兄と弟

 俺が小学三年生の頃、当時小五だった兄が行方不明になった。

 兄の名前はさとる

 兄はちょっと嫌なやつだったけど、殺したいほどではなかった。優しい時はまったくなかったし、俺のことを小馬鹿にしていて、いなくなった時はなぜかほっとしていた。兄の存在は長年ストレスになっていた。


 俺は当時、兄が誰かにどこかに連れ去られて、虐待されたり、拷問されたりして泣いている姿を想像すると嬉しかった。もちろん、そんなことを人には言えないし、兄の話題になるといつも神妙な顔をするようにしていた。


 兄はそのまま戻って来なかったし、ずっと行方がわからなかった。

 監禁されているだけで、生存している可能性もあった。

 俺はそうならないことを祈っていた。

 兄が嫌いなのと、遺産を分割するのが嫌だったからだ。


 結局、兄が見つかったのは行方不明から四十年経ってからだった。 

 灯台下暗しで兄の遺体は実家の庭に埋まっていた。


 両親が亡くなった後、俺が一人で家を相続したから、不動産業者を通じて古屋付きの土地として売却した。


 昔の家だから土地は広めだし、ミニ戸建てを建てようと思えば三棟は建つ。小規模なアパートでもいけると思う。俺は希望通りの金額で売れてほっとしていた。俺は東京に住んでいて、そんな田舎の一軒家なんて欲しくなかったからだ。嫁もいらないと言っていた。


 実家の土地を購入した人は自営業の金持ちで、広めの土地に豪邸を建てるつもりだったらしい。鉄筋コンクリート造の家にするために、古屋をぶち壊して庭を掘り返して、地盤改良のくい打ちをしたようだ。


 なぜ俺がそんなに購入者の新居に詳しいかというと、そのことを不動産屋から聞かされたからだ。どうやら、土を掘り返しているうちに、うちの庭から小さな人骨が出て来たらしい。俺の実家は、売却後に事故物件になってしまったわけだ。


 子どもの骨が出て来たという段階で、俺は兄だろうと思っていた。兄がいなくなったのは四十年近く前で、殺人だったとしてもとっくに時効だと思う。


 ちょっと怖いのは誰が兄を殺したかということだ。


 亡くなった日のことは今もはっきり覚えている。兄は少年野球をやっていて、友達数人と野球の練習から帰る途中、途中の道路で友達と別れたっきり行方不明になっていた。


 田舎の住宅街だから兄を見た人は誰もいなかった。今みたいな物騒な世の中だったら、親が迎えに行ったりしたかもしれないけど、昔は男の子なんかが猥褻事件などに遭うわけがないというのが一般的な認識だった。


 兄の遺体が土に埋まっていた状況からして、殺人であることは明らかだったが、警察はこの件を調べる気はなさそうだった。そりゃ当然だなと思う。他にいくらでもやることがあるだろう。


 俺は今回警察の人から、父親が兄に多額の生命保険を掛けていたことを知らされた。子どもなのに受け取り額が一億円だったとか。当時、父の会社は傾いていて、その金を事業資金に充てたようだ。受け取るまでに何年もかかったようだが、父の会社はその後持ち直して、最終的には地元で指折り数えるくらいの大きな会社になった。俺は子どもだったから、その当時のことを何も知らされていなかった。


 兄のおかげで、俺は何不自由ない学生生活を送ることができた。大学も私立に進学した。もし、あの世があったら、兄は絶対に俺を恨んでいるだろう。もしかしたら、殺害した父よりも。骨は最終的には火葬にして灰にして実家の墓に入れたのだけど、自分を殺害した相手と一緒の墓に入っているなんて、兄にとってはあまりにも酷じゃないかと思う。しかし、俺は墓を建ててやるような余裕もないし、兄だけを別に祀るつもりもなかった。


 しかし、兄の骨が庭から出て来て、俺の生活は一変した。ずっと罪悪感に苛まれていて、自分が生きていていいのかと思うくらいだ。母は兄の部屋をずっと取っておいたのだが、俺はそれをごみ処理業者に頼んで、すべてをきれいに捨てさせた。だから、兄の私物は一つも残っていないと思う。母が時間をかけて整理したアルバムは取っておいたけど、一度も見たことがない。


 俺は罪滅ぼしにアルバムをめくってみた。あまりに古すぎて、アルバムの透明なフィルム同士がくっついて、メリメリと音を立てる。俺が子どもの頃の写真はカラーだけど変色のせいか全体的にセピア色だ。兄は申し訳ないけど猿みたいな顔をしていた。子どもらしくふざけて写真に収まっていたりすると、何とも言えず気の毒な感じがした。生きていれば、会社を継いでた?

 それはないと思う。兄の犠牲がなかったら、家族が路頭に迷っていただろう。


 どうして、父が選んだのが兄だったのか。


 不思議ではない。父は俺と兄だったら俺の方を贔屓にしていたと思う。同じことをしても兄は流さされ、俺は褒められた記憶がある。だからと言って子どもを殺害するなんて、普通できることじゃない。実の両親などに保険を掛ければよかったのに。しかし、それだと保険料が高いのかもしれない。俺はアルバムをめくり続けた。兄がいなくなったのは、小学校五年生。俺は当時小学校三年生だった。


 俺はアルバムを見ていて奇妙なことに気が付いた。兄がいなくなって以降、俺の写真がまったくない。そのまま、ページをめくっても、めくっても、俺の写真が一枚も出てこない。


「何で俺の写真がないんだ?一枚もねえじゃねえか!」

 

 胸が締め付けられるように感じた。俺って母親から愛されていなかったのか。母は死ぬまで兄の写真をベッドの横に飾っていた。自分の息子は聡だけだと言わんばかりに。俺は思った。死ねば愛されるんだ。


「お前がいなくなればよかったのに」


 母に何度も言われたことがある。もう長年、母とは絶縁状態だった。孤独な晩年を送ったはずだ。ざまあみろと思う。俺は高校から寮のある学校に進学して、早々と家を出た。それから一度も実家に帰っておらず、両親にも会っていなかった。なぜだろう。そんなに、両親を毛嫌いする理由があるのか?母はともかく父まで。


 そう言えば、俺は知ってた。両親に打ち明けられたんだ。

 兄がいなくなった数年後。


 兄を殺害して庭に埋めたと言われた。

 あの話は夢の中のことだと思っていたら現実だったらしい。


 ***


「兄貴の遺骨さ、実家の墓に入れといていいもんかな」

 守は酒を飲みながら独り言のようにつぶやいた。

「なんか祟られそうじゃない?」

 妻の容子は笑っていた。目じりの皺が目立って、頬には大きなシミが無数にあった。若い頃は美人だったが、見る影もなくなっていた。

「そうだよな。だって、殺した相手と同じ墓に入られるって、ひどいよな」

「自分でやったんじゃない」容子は呆れていた。

「だって、金ないし。墓作るとしたら何百万もかかるだろ?俺には無理だよ」

 

 まもるはため息をついた。しばらく黙る。容子は不安げに守を見ていた。こういう時は、夫が豹変するというのがわかっていた。


「ほんと、ひでぇ弟だよな」

 守の目つきが変わって、急に不機嫌そうな態度になった。

「わぁ。聡さん」

 容子は久しぶりに好きな相手と再会したように笑顔になった。まるで恋する乙女だ。

「前から思ってたんだけど、私がパートに出て、都内にお墓買おうかな。ビルみたいになってるやつあるじゃない」

「いいよ。大変だろう?パートなんて給料安いわりに、こき使われるだけだからさ。守に働かせりゃいいんだ」

「ほんとにいいの?今のままで」

「あのさ…もし、守が先に死んだら、俺の骨をこいつの骨と入れ替えて、二人で墓に入らない?」

 悟は自分の体を指さしながら言った。

「うん。いいね。それすごいいいアイデア!」

「だろ?」

「やっぱり、違う。守とは…」

 悟は鼻で笑った。それが彼の癖だった。


「俺のことよく受け入れてくれたね」

「私が好きなのは聡さんの方だもん。最初会った時…聡さんだったし。私は聡さんと付き合って結婚したの!」

「俺もあいつの体を借りてるのに自分がタイプの女を口説いて、あいつが戻った時どうするかハラハラしてたよ」

「お願い。ずっと、聡さんのままでいて」

「はっ。もう、乗っ取るか」

「今度いつ会えるとか考えるのが怖いの」

 容子は歯茎の見える下品な顔をしていた。歯並びが悪く、表面が変色していた。頭も悪いし、すぐに人と喧嘩してしまう短気な女だった。不安定な生活が余計に容子の不安を増幅していた。


 守が仕事をころころ変えるせいで、生活は不安定だった。聡の方が男らしくて、稼いでくれそうだと容子は思っていた。


 同じ体を共有していても、兄は男らしく、弟は頼りなかった。目つきまで違う。兄の霊が乗り移ったんじゃなく、二重人格なんだと妻は思っていた。義理の両親が兄を殺害したなんて、きっと嘘だ。

   

 守は一人っ子だと聞いていた。精神的に病んでいるところも夫の魅力の一つだ。その危うさが容子は好きだった。

 


 

 

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