腐敗
今日、会社に行って弁当の蓋を開けたら、中身が腐っていた。
白飯には黒いカビが生えていて、野菜を煮たような、カップに入ったおかずからは腐敗臭がした。俺は周りの人に気付かれる前に、慌てて蓋を閉めた。蓋を開けていた時間はほんの数秒だと思うが、俺のデスクの周りは、食べ物が腐ったような臭いが立ち込めていた。
おかしい。妻が朝持たせてくれたのに、もう腐っているなんて。
妻の和江は料理がうまくて、毎朝5時に起きて、俺と子どもたちのために弁当を作ってくれる。子どもは中一と高一で、どちらも弁当を持参しなくてはいけない。おかずは夕飯の残りなんかじゃなく、全部弁当用に作った物で、お店で買うよりはるかにうまい。俺はいつも昼の弁当を楽しみにしていた。
まずいなぁ・・・。
昼食べる物がないから、外に買いにいかなくちゃいけないな。それより、妻のことが気になった。精神的におかしくなっているんだろうか?俺は妻にLineを送った。
「どうしてる?元気?」
「元気よ。どうしたの」
「いや。弁当がちょっと古い感じがして」
「あら、朝作ったんだから大丈夫よ」
俺はそれ以上は触れなかった。そのまま持って帰る訳にはいかないから、弁当の中身は会社の給湯室にあるゴミ箱に捨てたが、ビニールに入れずに直接捨ててしまったから、その場に悪臭を放っていた。
俺は臭い弁当箱をティッシュで拭いて、ハンドソープをつけて洗った。
そして、何食わぬ顔をして弁当箱を家に持ち帰った。家に帰っても子どもたちは今までと変わらないし、弁当が腐っていたなんて一言も話さない。俺はたまたま妻が弁当に古い食材を入れてしまったんだろうと思った。しかし、あそこまで腐っていると、俺に手渡した時点で臭かったんじゃないかと思った。
そして夕飯だ。我が家では、毎晩、家族全員そろって食べることにしている。今時、こんな家庭は珍しいかもしれない。
「あなた。どうぞ」
妻がみそ汁をよそって手渡してくれた。古いタイプの女性で、家長に当たる俺に一番最初に出してくれる。見たところは普通の味噌汁なのだが、一口飲んでみると、酸っぱい味がした。これを飲み込んだら腹を壊してしまいそうだった。俺は体調が悪いふりをして、椅子から立ち上がった。
「どうしたの?」
娘の風香が不思議そうな顔をして見ている。
家族は何も言わないが、食卓全体が生ごみのような臭いがする。
「う、うん。何でもない。ちょっと気分が悪くて。もう寝るよ」
「あなた、大丈夫?」
妻が心配して俺の方を見た。
「何でもないよ」
どうしたんだろう。家族がみんな変だ。腐った物を出されて、それを平気な様子で食べている。
俺は脱衣室に置いてある洗面台で歯を磨こうとした。歯ブラシがゴミだらけで茶色に変色していた。俺は水で流して少しでもきれいにしようと思うのだが、水道から出て来た水も茶色かった。
一体どうしたんだろう?
俺は頭がおかしいんだろうか・・・。
こんな水で口をゆすいだらコレラになってしまうじゃないか。
ここは本当に日本なのだろうか?
俺は取り合えず服を着替えて、外に飛び出した。公園にでも行って歯磨きしよう。そうだ。まずは、スーパーに行って歯ブラシと歯磨き粉を買おう。俺がスーパーに飛び込むと、客たちが騒ぎ出した。
「キャー」
女の人が悲鳴を上げて逃げ出した。
「犬!犬が入って来た!」
俺ははっとした。
あ、俺って犬だったんだ。
生まれ変わって犬になったんだった。
「し、し・・・!」
男がモップの柄で俺の腹を突いた。
突き刺さるように痛かった。
俺は少したじろいで、立ち上がると、そのまま自動ドアから外に出た。
そして、勢いよく道路に飛び出して、固い鉄の塊にぶつかった。
キャン!
俺は悲鳴を上げた。
あの狂った家を出たせいで俺は犬になってしまったんだろうか。
それとも、俺はあの家の飼い犬なのか。
人間だったのに犬に生まれ変わったのか。
全くわからない。
誰か助けてくれ!!!
俺は気を失った。
****
「大変。おじいちゃんが、車にはねられた!」
「救急車呼んで!」
周囲の人たちは叫び声を上げた。
救急車が来て俺はベッドに乗せられて、車の中に運ばれた。
隊員が俺に声を掛けた。
「目開けられますか?」
俺のことを若い隊員たちが取り囲んでいた。
「お年はいくつですか?」
「わかりません」
「カバン見させていただいていいですか?」
「はい」
「お名前は?」
「わかりません・・・」
どうやら俺は家族に腐った物を食べさせられていたらしい。
家族は俺を殺そうと思っていたんだ。
そうに違いない。
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