お盆

 お盆と言えば、亡くなった人が家に帰って来ると言われている時期だ。その期間は虫を殺してはいけないというのを幼い頃から何となく聞かされていた。俺が知っているのは、亡くなった人が虫に生まれ変わっているかもしれないからというものだった。いつ聞いたのかはわからない。しかし、これは場所によって微妙に設定が違うらしい。恐らく主流なのは、亡くなった人は虫に乗ってやって来るため、その乗り物を殺してしまうと、戻って来れなくなってしまうと言うことのようだ。


 数年前に間違って蚊を殺してしまったことがある。お盆ということを忘れて、腕に止まった蚊をとっさに叩いてしまったためだ。それが人生で一度きりのお盆中の殺生だったと思う。


 うちの実家は仏教じゃないのに、何故か迎え火と送り火をする習慣があった。お盆の迎え火には、どこから持ってきたかわからないような白木の端材と新聞紙などが使われた。そして、ライターで新聞紙に火をつけるのだが、俺はライターもマッチも苦手で長い間火のついたマッチを持っていることができなかった。火を眺めていると手を火傷するのではないかという恐怖にかられる。今は付けられるようになったけど、苦手なのは変わらない。親が玄関先で火をつけるのをなぜか一緒に見ていた。あれは、家族で迎えるものなんだろうか。何となくよその家でも同じようにしていたような記憶がある。暗がりでオレンジ色に輝く炎は幻想的で美しかった。


 確かその時玄関は開けていた気がする。縁側のサッシなども同様だった。家の電気を消していたけど、今、思うと蚊が入って来るのではと心配になる。蚊取り線香を焚いて対策していたのかもしれない。もう四十年近く前のことなのに、あの頃の光景を今も思い出す。


 お盆の迎え火をすると、目に見えないご先祖が家の中に入って来たような気配を感じて、子どもながらも神妙な気分になっていた。


 昔は夏になるとテレビで心霊特集を盛んにやっていて、霊の存在が今より身近だったかもしれない。お盆に亡くなった人が戻って来るという話はよく聞いた。特に新盆はそういう話が多かった。新盆というのは、人が亡くなった後、四十九日の明けを過ぎて初めて迎えるお盆のことだそうだ。


 俺は両親と不仲だったのに、今では二人が時々俺の家に来ている気がする。夜一人で家にいると、部屋の隅に何かを感じる。元気で若かったころの二人だ。母親の方は最後は寝たきりだったが、まだ歩けた頃の姿でいる。


 それなのに手を合わせる気がしない。今も二人が怖いのである。二人に手を合わせると、そこにいることを認めることになってしまう。俺は罰当たりだから、もう墓参りはしないし、故郷に帰ることもないと思う。墓は兄が見ている。だから、兄の方に行ってくれないかと思うのだが、なぜかうちにも来ている気がする。俺の親不孝をなじるわけでもなく、ただそこにいるという空気に俺は苛まれている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る