弟は享年2歳

*別建てで書いていたものの再掲載となります


 俺が幼い頃には弟がいた。でも、ちゃんと覚えているわけじゃない。俺には3歳上の兄がいて、すでに立派に成人している。俺ももう50。下の弟は俺の2歳下だったが、享年2歳の短い人生だった。写真を見ると、ちょっと地味で存在感の薄い子だった。


 うちの兄弟は、長男は性格が悪くて、強烈。次男の俺は、無口で、顔だけは濃くて、体が大きい。あんな荒れた我が家で、弟が生き残れる余地はなかったのかもしれない。


 俺の一番最初の記憶。あの日、俺は兄と弟と3人で庭にいた。庭には雑種の犬が3匹もいたが、雑草が生えて、使っていない犬小屋が放置されていたりと、雑然としていた。


 兄は多分6歳くらいだろうか。俺から見たらかなり大きく見えた。俺は恐々兄を見ていた。兄はいつも意地悪で、何をするかわからない人だった。すると、兄はいきなり弟を抱き抱えて、庭にある金魚の池に連れて行った。そこには、古い浴槽が野ざらしになっていて、金魚を入れる容器として使っていた。掃除を一切していないから、緑色の苔が生えていて水自体も緑に見えた。これは、俺がもう少し大きくなってからの記憶だけど、その時もそうだったと思う。


 俺はじっと兄を見ていたが、弟をそのままドボンと池に落とした。俺はそれを黙って見ていた。兄はそれを上から押さえつけていた。弟はバタバタしていたが、すぐに静かになった。兄は走って逃げて行った。


 俺はどうしていいかわからなくて、そのままぼんやり立っていた。


 しばらくして、母がやって来た。


「祐樹は?」


 俺は何も答えなかった。なんと言っていいかわからなかったからだ。知ってるけど、弟はもう動いていない。


「おにいちゃん!」


 母親は大声で叫んで外に探しに行ったりして、その辺を歩き回っていた。


 俺はその場に立ち尽くしていた。


 結局、弟が見つかるまでかなりの時間がかかったと思う。

 母は、まさか、弟が死んでると思っていないからだ。


 緑色に濁った水の中で弟が溺れているなんて、想像しただけで恐ろしい。

 でも、俺にはそんな想像力はなかった。

 死が何かもわからなかったと思う。


 弟が見つかった時、母は俺の所に走って来て、俺を思い切り張り倒した。

「何で言わないの!」

 泣きながら母は俺を責め立てた。


 母は、その後も、ことあるごとに俺を責めていた。

 ずっとそうだった。

 弟の死が、まるで、俺の過失のように思われていた。


 あれは、兄がやったんだ。

 でも、俺の記憶が正しいのか、兄への恐怖から生まれた妄想が作り出したものなのかは判然としなかった。

 兄にあの日のことを尋ねたこともなかった。

 俺は兄がずっと怖かった。兄がやったんじゃないかと思っていたからだ。




 この間、親せきの葬式があった。

 俺は子どもを連れて参列した。俺は喪服で、息子は中学の制服姿だった。

 息子が不意に言い出した。

「おじさんの足元に小さい子どもがいるけど、あれ誰?」

 俺には見えなかった。

「え?」

「小さい子どもがクルクル回ってるけど、大丈夫かな。目が回らないのかな・・・」

「いくつくらいの子?」

「2歳くらいかなぁ・・・すごく小さい子なのに、足がめちゃくちゃ速い」

 きっと、弟だ。俺は思った。兄に取り付いているんだ。もう50年近く経ってるのに・・・。

 かわいそうな弟が、そこにいると思うと、申し訳ない気がして仕方がなかった。

 兄が遊んでくれていると思っているのかもしれない。

 兄がお前を殺したのに・・・。


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