コオロギ
今日の夕飯はコロッケだった。
我が家のコロッケの中身は大体かぼちゃかジャガイモであることが多い。妻がビーガンだから、我が家の食生活はワンパターンだ。その中で揚げ物は腹も膨れるし最も好きなメニューの一つだった。
俺は揚げたてのサクサク感を楽しむために、早速、箸で口に運んだ。衣が香ばしくて美味しい。かっぱえびせんみたいな味がするなと思いながら食べていた。
キッチンには新婚の妻が立っている。後ろ姿にムラムラしてしまう。
妻は二十代半ばではっきり言って美人だ。俺より二十五歳下。スタイル抜群の巨乳で、足はまっすぐで形がいい。元、イベントコンパニオンだから、客観的に見ても美人なのは間違いない。今日も外で着るような花柄のミニのワンピースにフリルのついたエプロンをしている。
家にいるのにいつも俺のために化粧をしている。ちなみにすっぴんを見たことはないと思う。専業主婦だから、俺に奉仕するのが仕事のようなものだと思っているのかもしれない。俺専用のメイドさんみたいな存在だ。
俺は妻を気に入っているが、ごく表面的なもので愛ではない。理由は自分とは異質の人間だからだろうか。俺は自分と同種の人間しか愛せない。まさか、イベントコンパニオンの人を妻に迎えるとは思わなかった。全く別世界の存在だからだ。妻は外見重視で教養と勉強をおざなりにして生きて来た感じだ。
こういうタイプの人と結婚するなんて血迷ったとしか言えない。妻も俺を愛していないはずだ。あっちは所詮、金目当てだと確信している。
俺は妻の後ろ姿を目で追っていた。子どもが生まれたら、ケツがでかくなってしまうんだろうなぁ…。経産婦の尻はでかい。勝手な言い分だけど、抱きたいという気持ちになれないと思う。
俺はバリバリとコロッケをかじりながら、子どもを作るとしたら妻に飽きた頃にしようと考えていた。見た目がタイプだけど、いつかは飽きる時が来るだろう。その頃には、子どもを持つということに楽しみを見出すのも悪くない。
妻も食卓に着いた。巨乳がテーブルの上に乗っかったみたいに見えてしまう。俺の目がおかしいんだろう。
「あの…コウロギパウダー入れてみたんですけど。どうですか?」
「ぶっ!」
俺は反射的に噴き出した。口に残っていたら吐き出したかったが、もう、咀嚼してしまった後ですべて胃に収まっていた。
「何だそれ⁉」
「ほら、私、ビーガンじゃないですか。私と食事しているとご主人様もたんぱく質が不足するかと思って…」
「はあ?そんなもん食わすな!」
俺は怒鳴った。
「え?今流行ってるし…そんな…ごめんなさい」
妻がびっくりして泣き出した。
「いいよ…もう、俺の食事に入れるなよ」
俺は目の前にあるおいしそうなコロッケを断念することにした。
「味はうまいけど…衣がコオロギだったと思うと…気持ち悪くて食えないな」
「じゃあ、後で私が食べます」
「ああ、そうしてくれる…?なんか気持ち悪いな。今食ってたのがコオロギだったなんて」
「そんなことありません。コオロギって体にいいんですよ。たんぱく質が豊富で。スーパーフードって言われてるんですから」
「ああ、そうなんだ」
「全部食べられるんですって。全部」
「じゃあ、うんことかも粉末になってるってこと?」
「その辺はよく知りませんけど。入ってるかもしれませんね。でも、害はないんじゃないですか?野菜とか食べてるし。コオロギって何でも食べるんですよ。私、前にコオロギ飼ってて…鳴き声聞くのが好きなんです」
「ああ、それはわかるけど」
「コオロギって、野菜とかあげるといいんです」
「ああ、そうなんだ」
大して興味はないけど、話を合わせた。
「虫好きなんだ」
「う~ん。ものによりますね。くねる虫とかむりなので」
俺の脳内にはコオロギの黒茶色の顔がクローズアップで再現されていた。目が黒めがちで顔はかわいい。しかし、食うもんじゃない。イナゴは昔お土産でもらったことがあるけど、どうしても食えなかった。
「コオロギって、野菜ばっかりあげてるとダメなんです。タンパク質あげないと。共食いしちゃうんです」
「へえ、気持ち悪いね」
「でも、そういうの見るのが楽しくて」
「どこがだよ!」
「弱肉強食って感じしません?」
「焼肉定食?」
「もう。ご主人様ったら!」
話がつまらなくなってきたので、俺はちょっとふざけ始めた。こういうのは新婚の特権だろう。
「後で御仕置だぞ!」
俺はエプロンの上から妻の胸を箸でつついた。
「はい。覚悟してます!ご主人様」
妻も調子を合わせる。この女、随分ノリがいいじゃないか。
まるで仕事でやってた人みたいだ。多分、俺に言っていないことが山ほどありそうな気がする。パパ活、枕営業、ギャラ飲みなどをやっていた口だ。
妻は元イベントコンパニオンだけど、個撮モデルもやっていたと聞く。危険だから、いつも事務所の人がついて来てくれたというけど、何で芸能人でもないお前の撮影会に事務所の人がついて行くのか…と、俺は信じなかった。。多分、デリバリー系だろう。それでも、妻と結婚したのはそれだけ見た目が好みだったからだ。きめの整った白い肌。整った顔。顔だけが取り柄というのは妻のためにあるような言葉だ。性格も素直でかわいい。それだけ腹黒いということか。
***
我が家は一戸建てだ。今は妻と二人で住んでいる。もともと俺が家を所有していたのだが、そこに妻が引越してきた格好になる。正直言って、これまでもいろんな女と同棲していた。大体、俺が籍を入れないから、女の方が痺れを切らして別れることが多かった。これが一番後腐れのない別れ方だと自負している。
俺たちは食事が済んで妻がキッチンの洗い物を済ませたら、すぐに寝室にやって来た。妻は相変わらずきれいだ。ほれぼれする。
「あ、求愛中だ」いきなり妻が言い出した。
「はあ?」
「コウロギさんがお外でエッチしてる」
「ああ、そうなんだ…」
俺はさっきコウロギパウダーを食べたせいもあって、黒光りした姿をどうしても思い出してしまった。
「コロコロリーって鳴くのがメスを誘う時の声なんですよ」
「ああ、そうなんだ」
むしろ知りたくなかった。あれは交尾に誘う声なのか…。うちは戸建てだから、秋になると外から虫の声が聞こえて来る。夏の終わりを告げている気がしてしんみりするが、妻のせいで台無しだ。
「コオロギって一年しか生きないんですよ。儚いですね」
妻のトリビアは止まらなかった。
「へえ、そうなんだ。じゃあ、セミよりずっと短いね」
この女にしては趣のあることを言うと思った。
「はい。成虫になって1ヶ月くらいしか生きられないんですよ」
「へえ。だから手あたり次第口説きまくってるのか」
「ご主人様みたい」
「はは…俺は手あたり次第ではないよ」
俺たちが出会ったのは某展示会だ。かわいい子だったから俺がナンパした。
「コオロギは雄を選ぶんです。コオロギは声がいい方がもてるんですよ」
「詳しいね」
「人間も同じですね」
「人間だったら差し詰め金かな」
「どうでしょうか。雌のコウロギは若い頃は声で選ぶけど、年を取って来ると近場にいる雄を選ぶそうですよ」
「へえ」
「年を取ったらもう産卵できる機会が限られているからだそうです」
「もてる雄が年増の女を選ばないってこともあるかもね」
「ご主人様ったら!」
俺たちはどちらも同じ穴の中のムジナみたいだ。
それにしても、妻はかわいい。頭は悪いけど、ずっと見てられる。怖いのは年を取った時だ。愛がなくなったら何が残るだろう。女性の外見は三十代までがピークだと思っている。きれいな人でも四十代になると、昔の方がよかったという言われるようになって行く。
***
俺はもう五十代だ。妻の美貌もあと十年くらいがいいところだろう。俺は平日家にいない。妻のことをもっと長く見ていたくなった。
それで、家のあらゆるところにカメラを仕込んだ。寝室はもとより、風呂、キッチン、トイレ、リビングに。
俺は好きな時にインターネット経由で妻の映像を見ることができる。ちょっと怖いのは、妻が男と不倫している場面を見てしまうことだ。ちょっと見てみたい気もするけど、その後も妻を受け入れられるかはわからない。妻みたいなタイプは若いイケメンがお似合いだ。
でも、若いイケメンで金もある人はモテすぎて妻には回って来ないのかもしれない。または、美容師などのイケメン率は高いけど金のなさそうな職業の人か。そう言えば、前にサッカー選手や野球選手と合コンしたことがあると言っていたなあ。
もし、不貞の証拠をつかんだら離婚に持ち込もう。当然だ。
最近の監視カメラはクラウドに録画できる。時代は変わったと驚く。俺は会社の昼休み妻の動画を見るのが日課になった。
妻は朝起きて、化粧して、朝食を作る。その後は、俺を送り出してすぐに化粧を落としていた。化粧を落としてもあまり雰囲気は変わらなかった。化粧していなくても美人だとわかったのはよかったと思う。妻はすっぴんも本当にかわいかった。
化粧を落とした後は、毎朝ヨガをやっていた。部屋を片付けたり、オンライン英会話をやったりと健全だ。素晴らしい。そして、夕方になると夕飯を作り始める。その間にキッチンで化粧をしていた。すごいなと思う。これだけ夫のために余所行きの状態を保っている人は皆無だろう。
俺はますます妻が気に入った。
しかし、その後大どんでん返しが起こった。監視を始めてわずか三日後のことだった。
妻はコンロにお湯を沸かすと、火をつけたままキッチンにある勝手口から出て行った。俺は火事になるんじゃないかとハラハラした。
そして、妻が戻って来た時、手にはミカンを入れるようなネットが携えられていた。中身は黒い何かだった。遠目で見ても蠢いているように見えた。
「もしかして…」
俺は息を飲んだ。
妻は沸騰したお湯に、その網の袋をそのまま落とした。しばらく何かを茹でている。
俺はそれがコウロギなのではないかと思ってぞっとしていた。
妻はしばらくそれを茹でて、ざるに空けた。山盛りのコウロギの死体がそこにはあった。妻は手際よく茹でコオロギのお湯を切って、フライパンに空けた。そして、フライパンで炒り始めた。まるでテレビの料理番組のようだった。
『お湯をよく切ったコオロギをフライパンで炒めます。弱火でじっくり時間を掛けて炒りましょう』
料理の先生の声が聞こえて来そうだった。妻はよほど暇なのかずっとコオロギをヘラで混ぜながら火を通していた。途中でコオロギの足が取れたりしないんだろうか。どうでもいいのだが、気持ちが悪くて仕方がなかった。
しばらくすると、妻は箸で何匹か取り出して、皿に乗せた。その上から塩を掛けている。まさか…。
妻はそれを指でつまんで口に放り込んだ。そしてバリバリと食べていた。しばらくして、もう一口。まるでスナックのように当たり前のように噛んでいた。パウダーならともかく、形が残っているコオロギをそのまま食べるなんて…!こいつ頭がおかしいのか。
その後、妻はフライパンに入っていたコウロギをミルのようなマシーンに投入し始めた。もう、先は見なくてもわかった。妻はコオロギパウダーを自作していたのだ。そして、できたパウダーをガラスの瓶に入れていた。
そして最悪なのが、別の鍋にお湯を沸かして、出汁を取っていたが、そこにコオロギパウダーも加えたのだった。それは多分、今日の夕飯だろう。
その日から俺は妻を生理的に受け入れられなくなってしまった。俺がキスをしていた妻の口はコオロギが放り込まれた空間だ。妻の滑らかな手はコオロギを素手で掴んでいたのだし。もう、触れるのは無理だった。
妻の体はコオロギの死体で作られていると言っても過言ではない。
俺たちはそれからしばらくして離婚した。
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