢を見ているのかと疑う。

「いいよ。もう、慣れてるから。寝てないのかよ?」


 同居人はベッドに横になった。

 どちらともなく、仲直りのキスをした。


「眠い。限界」と、あいつは言って目をつぶった。


 俺は同居人の髪を撫でていた。

 ようやく恐怖から解放された。もし、ドアを叩く人がいても、一人じゃないから怖さは和らぐ。


 俺は急に睡魔に襲われた。


 ***




 夕方のニュース。アナウンサーが首都圏のニュースを読み上げる。事故や火災のニュースであることが多い。

 

「今日、午前中、練馬区〇〇のコインパーキングで、都内在住の五十代男性の遺体が発見されました。男性はエアコンをつけたまま就寝していたようです。男性の車のマフラーには詰め物がされており、警察は自殺・他殺両方の線で捜査を行っています」


 ***


「今月9月15日練馬区〇〇のコインパーキングで、男性の遺体が発見された事件ですが、この男性と同居している十代の少年が男性の死に関わっているとの見込みから、警察で身柄を拘束しています。この少年と男性の関係は今のところよくわかっていません」


 ***


 少年の供述によりますと、男性が車で家を出て行き、後を追ったが無視されたため、マフラーに詰め物をして困らせてやろうと思ったとのことです。殺意については否定しています。少年と男性は数年前にインターネットの交流サイトで出会って、親しくなったとのことです。


 ワイドナショーでは少年が同居男性を殺害したことが繰り返し取り上げられていた。コメンテーターの男性タレントが口を開いた。


「少年は不登校の状態だったようです」

「不登校ってことは中学生ってことですか?何で被害者の男性と一緒に住んでいたんですか」

「少年は家出状態で、二人は恋人同士だったということです」 

「ちょっと異常ですね。暴力を振るわれていたということはないんですか?」

「詳しいことはまだわかっていません」女性アナウンサーが付け加えた。

「どちらから誘ったんですかね?」

「詳しいことはまだわかっていません」

「グルーミングって言われる方法で少年を手懐けていたのかもしれませんね」


 そこからしばらくは、ジャニーズの問題が延々と話されていた。


「最近は東横キッズなんていうような、家出した子たちがたくさんいますからね」

「少年も何らかの問題を抱えていた可能性は否定できません」


 コメンテーターの予想では、少年が痴情のもつれから男性を殺害したのではないかという展開になっていた。


「しかし、マフラーに詰め物をしたくらいでは、排気が逆流して一酸化炭素中毒になるということは考えにくいですねぇ。普通はエンジンが止まるだけですよ。車って意外と隙間が多いんで、空気がいろんな所から逃げちゃいますからね」

「しかし、今回はキャンピングカーだったので、断熱材を用いて空気が逃げないように改良していたという報道もあります」

「どうかなぁ…。雪の中に閉じ込められたとか、地下の駐車場だったらあり得ますけど、聞いたことないですね」

「もしかしたら、警察が他に何かしらの証拠を握っているんじゃないでしょうか」


 ***


 事件の報道が下火になった頃だった。他にめぼしいネタがなかったマスコミは異常な事件に再び飛びついた。

 

「コインパーキング不審死事件の続報です。少年はマフラーに地面に落ちていたごみを詰めたと供述しているそうです。しかし、実際に詰まっていたのは、布製の物だったため、少年の供述とは食い違っています」

「という言うことは、別の第三者がいるということでしょうか」

「はい。あくまでも想像の域を出ませんが、被害者男性は夜中にエンジンを付けてエアコンをかけていたようなので、けっこう近所迷惑だったんじゃないでしょうか…」

「しかし、この暑さですからね。エアコンなしだと熱中症が怖いですからね」

「そもそも男性の死因は一酸化炭素中毒なんでしょうか」

「はい。警察からの発表ではそうです」

「不可解な事件ですね…」

「キャンピングカーっていうのは、普通の車と違って空気が逃げにくい可能性もあるので、車中泊が今ブームですが気を付けた方がいいんじゃないですか」

「もしかして、犯人が車の周辺で一酸化炭素を発生させる何かを置いていたんじゃないですか」若い女の子が口を出した。

「どんなものですか?」

「七輪とか」どっと笑いが起きる。

「サンマ焼いたりとか?そんな目立つことする人います?」

「あくまでも推測です」

「もし、そうだったら少年とその犯人が出くわしている可能性もありますよね」

「どうでしょうか。少年は近所を徘徊していて三回ほど男性に声を掛けたそうです。携帯に電話をしたがつながらなかったと述べています。声を掛けたのは、夜11時頃、深夜1時頃と2時頃だそうです。少年はその後は怖くなって家に帰ったと言っています。男性の死亡推定時刻は、明け方の4時頃なので、もし、誰かが男性を殺害したとしても、会っていない可能性が高いと思われます」

 

「少年によると、窓ガラスを叩いても男性からは一度も返事がなかったそうです」

「行く前にスマホで連絡すればよかったのでは?」

「被害者の男性は電話に出なかったそうです」


 ***


「コインパーキング殺人事件の続報です。少年は男性の死とは無関係とわかり釈放さました」

 女性アナウンサーが原稿を読み上げた。


 誰が被害者を殺害したのか。

 その真相はいまだにわかっていない。



<車中泊を巡る事件>


 2006年。姫路SAで、当時28歳の女性が猥褻行為を受け、現金5万円が入った財布を強奪される。同年、2006年4月に姫路バイパスの姫路SAで、当時19歳の女性の車に乗り込み、猥褻行為を受ける。二件とも犯人は同一人物。2012年にも同様の事件を起こす。

 2010年。九州で車中泊中の女性が首を絞められ殺害される。

 2012年。第二神明道路垂水SAで30代の女性が猥褻行為を受ける。

 2019年。北海道で女性が車中泊中に殺害。

 2021年。埼玉県で女性が車中泊中に性的暴行を受ける

 2022年。滋賀県のコンビニで仮眠をしていた女性が狙われる。同年三重県でも同様の事件が発生。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る