姥捨て山
*本作品はフィクションです
老人介護。介護が必要な人がいると、自由な時間がほとんどなくなる。ショートステイに預ければ旅行にも出かけられるけど、環境が変わると、高齢者はボケてしまったりする。もし、介護を無償で引き受けてくれる人がいたら、こんなに嬉しいことはないだろう。
しかし、そんな人がいるはずがない。小さな子どものお世話をやりたい人はいるだろうけど、老人介護を無償でやりたい人がいるとは思えない。しかも、自分の親でもない人をだ。
そんな人がいたら・・・。目的は何だろうか。
某所に、マザーテレサの「死を待つ人々の家」を模して、「みとりの家」というのを作った人がいた。見本になったインドの施設は、多額の寄付を受けている割に、医療知識のある人がおらず、入所者に必要な治療を施していないと言われている。しかも、ヒンズー教の人などに対して、相手が気付かないうちにカソリックの洗礼を施してしまったケースもあるようだ。
こういう施設は、海外だと宗教と結びつく場合が多い。日本でも、宗教系の学校や病院はあるが、孤児院などはないと思う。その方が健全だ。
みとりの家のオーナーが誰かは知らないが、古いホテルの建物を購入して、門の前にでかでかと「みとりの家」という看板を立てた。その側に案内が書かれていた。
「入居者募集中。歩けない方限定。月額料金無料と書かれていた」
すぐに電話が鳴りやまなくなった。藁にもすがりたい思いの家族は、明らかにおかしい条件でも飛びついた。すぐに説明会の予約が入るが、施設の見学はさせてもらえない。
入居希望者の家族に伝えられるのは、同じような内容だった。
「面会は一切禁止です。すべて、こちらにお任せいただくことが条件になります」
「でも、虐待とかがあるかもしれませんし・・・」
「うちは内部で調査委員会を設置していますから、そういったことは一切ありませんので、ご安心ください」
「じゃあ、いつだったら会えるんですか?」
「生きている間は無理ということです。その点に同意していただく必要があります」
「どうして、会ってはいけないんですか?」
「人の出入りがあると、感染症のリスクがありますし、対応のために人員を割かなくてはいけないからです」
「でも・・・」
「もし、その点にご納得いただけないようでしたら、別の方にご入居いただきますので・・・」
小枝子は旦那からお義母さんを早くどうにかしてと言われていた。もし、このままだったら離婚すると脅されていた。小枝子の母はせん妄があり、夜中叫んだりするため、家族はうるさくて寝られなかった。しかも、近所から母のせいで度々苦情が来ていたのだ。
しかし、うつ病で専業主婦の小枝子が施設の入居のために払えるお金は全くなかった。息子は知的障害と精神疾患の両方があったから、目が離せない。旦那とは子どもの件もあり不仲で、そこにさらに実母の介護の問題が降りかかっていたのだ。もう、限界だった。
「お母さん、ごめんね」
小枝子は母親に謝った。
「年寄りは役立たずで、邪魔だからね」
母は自虐的に言った。元気な頃は、子どもの世話や家事を手伝ってもらったことを思い出して、申し訳なくなった。
「施設も楽しいかもしれないからいいのよ」
母親は笑顔でそう言った。自分が娘家族の負担になるくらいなら、潔く施設に入った方がいい。どうせもうすぐ死ぬんだから・・・。
最後に親子が会った時、母親は笑っていて、娘は号泣していた。娘は最後の瞬間まで、自分の決断が正しかったのかどうか決心がつかなかった。
「お母さん、ごめんね」
目が曇って母の顔が見られなかった。最後の日は夫と息子もついてきて、一緒に写真を撮った。母は寝たきりと言っても、車いすに座っていられるし、完全にボケてもいなかった。ただ、足が不自由というだけで寝たきりにされるのは、残された能力を捨てさせるということだった。
「お母さん、ありがとう」
娘は最後の瞬間まで手を握っていた。
しかし、迎えに来た施設の職員に連れられて、母親は建物の中に消えて行った。二度と生きて出られない、その監獄のような施設へ。
***
小夜子はその夜に、どうしても母親を取り返したくなった。息子と旦那よりも母と一緒にいたかった。先は長くなくても、それでもかまわない。小夜子はこっそり家を抜け出した。向かったのは、あの”みとりの家”だ。見学も受け付けないなんて、どういう施設なんだろうか。有料老人ホームではないから、補助金なども受け取っておらず、自治体の監査もない。ただのシェアハウスのようなものだ。
小枝子は”みとりの家”がアウシュビッツのような強制収容所を想像していた。老人たちは裸にされて、ガス室に送られる。そして、そこで全員殺されるんだ。老人だって優勢思想の観点から見たら、生産性のない劣った存在である。自分や息子のような人間だって同じだ。だけど、自分にだって生きる権利はある。母にだって。
大好きな母の命を他人にゆだねてしまったなんて、追い詰められていたとはいえ、許されない判断だった。小枝子は自分を責めた。
建物の外をぐるっと回ってみたが、電気が消えていて中は何も見えなかった。介護施設というのは、夜は1人で巡回をしていたりするものだ・・・。警備が手薄なのは今だけど、でも鍵がかかってるかもしれない・・・。その時、建物の中から、おばあさんたちの悲鳴が聞こえた。
「助けて!殺される!」
「殺して!早く死にたいの!」
小枝子はそれを聞いて、虐待が行われているんだと確信した。そして、すぐに119番通報した。これで、どんな施設か警察が見て来てくれる。変な施設だったら、母を取り戻そう。
小枝子はパトカーが来るまで、門の側に立っていた。外には街灯はあるが、人通りがなく薄暗かった。パトカーが来るまでに、誰かが私を見つけて危害を加えるかもしれない・・・。小枝子は身を固くして門を背に立っていた。
10分後にはパトカーが2台やって来た。小枝子は安心して、降りて来た警官に近づいて行った。
「ここです。中から叫び声が聞こえて来て・・・」
「そうですか・・・、ちょっと見に行ってみましょうか・・・」
2人の警官が、施設のインターホンを鳴らした。
しばらく待ったが誰も出て来ない。何度鳴らしても出て来ない。
「おかしいですね・・・。もしかして・・・夜間は無人なんじゃ?」
「もともと無料ですからね。深夜に巡回なんかするわけないですよね」
夜間は放置状態なんだ・・・小枝子は愕然とした。
「母を取り戻したいんです」
「どうしましょうか・・・鍵屋を呼んで開けてもらいますか?」
「はい。お願いします」
その間も、老人たちの叫び声が聞こえていた。中では一体何が行われているのか・・・。警官たちもその施設が何のためにできたのか、以前から不思議に思っていた。
中に入ると、お年寄りたちは寝袋に入れられて、一部屋に集められていた。
「何ですかね?これは?」
一人のファスナーを空けてみると、中は裸にオムツ姿だった。
「うんこしてますよ。この人・・・朝まで放って置いたらかぶれちゃうんじゃ。それに、お年寄りってのは、体の向きを変えてやらないと、床ずれができちゃいますよ」
警官たちは口々に言った。
「この施設は一体何なんでしょうね・・・目的がわかりません」
「そんなことはない・・・生活保護費を振り込ませて、中抜きする団体じゃないのかな」
「はぁ。でも、死んじゃったら保護費はなくなってしまうので・・・こういう状態だと長く生きられませんよね」
「きっと、入居希望者から金を受け取ってるんだろう・・・。寄付金なんて名目で・・・」
お年寄りたちは、一応保護されて、救急車などで一先ず病院に運ばれて行った。家族が呼び出され、引き取りを依頼されていた。家族は渋々引き取らなくてはならなくなった。結局、家族が自由になれたのはほんの一晩だけだった。
警察は次の日に施設を尋ねて行ったが、誰も来なかった。オーナーに連絡を取ってみたが、幽霊会社で電話しても誰もいない。
「きっと、お年寄りたちを放置して、死なせるつもりだたんですね」
「何のために?」
「お年寄りの介護で家族が疲弊しているのを見て、本人がいなければ・・・と思ったんでしょう。そういうのを正義だと思う人間がいますからね」
「そもそも、タダで引き取っても何のメリットもないのに、そんなの本気にする人がいるなんて」
「子どもも親の面倒を看ようって人ばかりじゃありませんからね。親と不仲とか絶縁状態なんて珍しくありませんよ」
「こうなることをわかっててやってる人もいるってことだね」
「そう思います・・・」
***
小枝子は母親と息子を連れて、線路の側に立っていた。母を引き取ったが、やっぱり暮らして行くのは無理だった。夫は耐えられずに出て行ってしまった。今度来る電車が来たら、みんなで飛び込もう・・・。もうすぐ電車が近付いて来る。子どもが電車に向かって、大喜びで手を振っていた。電車の警笛が鳴る。運転手が気付いて急ブレーキをかけていた。母親の車いすを線路に乗せた。3人一気に轢いてもらうんだ。大好きな電車に轢かれて、息子も本望だろう。小枝子は目を瞑った。母親と息子の笑顔が浮かんできた。ごめんね。大粒の涙が流れた。
キキキキキキキキー--------
線路から飛び出した息子以外は、電車に正面からぶつかってしまった。
息子は電車から慌てて降りて来た運転手を見て、嬉しそうに近付いて行った。
「すごい!すごい!すごい!」
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