虚構(おススメ度★)

 ネットの世界はゆがんでいる。そこにいるのは、現実で培った常識が通用しない規格外の人ばかりだ。出会ってすぐに「実は末期がんです」と告白されたことがある。俺は本当だと信じて、しばらくその人のことを考え続けて夜も寝れなくなってしまった。


 その人とは実際に会ったり、電話で喋ったことはないのだが、ネットで知り合って何度もメッセージをやり取りした間柄だ。あちらも発達障害持ちで、無職で実家暮らしだった。年齢が近いこともあり、俺はその人を信用するようになっていた。


 仕事から帰って夕飯を食べ終わったくらいの時間に、毎日数時間やり取りをして、三から四日経った頃だったと思う。『実は末期がんで明日手術なんです』というメッセージが来た。なぜ会ったこともない相手に。と思うが、友達がいない人だと言うから、誰かに言いたくなってしまったんだろう。俺は「無事を祈ってます」と送った。それ以上何が言えるだろうか。「無事生還できるように頑張ります」と返事が来た。頑張るという言葉が痛々しい。精神面で負けないように、心の中で戦う以外に今さら何ができるだろうか。俺は本気で彼の無事を神に祈った。これまで、そんな気持ちになったことは、これまでなかったほどだ。


 彼は手術の前に床屋に髪を切りに行って、垢すりをして、病院に向かうということだった。

「今は髪がぼさぼさで、ひげも剃ってないから、みっともなくて。ほら、大学病院って、若くてきれいな看護婦さんがいるかもしれないですしね」

 手術の時はほぼ全裸だろうから、きれいにしておきたいと言うのはわからないでもない。

「それだけ元気なら大丈夫ですよ」

「最悪の場合、手術中に死んでしまってもう連絡できないかもしれません。Edさんのこと友達だと思っていいですか?」

「もちろん、僕たちは前世からの親友ですよ」俺は心からの言葉でそう送った。


 俺はほとんど寝られないまま朝を迎え、浅い夢を見ながら昼まで寝ていた。そして、その日の午後、母親という人から連絡があった。もちろん電話ではなく、彼のアカウントからのメッセージだった。

「手術は終わりましたが、まだ麻酔で寝ているので代わりに送りました」

 俺はその連絡に飛びついた。

「無事でよかったです。体調はどうですか?」

 もしかしたら、亡くなっているのではないか。俺は返事を聞くのが怖かった。

「手術は成功しました」

「よかったですね☺安心しました」

 俺は必死でお母さんを励ました。

「息子さんは前向きな人ですからきっと元気になりますよ。また連絡取りあえるのを楽しみにしてるって伝えてください」


 その人は名古屋に住んでいて、地理的な距離はあるのだけど、俺には病室の様子が見えるようだった。どこかの大きな病院の病室で、今一人で病気と闘っているのだろうと感慨深い気持ちになった。俺にできるのは祈ることだけしかない。俺はひたすら手を合わせ続けた。祈りの気持ちというのは、相手の病状を好転させるという研究があるとネットで見たことがあったからだ。 


 手術日から数日間。俺は彼が連絡をくれるかと思って、一日中待っていた。全く音沙汰がなかった。自分から連絡してみようか。いや、もしかしたら迷惑かもしれない。相手から連絡が来るまで待とう。俺は何日も待ち続けた。


 しかし、結局彼からの連絡は来なかった。亡くなってしまったのかもしれないし、俺に連絡するのが嫌になったのかもしれない。最後にやり取りした時はそんな感じはしなかったのだが。


 今思うのは、末期がんで手術を控えている人が看護婦さんが美人かどうかなんて考える余裕があるだろうか?裸を見られて垢がついていたら恥ずかしいという発想になるだろうか?ましてや、手術前に垢すりなんか行くだろうか?きっと、垢すりサービスのある風俗にでも行ったんだろう。純粋な人なら、その人が亡くなっているとか、心配をかけないようにしていると言うかもしれない。

 多分、俺は弄ばれたのだと思う。その人のせいで何日も無駄にしてしまった。どういうつもりかしらないが、彼のやったことは愉快犯とでもいうべきものだ。全く腹立たしいし、病気の人への冒涜だと思う。


 しかし、それでも俺は懲りてないようだった。またネットに出没するようになっていた。リアルで友達がいないのに、ネットではかなり社交的だ。連絡が来るのは、エッチなお姉さんのふりをしているフィッシング詐欺と、同年代の男しかいないのだが。たまに、暇そうな中年の女の人から連絡が来るのだが、現実社会でも女性と話すのが苦手だし、おばさんには興味がないので話が続かない。


 実は俺はオンラインサロンをやっていて、出会うのはそこの会員の人が多い。無料だから会員数は二桁以上いる。内容は秘密にしておくが、定期的にチャットオフ会をやったりもしている。本当はオンラインミーティングにすればいいのだが、俺自身が話すのが苦手だから、参加者はもくもくとチャットで参加するだけだ。ネット黎明期のチャットルームみたいなものだろう。チャットルームというのは、二十年以上も前に流行っていたもので、ルームに入った人たち同士で非公開でチャットを楽しむ。今も似たようなものがあると思う。


 二十年前、俺は忙しくて、そういう場に参加しようと思わなかった。しかし、数年前の働き方改革で残業がなくなり、早く家に帰るようになってからというもの、俺はやることがなくなった。


 俺はオフ会がなくても、ほぼ毎日チャットルームに出没する。家に帰ると夕飯を食べながらそこに入る。必ず誰かがいる。だから孤独ではない。今晩いたのはバツイチでアパートに一人暮らしのアサリという人だ。福岡に住んでいてパチンコ店の店員をしていると話していた。話していて特に楽しい人ではないが、すっかり常連になっている。


「Edさん、知ってます?森のクマさん亡くなりましたよ」

「こんばんは」のすぐ後がこれだった。

「え?マジですか?」

「通り魔に刺されたって」

「え!」

 俺はびっくりして聞き返す(゚д゚)!


 通り魔に刺されてなくなったら全国ニュースになるだろう。どうせ嘘だ!そうに決まっている。俺は冷静になるように自分に言い聞かせる。どうしてこの人がその通り魔事件を知っているのか。そんなのあり得ない。通り魔に刺されて瀕死の状態の人が、親族ならともかくネットの知り合いに連絡するはずがない。


 もしかしたら、森のクマさんとアサリさんは同一人物かもしれない。そうでなかったら、よくチャットルームに来ている森のクマさんが急にいなくなる理由がない。


 そう思うと、たくさんいるように思えていたメンバーも実は何人も被っているのではないか…。俺はそのことに気付いて愕然とする。


 俺はたくさんメンバーを集めてサークルの幹事を気取っているが、いつも一人の人を相手に飯を食っているのかもしれない。

 

 俺はコンビニ弁当を食いながら、砂でも噛んでいる気分になる。俺の胸の中も砂で埋まっていく。次第次第に無になっていく。口の中でじゃりじゃりと歯をかみ合わせながら、手元のスマホ画面を見ると、ものすごい速度でメッセージが増えて行く。もう、話についていけそうになかった。


 俺はうつろな目をしながら、無意識にその先にいる誰かに何かを送り続けていた。

 


 

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